この話の続きみたいな形で話をしてみたい。
ひとりで思い出話に華が咲いている今であるが、20年前の1994年の中学時代からも浮いた存在であり、話せる友人と呼べた存在はいたにしても、ファンの歌手の話なんぞしても、当たり前の話、受けやしなかったのは言うまでもない。
画像は、ファンの歌手篠原美也子の楽曲であり、向かって左手側からサードシングルの『ジレンマ』、サードアルバム『いとおしいグレイ』、4thシングル『ありふれたグレイ』、5thシングル『名前の無い週末』で、1994年から1995年あたりに世に出たものである。ジレンマは1993年だったか?
この楽曲達に出会ったのは先だってから話している様に彼女がパーソナリティをつとめていた『オールナイトニッポン』で、『ジレンマ』は別のラジオ番組で知った記憶がある。
彼女の深夜放送を聴いている時は、何か満たされていて、その深夜帯の空気が好きだった。それに今みたいな夏場は深夜28時あたりから空が明るくなり始めできて、おお朝ですか――みたいな感じだった。
友達付き合いも良くなく、学校生活もたいして面白くなくクラスから良い目てでは見られずの私にとって、深夜帯の彼女の放送を聴いている時は、そんなしがらみから解放されて、彼女が語る話と放送の雰囲気が好きだった。これは今ではもう味わえない感じでその当時だから出来た話である。
このまま、夜が明けて明かずして、楽しくて現実なんてどうでも良い、と思えるくらいな気持ちになっていたのは違いないと思う。親からは怒られはしたけれど。
「篠原美也子?誰それ?」と言う誰も知らない歌手と楽曲を知っていることでの優越感は当時としすれば、お宝見つけた的な想いがしたと言う事は話した通りだけれど、それを知ったとしても、所詮は「なんだお前?」と言う冷たい目で周囲から見られるのは言うまでもなく、誰からも良い意味で認められる事はなかった。悪い目でしか見られなかった。だが、そんな現実を吹き飛ばしてしまうのが、彼女がそんな風にラジオのパーソナリティをつとめていたのを聴いていた時間帯だった。
オールナイトニッポンは彼女に限らず、何人かのものをちらっと聴いていたりして、深夜帯はそんな意味で誰もが知らない眠る時間帯であったとしても、私には特別なものがあったのはそんなところからではないか、と今頃になって気づくのはあまりに遅すぎる話である。
私以外の誰も知らないそんな昔々の深夜帯にまつわる話だが、今も画像に挙げた楽曲は好きであり、お気に入りのものである。いつかに話したがアルバム『いとしいグレイ』はメジャー時代の彼女の傑作であり、ほぼ全ての曲が良いなと思えたし、『名前の無い週末』はシングルとしては最高傑作といっても過言ではないくらいなものが私にはある。
誰に知られていない時間帯の多くの人が知らない歌手にまつわる話を、20年が経過した今、今更語ってどうする?であるが、こんな時だから、時間が出来たこの今だからこそ語れる話として、書いた。しかしそれもまた、誰にも理解されぬままに時間だけが過ぎていく事もまた解っている。
ひとりで思い出話に華が咲いている今であるが、20年前の1994年の中学時代からも浮いた存在であり、話せる友人と呼べた存在はいたにしても、ファンの歌手の話なんぞしても、当たり前の話、受けやしなかったのは言うまでもない。
画像は、ファンの歌手篠原美也子の楽曲であり、向かって左手側からサードシングルの『ジレンマ』、サードアルバム『いとおしいグレイ』、4thシングル『ありふれたグレイ』、5thシングル『名前の無い週末』で、1994年から1995年あたりに世に出たものである。ジレンマは1993年だったか?
この楽曲達に出会ったのは先だってから話している様に彼女がパーソナリティをつとめていた『オールナイトニッポン』で、『ジレンマ』は別のラジオ番組で知った記憶がある。
彼女の深夜放送を聴いている時は、何か満たされていて、その深夜帯の空気が好きだった。それに今みたいな夏場は深夜28時あたりから空が明るくなり始めできて、おお朝ですか――みたいな感じだった。
友達付き合いも良くなく、学校生活もたいして面白くなくクラスから良い目てでは見られずの私にとって、深夜帯の彼女の放送を聴いている時は、そんなしがらみから解放されて、彼女が語る話と放送の雰囲気が好きだった。これは今ではもう味わえない感じでその当時だから出来た話である。
このまま、夜が明けて明かずして、楽しくて現実なんてどうでも良い、と思えるくらいな気持ちになっていたのは違いないと思う。親からは怒られはしたけれど。
「篠原美也子?誰それ?」と言う誰も知らない歌手と楽曲を知っていることでの優越感は当時としすれば、お宝見つけた的な想いがしたと言う事は話した通りだけれど、それを知ったとしても、所詮は「なんだお前?」と言う冷たい目で周囲から見られるのは言うまでもなく、誰からも良い意味で認められる事はなかった。悪い目でしか見られなかった。だが、そんな現実を吹き飛ばしてしまうのが、彼女がそんな風にラジオのパーソナリティをつとめていたのを聴いていた時間帯だった。
オールナイトニッポンは彼女に限らず、何人かのものをちらっと聴いていたりして、深夜帯はそんな意味で誰もが知らない眠る時間帯であったとしても、私には特別なものがあったのはそんなところからではないか、と今頃になって気づくのはあまりに遅すぎる話である。
私以外の誰も知らないそんな昔々の深夜帯にまつわる話だが、今も画像に挙げた楽曲は好きであり、お気に入りのものである。いつかに話したがアルバム『いとしいグレイ』はメジャー時代の彼女の傑作であり、ほぼ全ての曲が良いなと思えたし、『名前の無い週末』はシングルとしては最高傑作といっても過言ではないくらいなものが私にはある。
誰に知られていない時間帯の多くの人が知らない歌手にまつわる話を、20年が経過した今、今更語ってどうする?であるが、こんな時だから、時間が出来たこの今だからこそ語れる話として、書いた。しかしそれもまた、誰にも理解されぬままに時間だけが過ぎていく事もまた解っている。