舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

先輩の本

2007-11-13 23:53:13 | ぼくはこんな本を読んできた
作家の瀬戸内寂聴さんは、東京女子大の先輩です。
その先輩の最高傑作の一つである『源氏物語』完訳が、今年文庫化されました。

瀬戸内さんの『源氏』の刊行が始まったのは、かれこれ11年前のことでした。
当時中学1年だった私は古典文学が大好きで、特に源氏物語は無謀にも漫画化を謀ったほど好きでした。(『あさきゆめみし』つー素晴らしすぎる先達があると知り頓挫しましたが)
しかしハードカバーゆえその価格は2,000円超×10巻!!!13歳にはいささか、いえ、そうとうキビシー出費でございます。かといって私は一人っ子のせいで人のお下がりを使えない性分で、古本を買うこともできません。
しかたなく、文庫化の時を執念深く待つことといたしました。

で、待ってるうちに実に11年の歳月が流れてしまったんですねえ。
その間いろんなことがありまして、奇しくも瀬戸内さんと同じ大学に行くことになったわけです。尤も、それを知ったのは入学後だいぶ経ってからでしたが。
パイプオルガンの音色麗しい校舎手前のチャペルとか、校門を入ると正面に見えるクラシカルな本館(かつては図書館だったそうな)に瀬戸内さんも足を運ばれたのかと想像すると、不思議な縁になんとも趣深く思われるのでした。(←微妙に古文風)

そう、早速読みはじめております、巻の一!!
あらすじや重要場面はとうに知っていましたが、改めて読むとやっぱり面白いですねえ。
先輩の訳がまた素晴らしいです。って後輩の贔屓目じゃなく、文の雰囲気や内容を原文から大幅に変えることなく、なおかつ現代語として自然な文章に仕上がっています。仕事が丁寧なのですな。
さすが、これまで長きにわたって源氏物語に取り組んでこられた方だけのことはありますね!!
物語がすでにご自分のものとしてしっくりしている感じがうかがえます。

古文の時間に、現代文と同じく生徒が一人ずつ朗読する時間があったのですが、私はこれが大好きでした。
声に出して読むと、字面では意味不明だった古文の一つひとつの言葉の意味がはっきりして、生きた言語として頭にすんなり入ってくるのです。
瀬戸内さんの文章は、黙読しているだけでまさにそれと同じ現象を味わえるような感じです。古典らしさを損なわないまま、意味をすんなり理解できるのです。頻繁に出てくる歌の訳もリズム感の良い文章で、歌の情緒が味わえます。


すんなり理解してみて改めて思いました。
源氏の君、女に節操なさ過ぎ。
つーか光り輝くばかりの麗姿と頭脳明晰で芸にも優れているという美辞麗句に騙されそうだけど、冷静に見ると男としてけっこう最低です
女と見れば見境なく手を出すし、行間読むとどうも男にも手を出していそうだし、女に対して口うるさく注文つける(けどやっぱり手は出す)し、お父さんの後妻に懸想したあげく手を出す(けどやっぱりほかの女にも手を出す)し、紫式部さんも源氏に対して敬語を使っておきながら、女癖の悪さに対しては結構冷ややかなツッコミも入れていて、それがひそかに面白いです。

極めつけは有名な紫の上のくだりですね。そう、療養先で見かけた美少女(注:幼女)に執心し、ほとんど誘拐レベルで自宅に連れ込んだ挙げ句、自分好みの女に躾ける(とかいいつつやっぱり遅からず手を出す)というアレです。
い、異常だ。あんたは『痴人の愛』のジョージか。あ、コッチが本家か。

いっそのこと紫の上がナオミ並みの悪女で、あの源氏の君がさんざ振り回された挙げ句愛の奴隷にされるというのなら面白いですが、あいにく源氏の君の絶望的な女癖はその後も永遠に続き、紫の上を苦しめることになります。
まあ、最終的に源氏の君にも天罰が下り、恋人たちがみんな自分をおいて出家とかしちゃっていく上に、あろう事か自分の奥さんの一人をほかの男に取られちゃうわけですが、そのへんはこの日本一有名な古典のこと、私が解説するまでもないですね。

