傘というつめたい骨の束をとく
白鳥を三人称の距離に置く
詩の死後を観光客の撮る祭り
ポインセチアめいた頭痛で休みます
飛ばないでいられるいもむしのくらし
かまきりは冬に葉書は灰になる
浴びているうちに春風らしくなる
「自生地」福田若之 第一句集 東京四季出版 2017年刊行
著者紹介:1991年、東京都生まれ。俳句同人誌「群青」「オルガン」に参加。ウェブマガジン「週刊俳句」を共同運営。
傘というつめたい骨の束をとく
白鳥を三人称の距離に置く
詩の死後を観光客の撮る祭り
ポインセチアめいた頭痛で休みます
飛ばないでいられるいもむしのくらし
かまきりは冬に葉書は灰になる
浴びているうちに春風らしくなる
「自生地」福田若之 第一句集 東京四季出版 2017年刊行
著者紹介:1991年、東京都生まれ。俳句同人誌「群青」「オルガン」に参加。ウェブマガジン「週刊俳句」を共同運営。
本研究協議会加盟の川柳噴煙吟社が「川柳ふんえん」誌850号を記念してこの3月に4回の吟行が計画されています。第62回熊本県芸術文化祭参加行事でもあります。県内各地で活動をしている川柳団体のある地域を回る吟行です。川柳は俳句と違いあまり吟行をする機会は少ないようですが、吟行での作句とともに離れた川柳仲間との交流が楽しい会となりそうですね。
①3/6(土)荒尾、②3/17(水)阿蘇、③3/26(玉名)、④3/29(天草)と県内くまなく回る計画が発表されています。詳しくは「川柳ふんえん」2月号参照。
参加した方に①の第1回目の報告をしていただきました。
ー川柳ふんえん誌850号記念荒尾川柳吟行会ーに参加して
3月6日(土)は吟行会への参加は初体験でしたので、早朝出発ということもあり、5時半の目覚ましアラームより早く起きてしまいました。熊本市内方面から8名、荒尾・玉名・大牟田等から18名が参加し、26名の吟行会となりました。
週間天気予報が良い方向に外れて、雨の心配はいらない吟行となりました。荒尾干潟は2012年にラムサール条約湿地登録簿に登録センターも開設されており、当日もガイド役の職員さんの説明を受けた後、句材を求めて散策しました。渡り鳥の中継地としても有名で、シギ類、千鳥、かもめ等が群れをなしていることが多いのです。魚はトビハゼやムツゴロウなどが見られるのですが、干潮の時刻や干潟に棲息する鳥類との調整が上手くいかずほとんど出会えませんでした。
句会は、会場を市の中央公民館に移して、嘱目吟(しょくもくぎん)と当日の席題「会う」に挑みました。開会前に出席者全員の自己紹介がありましたが、立ち上がってマスクを外し、終わるとマスクを付けるという変則的な自己紹介となりました。
長距離移動、現地の天候など吟行会の難しさも体験しましたが、沢山の佳句と楽しい柳友に出会えたひとときでした。
迷い道潟の香りが道標 和己 (報告:益城町 村上和己)
有明海の荒尾干潟。ここは福岡県との境です。遠くの島は長崎か。
みなさんまじめに作句。
文芸のジャンルとはよくいう言葉ですが、明確な定義などあるはずがありません。特に短詩文芸においてはそのあいまいなところが魅力ともいえるでしょう。字数や書き方にも原則こそあれ、一刀両断的に定義することはむしろ文芸からは遠い考え方といえます。わずかの純粋さと俗の矛盾のなかで作句の日々です。(Y)
ここに九州で発行されているジャンルをこえた2つの文芸誌を紹介します。
「連衆」(れんじゅう) 編集・発行人 谷口 慎也(大牟田市) 年4回発行
もう30年以上前から発行されているのですが、俳句と川柳が一緒に載せられています。俳句が主ですが俳句誌ではなく、表紙には〈短詩型文学誌〉という表記があります。5人の川柳人の名前が見えます。
ユーフラテス川の呼吸で起き上がる 笹田かなえ
影は影である 名前はまだない 神田カナン
階段の途中でダチョウ倶楽部かな 楢崎進弘
踊らばや乳房を薔薇と呼び替えて 情野千里
鮟鱇鍋ひっくり返す夢ばかり わ いちろう
「We」(うぃ。) 共同編集発行人 加藤 知子 西田 和平(熊本市) 年2回発行
これは俳句短歌誌とうたってありますが川柳も載っています。しかも俳句川柳の区別なく同列に配置されています。たぶん2人が川柳人でしょう。
(適材適所)ビル・マーレイは壁になる いなだ豆乃助
薔薇園の薔薇になったりせぬように 〃
父だろう余分に貼ってある切手 しまもと莱浮
定位置に挟まりだした干しぶどう 〃
※ 編集発行人の加藤知子さんに『We』編集の考え方をおたずねしたところ次のようなお返事をいただきました。
「『We』は、年2回なので句会報みたいなものというより読み物として面白いものを目指しています。
俳句として提出されたものは俳句
川柳として提出されたものは川柳
短歌として提出されたものは短歌
それぞれのボ-ダーにある作品であれ、だれが何と言おうと作者がそういえばそうなのです。そして、短詩としては線引きをする必要はないのかもしれません。ただそこに作品がありそれを味わうのみ」