いつか来る悔し涙の海捨てよ
( いつかくるくやしなみだのうみすてよ )
連れ合いは、ちゃんと大阪市内に両親と一緒に住める一軒構えているのだが、
元小学校教員の妹(私より4歳年上)が、超我が儘で気分屋で、同居が、無理でした
彼女が嫁に行くまで、夫婦で暮らすということになり
ずっと、別居しております
つまり、彼女が、お嫁に行かなかったのです
正確に言うと、行けなかった のかな
そんな調子ですから、彼女は、親戚の付き合いもしません
ひたすら、姑との濃密な関係だけが彼女の世界です
気分が、コロコロ変調するので、気疲れします
考えようによっては、彼女のお蔭で、気楽に夫婦二人で
暮らせているのです
小説になりそうなエピソードが、沢山ありますが、ここで記すのは
遠慮しておきますね
ただね、病院で看護師さんと喧嘩をしないかハラハラなんです
先日も何やら、やらかしたようです
「ごちそうさん」に登場したあの意地悪小姑和枝さんの比では、ありません
和枝さんは、それなりに、自らもビシっとしていましたし
船場言葉(*)が、上品でした
先日、姑の病室で、おかしなことがありました
義理妹: 「ごちそうさん」の意地の悪い小姑の役していた女優さん
お義姉さんの高校の後輩やよ
わたし; ええッ あの意地の悪い小姑の女優さんがぁ ??
知らんかったヮ
世の中にあんな嫌味な小姑いるかぁ
主人公も・・・苦労してはったなぁ・・・
知らん間にお嫁に行ってはったねぇ
私の脳の回路: そういえば、何処かにあの人にも勝る意地悪小姑おったなぁ
そうや、 今隣に居る人やがな
おまけに禁句の「嫁入り」って言ってしまったわ
わたし; ・・・
次の言葉に窮してしまった
どう続けようかしら
彼女の種火に火を点けないようにしなければなりません
義理妹: ・・・
私の頭の中の言葉に気が付いたみたいです
そこへ、看護師さんが、入って来て 話は、 有耶無耶になりました
後で思い出しても、あの時の小姑と私の微妙な間合いが、可笑しくニタニタしてしまう
(*)船場言葉:大阪弁でも、大阪の商家を中心に使われていた上品な言葉です
小説で言うなら「細雪」に出てくるような言葉です
写真のカモメは、10日の記事にupしたカモメたちの中の1羽です
姑は、先生もビックリの回復でございます
肺炎は、治りました
後は、栄養を効率良く与える方法を決定して、体力回復を図る事を考える段階です
今日は、ベッドの上で動きまくって、脚を上げるわ、じっとしていませんでした
99歳の姑も 真っ青
104歳のおばあさまが、同じ階に入院中でした
私は、お会いしたことないのですが、夫曰く
元気に歩いてトイレに独りで行ってたって
そして今朝、退院なさたって
勝気な姑を奮い立たせるエピソードとなればね
なんだかね 一矢報いたって感が無きにしも非ず ですね ゴメン!
驚異的な回復 良かったですね
今後家で看る事が事が出来る様になるといいですが そうなると また負担が増えるのでしょうか?