この『源氏物語』、瀬戸内先輩の風雅な文章と源氏の君のダメ男っぷりが見事なコントラストをなした傑作です。
原作者の紫式部さんも漢詩などの教養のすぐれた才媛だったと聞きますから、きっと遥か昔にこの原文が発表された頃も、当時の人はこのコントラストをさぞ面白く読んだんじゃなかろうかと思います。

東京ディズニーリゾート便利帖

2007-08-03 02:38:19 | ぼくはこんな本を読んできた
私はディズニーリゾートがとても好きです。
どうも愛の形が普通のディズニーファンとはたしょう違う気がしないでもないですが、まあ愛があることにかわりはないわけで。
どのくらい好きって今を遡ること4年前、授業が1時限で終わったのをいいことに、ほとんど発作的に大学からまっすぐディズニーシーに駆けつけたくらい好きです。
それも一人でですよ。
なにぶん発作的だったゆえ、同行の友を見つけることが出来なかったのです。「ねぇ一緒にディズニーシー行かない?今からなんだけど」まず無理でしょう。

幸い真冬の平日で人影もまばら。しかし、ショッピングバッグを持ち首からパスポートホルダーとポップコーンバケツを提げてニヤつきながらひとり園内を闊歩する黒ずくめの女、今思えばそうとう不審だったにちがいありません
とりわけ明らかに怪しまれていたのは、そのいでたちでマーメイドラグーンで汗を流しつつアイスを貪っている時でした。
寒いと評判の真冬のディズニーシーだったにもかかわらず、あまりにハッスルして歩きまわっていたため、非常に暑かったのです。

とはいえ、私が行けるのはせいぜい年に1~2回がいいところです。
これって「好き」とか言ってるわりには微妙な数字だよな。ディズニー愛がさほどでもない人でも、そのくらいは行ってたりしますもんね。
そうすると、いつ行っても何かしら新しいアトラクションやショーがあります。
こういう頻度になってしまうのはひとえにうちが泊まり掛けでなければ行かないのと、母マミちゃんが病的に飽きっぽいからです。
私が園内で少しでも近道を選んで通っていると、「さっきからここばっか通ってるじゃん。もう飽きたんだけど~~」とぐずりだすほとんど3歳児です。
だから何か目新しいイベントやってるとかダンス中心の新しいショーだとか、そういう飽きないためのエサがないと重い尻が上がりません(重いのはサイズにも問題が)。
まあクリスマスシーズンだけは、パレードのトナカイダンスが母を誘惑してくれそうなので助かります。あの人、何を隠そうトナカイですからね。普通のキャラクターに食指が動かなくても、トナカイにだけは甘いんです。

私は凡そ好きなものに対してストーキング、もとい情報収集で攻めるのが好きなタイプなので、ディズニーガイドブックを異様に大量に持っています。
ちなみにディズニーのガイドには2種類あり、キャラクターや園内の写真・イラストが掲載されている公式ガイドと、それらが載ってない非公式のものがあります。
そういった非公式のガイドブックの一つが、私の最も好きな堀井憲一郎『東京ディズニーリゾート便利帖』(新潮社)なのですね。
そろそろこれのことを書こうと思っていた矢先、めでたく改訂版が発売されました。
私の初版第一刷(表紙が黄色だった)はディズニー行きのたびに持っていき、その前後も読み倒していたので、表紙が取れるほどボロボロです。
こんなになるまで読んだのはこれとアスプリン『マジカルランド』シリーズ初期の作品だけだよ。って、こんなとこでそんな誰も知らないマニアックなユーモアファンタジー出してどうする。

