震災忌けじめはつかず波静か
( しんさいきけじめはつかずなみしずか )
先日、田舎から戻る時、明石大橋から神戸の町を見る、
あんな事があったのは、嘘だったように復興しているかに映りしました
あれから16年
幸い、家族、親戚、友人、仕事仲間、誰も、命の被害はありませんでしたが、
神戸に暮らす新婚早々だった仕事仲間は、
あの日、夕方6時まで、水一杯飲めなかったとか、
先行きが全く見えず、空腹と不安を抱えて泣いていたと話していた
住んでいるマンションが、倒壊して、再建問題が、中々片付かなかった人も居た
島の同級生は、無事だったけれど、近所のお年寄りを
助けるために、土まみれになったとか
人々は、それぞれに予期せぬ事態に
その時、その日を過ごすのに精一杯だった
丁度、先日話題になった西宮戎の前など、
灯りの無い殆ど暗い道、地震のエネルギーを
思い知らされる光景が、広がっていた
一方、地震に関する報道が、毎日から、 12月のルミナリエと
1月だけになり
今年は、1月17日の直前3日ほどとなり
徐々に少なくなるように、記憶も段々薄くなって行くのだろうか
第一、自分も準備している避難袋の詰め替えが、つい疎かになっている
他の地域にも、大きな地震の被害に遭った方もいらっしゃいます
もう阪神淡路だけの事としてでは無く
万一の事態に速やかに適切に対応できるknow-howを整えて
対策を怠らないようにしなくては
ただ、被災した人々には、癒えることの無い記憶だと言う事実が
消える事はない
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
先日、田舎から戻る時、明石大橋から神戸の町を見る、
あんな事があったのは、嘘だったように復興しているかに映りしました
あれから16年
幸い、家族、親戚、友人、仕事仲間、誰も、命の被害はありませんでしたが、
神戸に暮らす新婚早々だった仕事仲間は、
あの日、夕方6時まで、水一杯飲めなかったとか、
先行きが全く見えず、空腹と不安を抱えて泣いていたと話していた
住んでいるマンションが、倒壊して、再建問題が、中々片付かなかった人も居た
島の同級生は、無事だったけれど、近所のお年寄りを
助けるために、土まみれになったとか
人々は、それぞれに予期せぬ事態に
その時、その日を過ごすのに精一杯だった
丁度、先日話題になった西宮戎の前など、
灯りの無い殆ど暗い道、地震のエネルギーを
思い知らされる光景が、広がっていた
一方、地震に関する報道が、毎日から、 12月のルミナリエと
1月だけになり
今年は、1月17日の直前3日ほどとなり
徐々に少なくなるように、記憶も段々薄くなって行くのだろうか
第一、自分も準備している避難袋の詰め替えが、つい疎かになっている
他の地域にも、大きな地震の被害に遭った方もいらっしゃいます
もう阪神淡路だけの事としてでは無く
万一の事態に速やかに適切に対応できるknow-howを整えて
対策を怠らないようにしなくては
ただ、被災した人々には、癒えることの無い記憶だと言う事実が
消える事はない
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ビルひとつ想い出ひとつひきかえて
淡路島にもスターバックス登場
仕事に出て初めて知りました けれど何処の国の事と思ったのをハッキリ覚えています
人間って凄い!自然に打ちのめされても立ちあがるエネルギーがありますね
よくぞここまで復興したと…
16年経っているもの 記憶から薄れて行くのも不思議ではないですね
折にふれ気を引き締める事も大切と思い知らされたました
私は、当時、島に住んでいました。阪神方面には働きに出ている方が多い土地柄でした。皆さん、どんなにか心配なさったことか、身近で見ていました。
今では、すっかり立ち直っているかに見えますね。
でも、忘れないでいましょう。
防災にも努めねば、と言いつつも、何もして無い私です。
今日のページ変ですね
タブが何処か間違っているのだろうと、チェックしましたが
原因がわかりません
いじっていて記事が消えちゃったら困るので
このままです
申し訳ありません
実は、実家は全く被害がありませんでした
水の道が変わったらしく、小さな壕が、水を溜めなくなってしまったくらい
家族は、丘を一つ越えたところのひどい状況を知ったのは、3日後だったんです
神戸でも、地震を知らない人が4割だそうです
地震も切ないですが、三宅島など火山噴火で
島を離れるニュースを聞くのも辛いです
「島」とつくと、つい仲間意識です
従姉など、あの朝娘をとにかく本土へと思って、船に乗せたら、神戸の方が被害が大で
防災用の乾パンの保存期間も2回目が終了しました
買い換えないとね
とにかく一日分用意しておけば、
なんとかなるらしいです