ユキノシタは母の好きな花のひとつです。
私が生まれてから父が倒れるまでの11年間、住んでいた家の裏の石垣に季節になると沢山咲いていました。
大正2年生まれの母は私にとっては、年のいった親で学校に行き出してからは、何かしら友達の親と見比べては母を避けていた記憶があります。
ですから小学校の入学式の記念写真以外は皆、私の後ろには年の離れた姉が写っています。母にとって私は我儘な末っ子だった事でしょう。
それでも家では一緒に居る事が多く、だからでしょうか母とよく花を植え、手入れをし名前を教えて貰いしたものです。
そんな母も父が亡くなってからは、未だ中学生だった私に肩身の狭い思いをさせたくないと、民生委員の援助も断りひたすら働くようになりました。
母が今の私の年齢位だったのでしょう。勿論、専業主婦だった人ですから当時パートタイマーという言葉があったかどうか解りませんが、琵琶湖畔に新しく出来たホテルを兼ねた娯楽センターで朝も夕も休まず働いていました。
結局その仕事を80歳過ぎるまで続け、89歳まで誰の世話にもならず一人で暮らしていたのです。
今、母は姉の家族にお世話になっています。
先日里帰りした時、母は足の関節が腫れて「歩き辛い」としょぼくれていました。そして物忘れが多くなった事を私に悔やみました。
90過ぎてそんな事を悔やむ母に、「ええやん、今日のことだけ覚えてたら」と励ましにもならない事を言っておきましたが、姉の勧めで『おぼえがき』日記を付ける事にしたとか。
帰り際、杖をついて外まで送ってくれた母は、私にお土産代をにぎらせ、「お母ちゃんにしてやれる事はこれだけやし」と言いました。そして車が動き出すと手を振るのではなく、合掌して見送られてしまいました。
今度も母と話が出来る間に帰ろう。母が私の名前を忘れないうちに帰ろう。頭の中がグルグル回りました。
このような私事を此処で書くのはどうかと思いつつ、実はルンバルンバさんの処で知った『はるこさん』のブログに大きな衝撃を受けたのが、私も心の中を一度開放してみようと決めたきっかけでした。
「おかあちゃん、此処でもユキノシタが咲いたよ」
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