これはじつに画期的なディズニーガイドです。
何が凄いって、既存の非公式ディズニーガイドは口コミであったりとか著者が足を運んだ際に学んだ混雑サバイバル法やお得情報をのせているわけですが、ホリイさんの本に書かれた情報はすべて徹底したフィールドワークによって蓄積された膨大なデータから得たものなのですね。
つまり実際にすべてのアトラクションやレストランの前に立ち、一時間ごと(!)の待ち時間の推移やファストパス(公式に横入りできるチケットのこと、ただし先着順でなくなり次第終了)のなくなり具合などを綿密に調査しているわけですね。
だからこの本に紹介されているモデルコースに「このアトラクションは夜景が綺麗だから夜に乗りましょう」みたいな角度からの判断はなし。あくまでもデータに基づいた「混雑の裏をかくまわり方」「乗りたいものをなるたけ効率良く制覇するまわり方」といった観点から提案されているのですね。

そもそも著者のホリイさんという方は某雑誌で「ホリイのずんずん調査」なんて連載をしている方で、世の中のありとあらゆるもの(たとえば「ラーメン店の冷し中華はいつ始まるか」など)を徹底的に調べあげる執筆家です。
その調査対象を選ぶのが巧いのもさることながら、この方、文章が素晴らしく面白いのです。
というかもう言葉遣いから何から徹底して私好み。ホリイさんの文章を真似したいと思ったこともあったけど、私ごときじゃとても無理です。
くわえてホリイさんはえらく博識で、ディズニーランドのアトラクション解説やなんかを書いてる間にも、いきなりまったく関係のない小ネタに話がぶっ飛びます。これがまた巧いんだな。
あまりに巧すぎて引き込まれ、つい混雑予測のデータより小ネタの方に頭がいってしまい、そっちばかり覚えてしまったりとか。

ホリイさんの知識はカメラの撮り方にまでおよび、ディズニーリゾートでうまく写真を撮るためのコツも伝授してくれます。
これなんかとくに、ディズニーの従業員マニュアルに加えたっていいくらいですよ。だってこないだ私たちに「お撮りしましょうか?」と親切にも撮ってくださった従業員のお兄さん、ホリイさんの指南してたことが出来ていないために、かなり残念な写真の腕前でしたもの.....。せっかく申し出てくれるんなら、ねえ。
あそうそう、所謂「キャスト」を断固として従業員とか係のお兄さんとか呼ぶのも、ホリイさんと私の光栄なる偶然の一致のひとつです(笑)。なんかそういうひねくれ者の匂いに同調している感はあるな。
シンドバッドの冒険をアメリカの正義的に解釈つーか改竄した『シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ』についても、私がうっすら思ったことは私一人の意見ではなかったのね、と安心しました。さすがにシンドバッドの打楽器の叩き方が間違ってることまでは書いてなかったけど(笑)。

巻末にはアトラクションに関係の深いディズニー作品を見ていない人のためのあんちょこもあります。じっさい、発禁になっちゃった『南部の唄』の詳細は、私もここで初めて知りました。

とにかくこの本のいいとこは、ディズニーの公式・非公式のほとんどの本と違い、必ずしも子供連れのファミリー層を対象にしてないことです。
大人向けの情報を中心に載せてくれてるガイドブックってほんと少ないですから、この配慮はありがたいですよ。じっさいにはカップルも大人の仲間同士も私のような大人になりきれない大人も行きたいし、情報を得たがっているわけですものね。

ハリポタ続行中

2007-07-22 01:58:29 | ぼくはこんな本を読んできた
ハリー・ポッター第7巻は、忙しくて途切れ途切れなりにとりあえず無事読み進めておりまして、9章の後半までいきました。
ウ~、しかしこれでようやく4分の1か。先は長そうだ.....。
とはいえ、英語は恐れていたほど難しくないですね。第1巻『賢者の石』を原書で読んでチンプンカンプンだったときは高校生だったので、さすがに大学4年分は英語力がましになっていたのかと思うと、じつに安堵します。

難しいのは呪文や固有名詞です。だいたいは英語の変形なので類推で何とかなりますが、中にはどんな呪文だったか思い出せないものもあり、こんなことなら前作までの翻訳の時点でもっとまじめに呪文を覚えておくんだったと後悔しきりです。
「アバダ・ケダブラ」はよく覚えているけどね。あれだけは私も使えるようになりたいぜ。ヒッヒ(黒)。

