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目黒元不二は文化9年(1812)に築かれた富士塚で、のちに新富士ができたためこの名がある。高さは四丈(約12m)ほどだった。江戸時代後期には、富士信仰の高まりとともに多くの人々が富士登山を行なつたが、現地に赴けない人々は、このような富士塚に詣でた。元不二は明治11年(1878)に石嗣や鳥居が撤去されたが、その石嗣と富士講の碑石が上目黒氷川神社の境内に移された。天高く伸びる一本の樹は、村尾嘉陵(1761~1842)の紀行文『江戸近郊道しるべ』に「山の南の裾に、直にたちのびたる松一本あり」とある樹木で、画面左の桜の下には茶屋の床机があり、花見客たちが和やかなひとときを過ごしている。元富士があった場所は現在の上目黒一丁目付近にあたり、高級マンションが立ち並ぶ。
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