■10時玉山祠門前にぴったり到着。ビエット君は既に30分前に到着していたがビッチさん来ない。随分待っても来ないのでSNSを確認するとWiFiが入っていなかった。ビエットのスマホのWiFiを借りてSNSをつなぐと、なんと昨晩彼女は体調不良でこれないとのメッセージを出していて、僕は気づかなかったのだ。
ビエットは僕と同じ国家大学の工科大学の卒業生で流体工学専攻で3月に「エンジニア」として埼玉のF1のエンジンを作っている企業で3年働くそうだ。すっげえ!と思ってしまった。もし実習生と同じで行くならこの会社うまく使ってるなあ、と思う。先輩が日本永住でベトナム人の嫁さんを連れて行っているというから、その形で行けそうだがもし問題あるようなら相談にのるよ、と言った。その送り出しはエンジニアだけ送っているのか、実習生セットで送っているのか興味あるところだ。
ホアンキエムめぐりは歴史研究会の「ガイド」を持って彼に説明しながら歩いた。彼は歴史的な背景は0に等しい。国際郵便局前にある「和風塔」と呼ばれるレンガの塔はいつも新郎新婦の記念写真のバックに使われているが、これは150年以上前に郵便局の場所に作られた広大な「報安寺」バオアンといわれる寺の跡に唯一つ残っている門柱だということは誰も知らないようだ。
チャンティエンプラザは元仏植民地で最初の百貨店(クアハン、バックホア)ゴダールの後にベトナム資本100%で作られたものだ。湖のところまではチャンティエン通りというが、チャンティエン(場銭)というから近くに造幣施設があったりしたのかも知れない。金、銀細工の店が集まっていたようだ。そこからハンカイ通りになる。ここは湖がもともと紅河につながっていたのに、16世紀末、皇帝を傀儡として実権を持ったチン氏が舟遊びをするために像の通れる道を作ってここを湖にしてしまった所。その道で家具や象牙職人が集まっていて木のお盆(カイ)が作られていたので付いた通りの名前がハンカイということだそうだ。
そうなんです、当時の権力者たちの乗り物は象だったんです。湖東の人民委員会ビルの敷地に元は象舎を持った大きな寺があって住職は熟達した象使いで、、、なんて話し出すとキリがない。昼は湖北のディンティン通りの狭い路地裏の屋台でブンタンを食べる。最初はそうでもないが、食べ慣れると病みつきになりそうな味だ。汁が旨い。そのあと大聖堂「ニャトーロン」の中に入り、周辺を歩いた。もちろんニャトーロンはパリのノートルダムを思わせるヨーロッパ観光客必須の観光地だから人が多いけれど、狭い路地裏の先に大規模で極彩色の大小様々な神や仏や聖人や英雄が所狭しと鎮座している祠の如何に多いことか、、。まさかこんなところに、、と思うようなところばかり。気がついて見に来る観光客もめったにいないようなところが多い。おもしろいところだわ。
ニャチャン行きは来週の火曜と決めた。ハノイ駅で往復寝台の帰りは23日の金曜。1日がかりの旅で、途中のダナン、ホイアン泊もありだが今回はテトなので混雑し予約に不安もあるので直行にした。テトは2倍の価格で約240万ドン(1.2万円)。ビェット君が窓口で買ってくれた。駅から49番バスで帰宅。僕は座れるが彼は立ちっぱなし。帰宅後、屋台の夫婦も帰郷したし、いつもの食堂も休みでマイジック街まで行ってコムザン(焼き飯)を食べる。