それより私がこれを行く先々で読んでいるため、店員さんなどに「あの人ハリーの原作読んでる」ということが異様な早さで知れ渡ってしまい、「最後まで読んだら結末教えて!!」とか言われています(笑)。
私の英語解釈に間違いがなければいいんですけど.......。

そして、あんのじょう序盤からそうとうダークな展開であることは稚拙な私の理解力をもってしても明快です。
禁忌をおかして最後だけ若干読みましたが(オイ)、締めはけっこう明るいものの、そこに至るまでは暗く険しい茨の道が延々と続いておりますです。
すでに、私の好きな人も何人か命を落とすことが分かっています(今まで読んだ時点で、つまりかなり最初の頃で死ぬキャラクターもあり)。
なかばこうなることを覚悟していた人もいれば、「ええ!?彼/彼女が!?ウソ、それはやめてえ!!」という人も....(泣)。
命こそ助かりますが、とても手痛い目に遭う人もいて、それも見ていて辛いですね。

今後物語が進むにつれてさらに重い展開になってゆくこと必至ですから、臆病な私はあまり夜遅くに読むと眠れなくなりそうです。

Harry Potter and the Deathly Hallows

2007-07-21 23:19:16 | ぼくはこんな本を読んできた
ハリー・ポッター第7巻をゲットしました。
日本版では『ハリー・ポッターと死の秘宝』のタイトルで来年夏に発売されるとのことですが、来年夏までなんて待てるかあーッ!!!ウガアーー!!となかば野獣化して発売日当日に本屋さんに駆け込みました。

はたして、ロンドンや都心と違い、午前遅く行ったにもかかわらず普通に店頭に並んでました(笑)。
無理して早起きして並ぶ覚悟で出陣しなくてよかった.....。

なおかつ、出版元のブルームズベリー社からの特典で、画像のプチ紙袋がついてきました。
プチといってもこの本を入れる用なので奥行きは異様に厚いです。日本語版の静山社もこういうのを付けてくれてたけど、確かに重くてがさばるハリポタ本を入れるのに普通のバッグでは厳しいのでとても便利です。

しかし電子辞書まで携帯して準備万端!!と思っていたのに、一日なんだか忙しくて思うように読めませんでした(泣)、
まだたったの3章までしか読めてません。こんなぐあいじゃ、36章759ページを読み終わるまでにどれだけかかることやら....。

いよいよ明日

2007-07-20 23:43:02 | ぼくはこんな本を読んできた
遂に明朝、ハリー・ポッター第7巻"Harry Potter and the Deathly Hallows"が発売されます!!
もちろん私も明日買いますぞ。栃木県内で探した結果、やはり信頼している紀伊国屋でゲットできることが発覚、アメリカ版を予約しました。
(英語版としてイギリス子供版、イギリス大人版、そしてアメリカ版が出版されます。私は第1巻がアメリカ版だったので、最後もそれで行こうと思います。)
買いにいくにあたって電子辞書は必携です(笑)。

しかしなあ、英語が強い(とされる)大学のしかも言語文化学科とか出たくせに、本国じゃ子供も読んでるような本に辞書が必要というのはちょっと切ないぞ。
実は大学に入った際、私はなぜか帰国子女とか英語のできる人の割合が異様に多いクラスに投じられてしまい、英語コンプレックスのあまりスペイン語とかハワイ語に傾倒していったという痛い過去があるのです。

なんたって英検が3級ぽっちというのは、そのクラスに限らず大学のどこを見渡しても私以外にほとんど見当たらなかったものなあ。
でもそれは中学時代あまりに多くの生徒が英検を取っているのを見て、「猫も杓子もやるようなコト私ゃやりとうない」と早々に投げてしまったのが原因なので、たんなる自業自得です。

私は朝が弱いので開店と同時にゲットというのは無理っぽいですが、午前中には買いにいけるように、今日は珍しく早めに寝ようっと。

フラ雑誌三つ巴

2007-07-13 23:11:09 | ぼくはこんな本を読んできた
現在刊行されているフラ雑誌3誌の「2007メリーモナーク特集号」が出揃いましたので、この機会に3雑誌を比べてみたいと思います。
全部ゲットするわという方はもちろんそれでオッケーですが、どれも1,000円以上だから3冊買ったら高すぎるし読むのも大変、と思われる方の参考にしていただければ幸いかと。

