◼️明日のニャチャン行き の準備。久しぶりに散髪屋に行った40k。夕方 ジャイカの入っているコーナーストーンビル 11階 で「引き裂かれたベトナム残留孤児家族 」のビデオ を見る 。5年前に放映 されて昨年 再編集 されたものが 天皇 ベトナム 訪問に 合わせえて放映され脚光を浴びた 。日本が 敗戦 した時を狙って 1945年9月ホーチミンが 蜂起 しベトナム独立の声を上げる。現実的なベトナム 解放は1954年ディエンビエンフーで仏軍 に圧勝してからだが、それまで引き上げなかった日本兵はベトコンに巧妙に勧誘されて ベトナム 兵を 訓練し 共に 仏軍と戦って いたのだ。
共産党の資料からも敗戦した日本兵は既に敵ではないから利用すべきだという記述が ある。しかし、北緯17度で南北に分かれ、冷戦が始まると日本はアメリカと共に 南の支持にまわり、北には中ソの軍事顧問がベトコン軍の訓練に 投入され、日本兵の 介入は歴史から消されて行く。54年 以前の 日本兵は妻子を 連れて帰国が 許されなかったのに10年後 は許されることに なったのだ。夫の 帰国を 知らされないまま 子供を 育て上げた 老いた母親と 、日本兵の隠れた 功績を知らない若い子供達にいじめられ、差別を受けて育った 孤児達のその後をフォローしたドキュメントである。とても感動的で終わると自然に拍手が湧いた 。
北ベトナム の話であってハノイだけの特殊な事情である。両国の子供や孫達が再会し友情を深めるという筋書きなのだがなんといっても遅すぎた。登場人物は殆んど亡くなっている。日本兵の功績を知る証言を している 人望の厚いザップ将軍 も先日 亡くなったばかりだ。孤児たちの子供がもう70歳をすぎるくらいなので集まることすら難しくなっている。この活動を支援してきた小松さんはこれからどうして行くのかと聞かれ、正直に わからないと答えた 。若いベトナム人に託したいと言った。昨年の天皇訪問で脚光を浴びるまでは調査は遅々として 進まず、日本語教師の 在留資格で共産党政府との対応には 多くの危険や妨害があったようだ。
上映会 には日本語を勉強しているベトナム学生さんが何人も来ていて 声を掛けると誘われて その後の食事会に同席させてもらった。 何の会だか知らないけど日越大学の先生が来ていた。学生さんとベトナム 語の会話練習を、、、。早々に 引き揚げてタクシー でピッタリ 10時 半に帰宅 。タクシーで守衛のタンさん(新く入った おじさん)に始めて 電話したらアパート玄関で 待っていてくれた。 最近少し ベトナム語を話しているという実感が出てきた。学校で勉強 初めて 半年 。あと半年でなんとか、、、。