年寄りは本当に魔物ではないかと思いますよ、私の義兄も95歳ですが願をいくつも抱えていて今も喉頭がんの手術をして元気で帰宅、声も枯れていたのが治って来ています、老夫婦2人で暮しています。
夫も私もそれを見て驚きを通り越して怖くなったくらい・・
あの時代の人は総じて強いです。
そうなんです
自分でも、分かっているのかな ? でした
先日も、看護師さんを怒らせたらしいです
義妹は、困ったことがあると、しおらしいのですが、
それが、解決すると、妙に強気になります
姑は、今日の午後、車いすに乗れ、見晴らしの明るい部屋で
過ごしました
思わず「じぇじぇじぇ!」って言ってしまいました
週明け、先生から「今後の予定に」ついて、お話があるそうです
やっとユリカモメに会えました
本当 義妹に教えて貰った児童が、可哀想です
校長先生も手を焼いたとの噂です
考えようによっては、夫婦二人で気ままに暮らし
”カシャッと”にも参加出来たと、良いように考えるように
しています
姑の事、実は、諦めた夜もあったのです
覚悟するように診断したお医者様が、驚いて
いらっしゃいます
今日もベッドの枠に足を上げて、行儀の悪いこと
年上の義妹さんには、気を使われるでしょう。別居していて、良かったですよ。
その家は、しまそだちさんご夫婦の家ではないのですか?マー、であっても、一緒に住むより、今の状態がいいですね。
毎日、目を見張る回復で見舞うのも、楽しいものですね。
認知症もあるので、食事をどう方法で摂るようにするか、
問題なのです
家の心配はしなくてよいよ って言われて嫁に来ました。
気楽で良かったと、思うようにしています
その間に、外で色々良い経験が、出来ました
今更、義妹との同居は、こちらからゴメンです
還暦も過ぎてから、あの意地悪を辛抱する気は、ありません
姑が、居る限りは、
しかもしまそだちさんより4歳年上・・・。
そう聞くだけでも、大変だろうなって…御察しします。
99歳のお姑さんもいらっしゃるし、・・。
亡くなった姑は突然怒り出す人でした。
どこに地雷が潜んでいるかわからなくて時々思いっきり地雷を踏んでしまい
怒りを買う時があって、良く戸惑いました。
今法事の時など取り仕切ってる義妹が、なぜか亡き姑にどんどん似てきています。(^_^;)
義妹が姉をたてるのは当たり前だーといってあげなさい。
「地雷」分かります
義妹も、正にそうなんです
叔父や叔母にだって食って掛かります
嫁に来た時、怖くて怖くて
先生ってストレス溜まるんだなぁって思っておりましたが
退職しても同じです
それも、結局 姑にも悪い点が、あったようです
親は、絶対に子供の対して負い目を持ってはダメですね
とんでもございません
家には、一切給料は、入れず、兄貴の働いたお金
好き放題食べてきました
自分で料理出来ないので、今 ですが、愚痴は、聞こえないふりしています
「・・・当たり前」なんて言おうものなら、頭からお湯を
ぶっかけられますわ
>姑さんがいらっしゃる限りは頑張る。
これで思い出したことがあります。
私の同級生女性、37歳の時ご主人が急死されました。
結婚した時から親夫婦、姉、弟と同居で、舅さんをおくり、ご主人を送り、弟さんは結婚して義妹ができ、やっぱり同居、大きい家の昔からの商業を家族でやっていました。
お姑さんが良かったので、弟夫婦と気まずくても、義姉さんが意地の悪いことをしても言っても我慢していました。
お姑さんが良くしてくれるので、<送るまでは>と言っていました。
義姉さんには泣いていましたね。
お姑さんが、しっかり遺産分けをしてくれて逝かれました。街中に相当の土地をもらいました。
今は、婚家先の家を出て自分の家を建て、適当な人と同居しています。
という、お話を思い出しました。
ただそれだけのこと。無駄話でした。
それが、問題なんですよね
こんなことにならないように、舅と姑が、
自分たちで商売が出来るようにしてくれていましたので
何とか、なりますが、
全部、妹が、取り込んでしまうのは、納得できませんよね
ただ、私たちの物には、関知してほしくないのです
子供が、居ないので、やっかいです
その点に関しては、法律のお世話になる日が、いつか来ると
思います
実は、骨折で通院していた頃、姑も認知症が、進み
言葉もあやふやになる頃
「申し訳ないねぇ
実家のお母さんに、恥ずかしい」ってふと姑が、もらしました
それを聞いた時、最後までは、しっかり看てあげようと思いましたの
病院の廊下で二人で、泣きました
吾亦紅さんのお話と同じようなケースが、田舎でもありました。
夫を亡くしたお嫁さんは、何も無しで家を出されたそうです
子供も居るのに・・・
名義は、全て姑さんが、持ったままだったのだそうです
私は涙は少ないのです。でも、こういう話はわが身にもひきつけて、、、不思議と涙もろくなります。
義妹さんが同居してたから、そのままズルズルと言うのは、おかしいですね。
お姑さんが、理解していらっしゃるのが分かったのは、良かったです。それでも、その時は認知症がでていたら、、、そうでなくても、義妹さんがみてるから、遺言を自分で作るのも、頼みに行くのも無理でしたね、恐らく。
しまそだちさんの田舎のケースも、身につまされます。孫のことを何と考えているやら…と思いませんか。
私の同級生には子供もいませんでした。今は、それなりの平安を得ているようです。
思ったことを書いたので、お返事はいりませんよ。