■日越大学願書を提出すると、28日はベトナム語でインタビュですよとくぎを刺された。日曜以外学校で誰と話してもいいから毎日来てくださいと言われた。今回は韓国人中国人各一人のエントリーがあるという。図書館は半年前の受験の時も毎日通ってベトナムに関する本を読み漁ったものだ。今日もすぐに目に入ったのが「朱印船貿易絵図の研究」。読みだしたら止まらない、、。5時に読み切って帰宅。もうベトナム語どころじゃなくなってしまい、遅くまでベトナム史の勉強になってしまった。
ホイアンは中国明が解禁令を緩和した16末に、日中の直接貿易ができないために中間貿易港として発達した港だ。だからホイアンの日本人町や有名だが同時に隣の通りは中華街で日中の多国籍治外法権地域みたいなのが認められていたんだ。5度に及ぶ江戸幕府の鎖国令によって鎖国が完成したのが1635年(寛永12年)。それまで350隻ほどの朱印船が出たがその1/3は長崎・ホイアン間のものだ。主な品目は中国産絹(日本産は品質が悪かったらしい)を入れて銅や寛永通宝など銅銭で支払う。日本の銅は銀を含んでいたが日本には製錬技術がない。ヨーロッパの通貨経済は銀を求めていた。南蛮貿易(ポルトガルとスペインが相手国のこと)のスペインはメキシコ産の銀貨ペソが今でいえば米ドルのようなもの。中国も銀は欲しい、北部ベトナムと戦禍の絶えない中部ベトナムでは銅貨を鋳なおして武器を作った。石見銀山などに灰吹き法という製錬技術が伝わる前の話だろう。日本の金銀はいわば当時の世界通貨経済の石油だったんだろう。「銀座」があるくらいだから。
当時ポルトガルは台頭するスペインと張り合っていた。世界を喜望峰から東半分をポルトガルが西半分をスペインが仕切ることにしたが(だからブラジルだけが中南米でポルトガル語。北米もスペインのもの)スペインはフィリピンまでガレオン船で太平洋を渡ってくる。そのなかに割り込んでくるのがオランダ。1602年に作ったの東インド会社(なんとこれが世界初の株式会社)これは国の特許を得た交渉権、交戦権を持ち軍隊を組織し植民地経営をする会社。幕府に入り込み鎖国させ、自分だけ出島のオランダ商館(東インド会社支店のこと。「カンパニア」と呼ばれる)で対ヨーロッパ貿易を独占することに成功する。
もちろんキリスト教を排斥するのが幕府の目的だが、スペインのザビエルにしろ布教のエネルギーが貿易に結び付く力は強い。南国大名が競ってキリシタンになったのは某大名のように貿易で私腹をこやして幕府ににらまれるほど利益があったに違いないと思う。しかしザビエルはカトリック。プロテスタントやユダヤ教のように利息はとれないはず、、と、ここで登場するのが海上保険。海難事故の借主有限責任という考えは株式有限責任の原型。事故の責任がまぬがれるならいくらでも博打がうてる。株式配当は社債利子とはちがう、、というわけか。東インド会社には異端尋問からのがれたユダヤ人もかかわってくる。会社は1799年解散しイギリス東インド会社に接収され(東インド会社もいろいろあるんだ)オランダもイギリスとの戦争でNYの毛皮(NYの発見者はオランダ)とインドネシアの香辛料を交換したり(種をイギリスに盗まれモーリシャスで栽培されて値下がりしうまみなし)してナポレオン戦争後インドネシアに専念し、イギリスも東南アジアから撤退しインド経営に乗り出す。
アヘン戦争で清をつぶしたイギリスと通じて日本の明治維新を走り抜けた坂本龍馬が亀山社中(株式会社)を作り海援隊を作って薩摩長州にジャーディン・マセソン社(東インド会社関連で現存する・長崎支店がグラバー亭)から武器を買わせて現物出資し、福井の松平春嶽から金銭出資をうけて倒幕を画策した、、というより国際的武器商人とつるんで内戦を企画したのか回避しようとしたのか、とにかく無血開城を成功させた、、戊辰戦争起きちゃったけど、、ましかし明治維新は「謎」。でも、なぜ坂本龍馬が日本の株式会社の創始者なのかはこれで理解できる。日本を巻き込む欧米列強の植民地抗争は明治維新よりも前にあったのだ。