goo

19~20年前の水曜深夜27時 その2

2014年08月03日 01時36分33秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
この話の続きみたいな形で話をしてみたい。

ひとりで思い出話に華が咲いている今であるが、20年前の1994年の中学時代からも浮いた存在であり、話せる友人と呼べた存在はいたにしても、ファンの歌手の話なんぞしても、当たり前の話、受けやしなかったのは言うまでもない。

画像は、ファンの歌手篠原美也子の楽曲であり、向かって左手側からサードシングルの『ジレンマ』、サードアルバム『いとおしいグレイ』、4thシングル『ありふれたグレイ』、5thシングル『名前の無い週末』で、1994年から1995年あたりに世に出たものである。ジレンマは1993年だったか?
この楽曲達に出会ったのは先だってから話している様に彼女がパーソナリティをつとめていた『オールナイトニッポン』で、『ジレンマ』は別のラジオ番組で知った記憶がある。
彼女の深夜放送を聴いている時は、何か満たされていて、その深夜帯の空気が好きだった。それに今みたいな夏場は深夜28時あたりから空が明るくなり始めできて、おお朝ですか――みたいな感じだった。
友達付き合いも良くなく、学校生活もたいして面白くなくクラスから良い目てでは見られずの私にとって、深夜帯の彼女の放送を聴いている時は、そんなしがらみから解放されて、彼女が語る話と放送の雰囲気が好きだった。これは今ではもう味わえない感じでその当時だから出来た話である。
このまま、夜が明けて明かずして、楽しくて現実なんてどうでも良い、と思えるくらいな気持ちになっていたのは違いないと思う。親からは怒られはしたけれど。
「篠原美也子?誰それ?」と言う誰も知らない歌手と楽曲を知っていることでの優越感は当時としすれば、お宝見つけた的な想いがしたと言う事は話した通りだけれど、それを知ったとしても、所詮は「なんだお前?」と言う冷たい目で周囲から見られるのは言うまでもなく、誰からも良い意味で認められる事はなかった。悪い目でしか見られなかった。だが、そんな現実を吹き飛ばしてしまうのが、彼女がそんな風にラジオのパーソナリティをつとめていたのを聴いていた時間帯だった。
オールナイトニッポンは彼女に限らず、何人かのものをちらっと聴いていたりして、深夜帯はそんな意味で誰もが知らない眠る時間帯であったとしても、私には特別なものがあったのはそんなところからではないか、と今頃になって気づくのはあまりに遅すぎる話である。
私以外の誰も知らないそんな昔々の深夜帯にまつわる話だが、今も画像に挙げた楽曲は好きであり、お気に入りのものである。いつかに話したがアルバム『いとしいグレイ』はメジャー時代の彼女の傑作であり、ほぼ全ての曲が良いなと思えたし、『名前の無い週末』はシングルとしては最高傑作といっても過言ではないくらいなものが私にはある。
誰に知られていない時間帯の多くの人が知らない歌手にまつわる話を、20年が経過した今、今更語ってどうする?であるが、こんな時だから、時間が出来たこの今だからこそ語れる話として、書いた。しかしそれもまた、誰にも理解されぬままに時間だけが過ぎていく事もまた解っている。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

自作物語『シンガーソングライターズ』を巡る話 その3

2014年08月03日 00時51分10秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
引き続き自作物語『シンガーソングライターズ』を巡る話――といってもあとがきからになってしまうが。

↑この話は私が高校生だった頃の話なので、今から17年程前になる。1997年とか98年当時の話を書いているが、執筆答辞の20年前も似たようなもんだったか?と思う。京野世佐美ストーリーなんて書いても自己満足以外の何物でもないのに、どうして書きたくなったのかと言えば、ひとえに、ファンの歌手への憧れであったと思う。たまにしかラジオで会えない人ではあったけれど、初回に執筆した当時の1994年の暑さの残る秋くらいだったような気がするが、何か心をひかれたのだ。
「お前は高校生らしくない」
高校1年の時、少しの間だけ親しかった同じクラスの人間に言われた言葉を私は未だに忘れられていないが、言われた当時は、悦に入っていたようにも思う。しかしそれは、「付き合うのに扱いに困る」と言う意味も含まれており、やがて、学生を終えたその先でやって来る2007年のどん底期に直結するとは思いもしない話であった。
思えば、金か女か車かスポーツかしかない世の中で、私のような人間は本当に共通する点がないのが悲しい所であり、確かに「付き合うのに扱いに困る」は間違いではなく、返す言葉もない。


この話でも書いたが、「何者かになりたい」と言う言葉を書いたのはこの頃だったのか、と読み返して発見であったが、この時はまだ、「有名になりたい」と言う想いが「何者かになりたい」と言う言葉の裏にあったとは想いもよらなかった。
私は何にしても、再び2007年と同じくした時を迎えてしまったが、今度はどんな物語が現れるやら見当もつかない。
そして、何者にもなれぬまま、堕落の日々がまたやって来てしまった。
また辛い現実を突き付けられるかと思うと、立ち直れなさそうである。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

自作物語『シンガーソングライターズ』を巡る話 その2

2014年08月03日 00時26分34秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
自作物語『シンガーソングライターズ』を巡る話の続き。

↑話は早くも「あとがき」にうつる。先程、何回目とも知らず、作品を読み返して見たけれど、文字数制限があったせいで、物語がどこか「あらすじ」風になっており、やけにバッサリ切り取られているなと思う。こうなって、ああなって――がメインでかなり浅い話と言うか物語になってるの?的な香りさえする。自分で書いていて何を言う、とひとりでボケツッコミ。

7年前の2007年に今では観られない他人のサイトに掲載したのは、先日話した夢川遥平ストーリーが如く。このblogに掲載したのは、2008年と今から6年前の話で、そんなもんかである。

この「あとがき」によると、この物語そのものは初めて執筆したのが2007年当時で13年前とあるので、記憶の彼方になくした初版に執筆したものは20年前の話になる(一体何回未完のままに改訂したり或いは書き直したりしたやら解らない)。――みたいな話は今年2014年のどこかで話した通りだが、改めて世に送り出そうと執筆していた当時2007年当時、私はかなりこの物語を書く事に夢中になっていた。本来ならば別な事に力を向けなくてはならなかったのだが、製作に躍起になっていて、楽しかった~と言うのが実際の所。

↑「今書かないと御蔵入りになる」と言う想いは、本当に強かったのと、辛い現実から逃れたかった事と共に辛い現実に敗北したその力が執筆を推し進めたとも言え、私には有り難い瞬間だった。しかし、「書き難さ」は本当にあって、2014年の現代から数えて20年前の記憶を掘り起こすのはキツかったし、実際、完結させた訳ではないので、かなり2007年当時の気持ちでこの話を書いたのも事実である。



goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
   次ページ »