くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

街にでる。

2018年02月15日 | Weblog

◼️僕はニャチャンの海岸線に沿ったチャンフー通り のパスツール研究所(イエルシン博物館)を背にして、海岸の砂浜と海水浴を楽しんでいるロシア人などを見ながら椰子の木の下のベンチに座って今これを書いている。海から吹いてくる風がほんとに気持ちいい。
明日からはテトでなにもできないけど今日は賑やかそうだからと言われて出てきた。途中までヴァン君のバイクできてタクシーで海洋博物館へ行ったが休館日。ニャチャンセンターを見てマリアスクエア近くの文具店でノートを1冊買ってダム市場へ行ってみる。歩いて海岸線まで出てまたニャチャンセンターに行って3階のフードコートで裏巻き寿司を食べる6万ドンうまい!。ここの窓側席から海岸線とヴィンパーランドの島の展望が素晴らしい。そして今ここにいる。
海岸線を歩き、こんなカッコいい浜辺で年寄りの夫婦がビーチチェアに座ってボーッとしてるなんて見とれてしまうなあ、、なんて思って、ハッと気づいた。人の事じゃないよ。僕だっていつでもそうできるんだから、、あかんなあ、俺はやっぱりゆったり旅のできない日本人だなあ。でも今日から時間があればここで1日書いたり読んだりしながらボーとしよう。
今日は大晦日なので夜中遅くまで神棚の飾りつけや門前での礼拝、お供物や焼香。日本では既に久く失われたプリミティブな信仰心を見せられている気がする。お供物のメインは丸のまま照り焼きされたチキン。それにビールや果物。ここの神はかなりの大食漢と見える。門前の土間での礼拝が終わると、早速チキンは切り分けられて食卓に、、。これを見てなるほどこれが本来の食事のルールなのだなあと気づく。獲物を獲ったら神に感謝したあとで口にする。日本では食事の前に「(命を)頂きます」という尊敬語を使うのは獲物に対してではなく神に対する行為だからだ。獲物の命を一旦神に預けてそれを人が譲り受け命を繋げていくということかもしれないと思う。戦時中の特攻の論理は死んで現人神である天皇に命を預けたのだから靖国で面倒見てくれということで、国家公務員である軍人の殉職で「無名戦士の墓」じゃやだ、という右翼思想に仮借されるのだろう。
植物にも命を考える農耕民族は毎年の収穫を仮借して輪廻思想(仏教)に至る。農耕には協働と組織化が必要でヒエラルキーを生み階級社会と権力闘争が生じた弥生時代より縄文時代の方が平和だった、との考えもある。しかし、定住しない遊牧民が略奪と殺戮のシルクロードで天下を取ったモンゴルの例もある。生産しない遊牧民が略奪するのは生きるためであり、皆殺しは復讐(戦争)回避に当然必要な時代。女性は財物で民族の血を繋げる道具であった時代や世界もあった、、、。妄想が広がる。ああ、俺は暇なのか、、。

コメント
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