ここ数年でしょうか。
やってしまった人を多くの人が攻撃しまるような風潮になったのは。
おそらくなのですが、「マスコミの広告的な効果が、アクセス数や反応数、視聴率などの数値が重視され、数字をとらないと広告がなくなってしまうから」ではないでしょうか。
その結果、人がエモーショナルな部分にひっかかる内容のコンテンツを、過大とも思われるように発信することになったのです。
「倫理的」な問題が狙われています。
正義感というか、鬼退治というか、悪事を働く組織に戦いを挑むときは組織のメンバーは殺戮してもココロが傷まないどころか、「してやったり!」みたいな気分になり、高揚するのではないかと思っています。
ここで気を付けたいのは、「この手の話題は、自分にとって、まったく意味がなく、見たり感想をもったり、話し合ってみたりすることは、ムダ」ということです。
いらないのです。
知らなくてもいいことを考えるくらいなら、違うことに時間を使った方がいいと思います。
ただ、見始めると、見ちゃうんですよね。
そのように仕向けられているからです。
そうならないように、できるだけ、避けるようにしています。
電車に乗ったら変なひとがいた場合は、違う車両に移動するのですが、それと同じように、移動しています。
これ、おすすめです。