■今日は1日フリーだと言うので僕の案内したいところを回った。メリアホテルに一番近いホアロー刑務所は僕も始めての場所。以外にモダンな改装になっていて外国人の定番ルートらしく観光客も多い。英語圏が多いようなので先日亡くなった米国議員のベトナム戦争の捕虜体験に関連してこのハノイ,ヒルトンと呼ばれた監獄を見に訪れるアメリカ人が多いのかなと思う。この点はニャチャンのパスツール研究所のイエルティン博物館を訪れるフランス人観光客の少なさと対照的だ。
次に少し歩いて大聖堂に向かう。ここでは一見ヨーロッパ観光客受けする場所でありながら実はベトナム文化の基礎となる仏教の底力とフランス占領の過酷さを象徴する場所でもあることを見せたかった。2人とも全くの観光客モードなので「にせノートルダム大聖堂」が気に入ったようだが僕が見せたかったのは程近い、ほとんど気がつかずに通り過ぎてしまう路地を入ると驚くほど広く立派なバーダ―(石の女性)寺だ。この不思議な伝説を持つ曹洞宗のお寺(詳細はハノイ歴史研究会のウエブページ参照)に今日も観光客は1人もいない。
大聖堂の敷地はあのまぼろしの「パオティエン」塔があった場所なのだ。チャンパを制圧し文廟を建立したリ・タイントンが仏教の聖地として建立した40メートル12層の青銅塔で中国軍によって破壊されたが、その青銅を武器に鋳潰して敵と戦ったという、、。その場所をフランスはキリスト教のシンボルに置き換えた。しかしハノイ市内各地に隠れたように無数に散在する寺院はこの社会主義国のなかでも変わりなく維持され信仰の拠点になっている、、と、いうことを伝えたかった、ついでに、「竈の神」をはじめ大聖堂やバーダー寺のどこにでも女性が登場するということもふくめて、、。
次にタクシーで文廟に行く。仏教に帰依し仏教の聖地を作ったあのリ・タイトンが何故、宿敵中国の宗教である儒教の孔子廟である「文廟」を造ったのか?まさにベトナム精神中核の謎である。後に最初の大学として国士監が造られ取り入れられた科挙制度は中国ではなくなった後も続いていた。前回浦田君を連れてきたとき、国士監どこに行ったの?と思ったが気がつくと横の細道をたどると5番目の広場に出られたのだった。浦田君ごめん!。文化大革命で中国は礼節を失ったが、ベトナムには残っている。おかげで僕はバスで座れるし大声を出すと車掌にしかられる。
文廟の前の池で一休み。頼んだチャンリャオは水で薄めすぎてなんじゃこれ?文廟横の日本食レストランで僕はかつ定食、彼らはチャーハン。おいしかった。バスでタイムシティに向かう。
地下2階のモールに両名感激したようだ。僕も1年半前はお客がいないのに売り場全部に店員がいることに感激し、今は1年半で普通にお客がいることに感激した。村上氏が探していたチョコレートはなかなかいいベトナムのお土産になるなと思った。価格比較に次はイーオンモールにバスで行く。僕の行くルネスを紹介して上の階でシュークリーム。僕もこの辺は来たことがない。価格は同じぐらい。トイレに行くと便器のメーカーも同じ。両氏より、ここのトイレは日本標準以上との評価を受けた。
ホテルに帰り食事。近くの店で久々のブンチャー。好評。ベトナム食をこき下ろしている手前、うまくないと思われているかもしれないがブンチャーは例外的な僕の好物でした。