桜を求めて岡山県津山市の【津山城址】へ
年寄泣かせの入り口階段あり
【もみじ】見事な巨木、見事な枝ぶりに圧倒
その上、何とも美しい葉と花をつけていた 入り口階段を登った広場に自然に咲く菜の花
何しろ45mですから、絶景かな、絶景かな、でも端に立つと足が震うのです
津山城は、本能寺の . . . 本文を読む
第22番札所【多陀寺】
この度廻った九寺の内唯一【島根県内】のお寺
山陰海岸・石見路にある街「浜田」、中世には大陸貿易の主要港として栄えた街
その石見路を代表する屈指の古刹が多陀寺
開山の流世上人、唐に留学僧として渡り、806年唐より持帰った金色観音像を
安置したのが始まりとされている
仁王門の傍には天然記念物の大楠 . . . 本文を読む
第21番札所【観音院】
観音院は、民家の密集する橋本川河口の急な傾斜の高台にあり
城砦を思わせる石垣上にそびえ建つ
眼下に見える【常盤大橋】のそこはすでに日本海にそそぎこむ橋本川の河口
萩市の橋本川と常盤大橋
観音院は古くより、海の護り観音として崇められていた
また、大道無門に境内を開放していたので、幕末には志士たちが
会合所として利用し、激論を交わしていたと . . . 本文を読む
第20番札所【大照院】
8世紀末ごろから9世紀初頭に月輪山観音寺という前身寺院が
あったが、創建の事情は定かではなさそう・・・
その後鎌倉時代末期に建長寺の義翁和尚が大椿山歓喜寺と改め、
臨済宗の寺院としたが荒廃、初代藩主の菩提寺とするために
1654年~1656年にかけて再建し、秀就の法号にちなんで
霊椿山大照院と改めた
その後1747年に焼失、現在の本堂等は、6代 . . . 本文を読む
第18番札所【宗隣寺】
777年に唐より来朝した為光和尚が、故国に似たその景観を
愛すると共に、山よりの湧泉に霊感をうけて【普済寺】を開板
戦国時代末期に廃絶の憂目にあうが、徳川4代将軍・家綱の時代
1670年に長州藩永代家老で宇部領主であった、福原氏15代が
寺の再興をはかり菩提所とし、亡父元俊公・宝嶺宗隣居士の法号に
ちなみ宗隣寺を建立
第19番札 . . . 本文を読む
第17番札所【龍蔵寺】
龍蔵寺の創建は、奈良時代698年と言うから、確かに古い
豊後の彦山から飛来し、岩窟に熊野大権現を勧請(かんじょう)して
秘法の護摩供を厳修したと言うのが寺縁起
まぁ~なんにしても、盛りだくさんのお寺でしたねぇ~
きょろきょろしてしまいました
入り口
いきなり【七福神】
十二干支がずらり
主人の【亥年】
私の【辰年】
観音 . . . 本文を読む
第16番札所【洞春寺】
14世紀中頃から約200年間大内氏の本拠地だった山口市
今も尚大内文化の面影を色濃く残す街であり、大内氏の文化遺産が
たくさん残されている中心的存在がこの【洞春寺】
しかし、大内氏滅亡後、この地を支配した毛利元就の菩提寺となる
中門 本堂
本堂には紀州犬がつながれていて . . . 本文を読む
第15番札所【漢陽寺】
【漢陽寺】は用堂明機禅師により開山、この方は当時名僧の誉れ高く
唐に渡り、11年余の長きにわたって学び仏道を究めた僧を1374年に
大内氏26代当主が招いて開山、大内家の祈願寺とした
実は寺の前の駐車場に入った途端に、「あっ!以前来た寺だ!!」と気づいた
何できたのかは忘れたが、おそらく庭を見に来たと思う
寒い時期で、駐車場の側の田んぼの水引のところに . . . 本文を読む
忘れてた感があった霊場巡り・・・
「そーだ!」と春の訪れと共に思い出し続きを再開・・・
前回第14番目の【大聖院】で終了していたので、
今回は山口県の【般若寺】から再開
特別霊場【般若寺】
般若寺の名の由来は、用明天皇(聖徳太子の御父君)に招かれて
瀬戸内海を京へ向かう途中、風波の難に会い、若くして亡くなった
般若姫の菩提を弔うため、夫である用明天皇の勅願で、姫の父で . . . 本文を読む
なんと日本人の7割の人が、【無宗教】と答えるそうだ
しか~し、驚くなかれ【初詣】は世界最大の宗教と解く、その心は・・・
イスラム教の大巡礼、年に一度の【メッカ】へは世界から【約200万人】が
集まるという大イベント
しか~し、日本の初詣にはお正月3が日に半端でない人々が押し寄せる・・
それもメッカの200万人越えが・・・
*【明治神宮】319万人
*【成田山新勝寺】298万人
*【 . . . 本文を読む