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茶室いろはのい(4)~そもそも「茶の湯」って何?
お茶関係の本を読んでいると、我々が日常お茶と関係していると思っている用語の多くが
江戸時代以降に成立したり、あるいは意味が変わってきている可能性があることに気が付きます。
茶道と言う言葉もその一つで、侘茶成立期にはこのような言葉はないのだそうで。
でも、だいたい、そもそも「茶の湯」って何?、って思ってWikiとかで検索すると
「茶道」に転送されてしまうんだよねー(苦笑)。
そこで一応Wikiでの定義を引いておくと、
「茶道(さどう、ちゃどう)とは、湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為。また、それを基本とした様式と芸道。」
となっています。で、ポイントはそれを基本とした「様式」とは何か、と言う事ではないかと。
*その他よく総合芸術云々と言うことが書かれていますが、これは文化論であって、
それを持って茶道、あるいは茶の湯の定義とすることはできない。
で、なんで「茶の湯」の定義に拘るのか、と言えば、それは「茶の湯がいつ成立したか」に係るからです。
ところで、一般的な解説では、室町期の闘茶や書院台子の茶、あるいは唐物数寄が
禅宗の思想や連歌の美意識の影響を受けて/取り入れて侘茶に展開した、というストーリーが
実在の定かでない「村田珠光」という人物の業績と重ねて説明されています。
(珠光論は手に余るので、興味がある方は下記などを参照してください)
千利休の「わび」とはなにか 神津 朝夫 角川学芸出版 2005-07-27 売り上げランキング : 236031 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
では「プレ茶の湯」や侘茶以前の「茶の湯」は、実際どんな様子でおこなわれていたのでしょう??
ここで、下記の本に倣って茶の湯の成立条件を「どこで、どうやって、何で」の三点、
すなわち「茶室」「茶事・点前」「茶道具」であるとして考えてみます。
茶人たちの日本文化史 (講談社現代新書) 谷 晃 講談社 2007-02-16 売り上げランキング : 328619 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
まず「どうやって」の茶事と点前のうち「点前」ですが、
これにはホストがゲストの目の前で自ら飲料を造り、
しかも自分は飲まないという点に大きな特徴があります。
良く考えれば、一般にゲストを招いて飲み物をふるまう場合、
裏方で使用人が準備をしてそれをホストとゲストで一緒に飲むのが普通な訳で、
当然室町将軍家で抹茶を飲む際もそうされていたはず。
(従って「書院台子の茶」というものの実在も危うい訳ですが)
何れにせよ「ゲストの前でホストがお茶を点てる」というのは大きな特徴です。
で、その立て方に一定の様式性が生じて「点前」として(たぶん1600年前後に)纏められた、と。
そして茶事。茶の湯はこの「お茶を点てて飲む」という行為の他に
食事をしたり飲酒をしたりという一連の行為全体で「茶事」を構成していますが、
その手順・段取りが一定程度定式化しないとやはり茶の湯とは言いにくい感じですね。
今の時代の侘茶系の禁欲的?な茶事がメインストリームな状況からすると想像しにくいですが、
飲茶はもともとは宴会の一イベントだったので、
秀吉などの武将の茶会や江戸期の公家の茶事は
もっと宴会的な要素が強く、自由で楽しいものだったようです。
*公家に関しては秀吉が禁中茶会(1585)でプレゼンするまでは殆ど行われていなったようです。
茶人 豊臣秀吉 (角川選書) 矢部 良明 角川書店 2002-10Amazonで詳しく見る by G-Tools |
次に「何で」ですが、これは「舶来品の道具」、すなわち唐物ですね。
唐物はもともと将軍家等の上流階級が所有していたわけですが、
室町末期(15世紀後半~16世紀前半)になるとこれらが富裕町人層にも流出し、それらを使って茶が立てられていた。
・・・というか、お茶を立てることより道具を見せびらかすことが主眼だったようですが。
とにもかくにも成立期の茶の湯における茶道具は「唐物」です。
これらをただ並べるだけでなく、どう並べるかのセンスが問われてくる。
つまり「道具の取り合わせ」ということに楽しみを見出してくる訳です。
そして最後に「どこで」、ですが、それがどこでも良かった訳ではないらしいのが
「茶室いろはのい」で茶の湯成立期の話にコミットしてきてしまった理由なんですね、はい。
やはり室町将軍家絡みで「会所」という場所で行われた「会所の茶」みたいなことが言われ、
また、市中の「草庵」的なものに茶室の源流を求める見方もあるようですが、
いずれにせよ15世紀後半に連歌などの趣味の部屋が徐々に「茶の湯専用空間」
すなわち今で言う「茶室」(当時は「茶屋」)になって行った、というイメージの様です。
ただ、「なぜ専用の空間を求めたのか」はイマイチよく分からないし、
現実に衝立を立てて仮説的な茶空間を設定している事例もあるようです。
まあ、本業とも違うし、家族の生活の場でもないし、
普通に今で言う「仲間と集まれる趣味の部屋が欲しいな~」
で、金持ちだから「じゃ、作っちゃおうか」
・・・といった程度のノリから始まったのかもしれません。
ここでも茶の湯が「富裕町人層の文化」であることが伺えますね。
以上三点揃って茶の湯の成立と考えられるようですが、
やや集中的ににわか勉強しては見ましたが、「プレ茶の湯」の状況はおろか、
成立期の茶の湯の様子も案外良く分からないというのが残念ながら現状の様です。
それはある意味「侘茶の成立」のインパクトの強さの証明かも知れませんねー。
そして茶室に関しても、現存する最古の茶室は利休作と信じられている「待庵」なので、
それ以前の茶室については文献から推定する他は無く、
そのためリアリティーを持って想像することがなかなか難しい。
しかも、今日要請されている「茶室」とも直接的な関係もないので、
結果我々の茶室に対するイメージは良くも悪くもある種の固定されたものになっている訳です。
(丸太、白木、塗り壁、躙り口、エトセトラエトセトラ)
しかし、このイメージが利休、あるいは侘茶本来のものか、
体系化が進んだ江戸期の解釈を一度取り払って眺めてみると新たな発見があるかもしれません。
そんなことを思ってプレ茶の湯、プレ侘茶期の茶の湯について思いを巡らしてみましたが、
う~ん、お茶、習わなきゃ駄目か。でも苦手なんだよね、ひたすら形を覚えることから入らなきゃいけないものが。。。
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