私の行きつけの神社なんていうと怒られそうですが、その方面へウォークしたときは
必ずお参りをし、お賽銭を入れているので、勝手に思っているわけです
その賽銭箱の側に置かれていた無料冊子を持ち帰ったのです
神社の神主さんが実際の出来事や思いを書かれたものをまとめられた本ですね
「神は我らとともに在る」的お言葉はありがたく私の心にとどめさせていただき、なか
なか勉強になったお言葉かエピソードなどを少々
読んで一人で笑ってしまったのが
☆ある若い男性が「家内安全」を聞き違えて、「かなり安全の祈願をお願いします」と
言ったとかミシェランじゃあ~あ~りませんが、三ツ星獲得
「かなり安全」まあ、この世の中、絶対っていうのはなかなか難しいのはわかりま
すが、「かなり」で手を打ったのですねこの方、笑った、笑った
お勉強になったのが
☆神輿をかつぐ時の掛け声について
・東京浅草では「オリャ」と言うこれは、がんばれと言う意味で、我を折り曲げぬ事が
がんばるの原義。その我を張る為に「俺や=オリャ」と掛け声が出たところから
・「ソイヤ」は問屋街で荷物をかつぐ時や、リヤカーで荷物を運ぶ時に手を「添えや=
ソイヤ」となった。
・ホイサは時代劇の駕篭かき、ヨイサ、チョイサ、ヨイヤサなど思い荷物を皆でかつぐ
時に調子をとって掛け声を掛け合ったのが、威勢がいいから地方の神輿やろうが真
似た
・そこで、神社の神輿は庶民の神輿とは違う。御神霊が乗られる神輿はただの重い
荷物とは違う。神霊にはふさわしい掛け声がある。
「和し背負え=ワッショイ」と言う
之は暮らしやすい社会は誰もの願いである、それには互いに和し会い助け合わね
ばならないということから来ている。
神が最もお喜びになられる言葉であると結ばれている
まことにもって、仰せの通りにございますなぁ~
私は宗教はいまいち信じられないし、好きになれません。
しかし、神(とあえて言うとしたならば)という存在には畏敬の念を密かに抱いている
また、神は外にあるのではなく、人間の心の内にあるものだと思っている
神を外に置き、人を殺したり、欺いたり、支配する人に神があるとは到底思えない
神を内に置く人に、そのようなことは決してできないと思うからだ
しかし、凡人、神には程遠い私など、常に反省の日々、そんな時、神にお詫びをするため、神に手を合わせる
そう、確かに「神」に対する畏敬の念を心に持っていれば、人間正しく生きられるはず…。
宗教と言ってしまえばちょっと引いたりするけど、正しく生きるためのより所は持っていたいなと思います。
キャサリンさんのブログには時々考えさせられます。
有難う~、来年もよろしくお願いします。
よいお正月を
色々と心に思うことはたくさんあるのですが、重すぎて、暗すぎて私のブラックな一面です
このような私ですが、お見捨てなきよう、来年もよろしくお願いいたします
よい年をお迎えくださいませ