まず、改めて3誌を創刊順にご紹介いたしましょう。

一番の古株はアドウェーブ『フラレア』です。
創刊は7年前、まあフラブームはすでに始まっていましたが、これだけカラーページの多いフラ専門誌を出すのはけっこう勇気が要ったはずです。今ほど広告も多くなかったですしね。
しかしこれが大当たり。あれよあれよという間にページ数が増え、カラーページの割合も増加の一途を辿り、いまやたいていのフラ・ダンサーにその名を知られ、押しも押されもせぬ地位に達したといえましょう。

そうなってくると便乗商品が出てくるのが世の常です。
というわけで登場したのがイカロス出版『素敵なフラ・スタイル』(通称すてフラ)でした。
ハッキリ言わせていただきますけどコレ、出た当初の第3号くらいまではげろげろにダサダサ(特に表紙)でした。
思い起こすと恥ずかしいくらいです。っつーか、編集部の皆さんすら、昔のを見るといい大人になってから青春時代に書いた感傷的なポエムを発見したときのように赤面すると思う。まあ、そういうセンスでした。

しかしそのままではさすがにいけないと思ったのか、編集スタッフに専門の知識がない分(※これはあくまで想像ですが、誤字脱字の多さを見ると間違ってはいなさそうだ)、専門家を執筆陣に迎えることにしたようです。
ということで登場したのがわがハワイ語の(いえ語学全般の)スペシャリスト・フセボ先生や、矢口佑人先生だったのでしょう。
なまじの半端な知識を持った人がツッコミどころ満載の記事を書くよりは、こうして確かな実力のある方にお願いしたほうが遥かに賢明です。
というわけで、フセボ先生の連載開始後は毎号買ってます。

なお、ダサ過ぎて失神しそうだった表紙も、最初の数号以降はイラストレーターさんが担当しています。
このイラストに関する私の個人的な好みはさておき、最初の頃のおぞましい表紙よりは間違いなく良いです。よほど読者の不評が殺到したのか.....。

そしていよいよ出ちゃいました3匹目のドジョウ、つまりフォーシーズンズプレス『フラ・ヘブン』
なんかもう、ばりばりフラレア意識しまくりで、発売日もサイズも価格もカラーページの量もこのうえなくソックリです。
創刊号が丁度昨年のメリモ特集に当たったため、わりかしハワイのネタをメインに書いてて良いかもと思って買っていたのですが、すぐに正体が発覚しました。
これ、雑誌じゃないです。フラ&ハワイ広告集です。

ほかのフラ雑誌もたぶんに広告集としての役割を持っている(フラレアの出版社なんて元は広告社ですものね)けれど、フラヘブンはいくらなんでも抜きん出過ぎです。
だって広告を広告として出さず、記事に身をやつした広告の連続なんですもの。
「実力派先生に聞くフラの基本」なんてのを見ると、その「実力派先生」ってのは巻末に教室の広告を出してる先生ばっかりだし、ミュージシャンインタビューをよく見ると別ページに広告が載っているし、今回もウェディング特集のフリをしたウェディング会社の広告が......。
おいおい、あからさま過ぎるんと違いますか。
でもって、よく見ると広告が絡んでなくて文筆担当者自身に知識が求められるような記事は、驚くほど少ないことが分かります。
おそらくやはり編集者に十分な知識がなくて自力でネタを書けず、記事広告を載せればそれでカバーできて一石二鳥だと思ってるんだろうなあ。

天下のファッション雑誌と比べたら申し訳ないけれど、VOGUEあたりにもブランドなどの広告が大量に載ってますが、あれはちゃんと広告自体がアートしてるんで、たくさん見ても楽しいものです。
加えて執筆陣が分かっている人ばかりですから、何かの宣伝のための記事を書くにしても、ちゃんと自分で咀嚼して説得力のある文に仕上げられています。

VOGUEの域を目指せとはいわないけど、専門誌の編集者ならそれはもうプロ。流行に便乗して(上から言われて)あんまり分からないまま始めましたなんて言い訳は通用しませんよ。
素晴らしいフラを踊れるようになるのはとても大変だけれど、自分の知識をふまえた宣伝記事を書ける程度に勉強するのはプロならばまったくもって簡単なことですので、ぜひ精進して下さい。

VOGUEと書いて思い出しましたが、今回は「メリーモナーク衣装ファッションチェック」をのせたフラレアに個人的最優秀賞を贈呈したいと思います。
なぜなら、フラで(特にメリモあたりの大会になると尚更)衣装について言及されるときはどうしても「メレの意味に適切か」のみが焦点となりがちで、ビジュアル的な善し悪しはほとんど注目されなかったのです。
これが我々としては不満だったわけですよ。

今回のファッションチェックにももちろんそういうことも書かれていましたが、加えてバランスから見たレイのボリュームやスカートの裾の長さなど、マミちゃんが普段細心の注意を払っている(のに多くの人は気に留めていない)重要事項へのコメントがあって嬉しく思いました。
私にいわせればまだまだ手ぬるいけれど(笑)まあ、言及されたというのは大きな一歩です。

いつも言ってることですが、どれだけ意味と合っていたってビジュアル的にダサかったらまるで無意味なんですぞ。
センスの良いクムフラの多くは、たとえ誰からも表立って注目されなくても、この点にきっちり気を遣っていることが一目瞭然です。

フラ界はついトラディショナルな意味で優れていることに重きを置かれがちだけど、センスという点で優れたクムフラもどんどん注目され賞賛されてしかるべきだと思いますね。
それがフラ界全体の洗練にもつながると思いますので。

ハリー・ポッター7前夜祭

2007-07-09 23:40:34 | ぼくはこんな本を読んできた
一大センセーションを巻き起こした世界的ベストセラー・ファンタジー『ハリー・ポッター』シリーズの最終巻発売が、いよいよ間近に迫っています。
といっても洋書の話で、日本語訳が出るのは遥か先のことですけれどね。
英語にすこぶる自信がない私は今までの6巻、すべて辛抱強く翻訳の出版を待って読んでいたのですが、最終巻ともなると話は別です。
ついに己の怪しすぎる英語力をも恐れず買ってしまう決意をいたしました。

私のように最終巻を待ちわびている人は世界中にいるとみえ、ある大手ハリポタサイトの記事をまとめた本がこのほど出版されました。
その名も『みんな集まれ!ハリー・ポッター7 前夜祭』です。

これは「マグルネット」というサイトに集う人々が、既刊に書かれた伏線を手がかりに、最後となる7巻の展開や登場人物たちの運命などを事細かに予想したものです。
ハリポタはファンタジー小説の姿をとったミステリー漫画だと私は思うので、伏線から謎を解くのは確かになによりの醍醐味です。
これがコナン・ドイルやアガサ・クリスティのように作家が過去の人となり、著作が全て出そろった段階になれば、どういう結末になるかは自明の理ですから「いかに巧みに伏線が張られたか」が論議の的となるわけですが、ハリポタの場合(少なくともあと10日ほどは)未完の作品であり、ファンが謎解きに躍起になるのは自然の流れといえましょう。

さすがこういうサイトで活動しているメンバーだけあり、執筆者の読み込み方はそうとうなものです。もう、重箱のスミつつきまくり。
「そんな記述あったっけ?言われてみりゃそんな気も...」なんて細か~~い一語一句にもこだわり、確かに論拠のある予想だわ、と納得させてしまうほどです。
もっとも、最終巻が本当に彼らの予想のまんまだったとしたら、原作者ローリングさんはさほどうまい伏線の張り手じゃなかったってことになっちゃうので(ようは種や仕掛けを見破られた手品師ってことですもんね)、ある程度は裏切ってくれることを期待してますが。

とはいえこの本の中でも、ある程度公平を期して複数の意見が掲載されていたりもします。
たとえば前作『謎のプリンス』で命を落とした(とされている)ハリーの最大の味方、D氏の生死については、真っ向から対立する二つの意見を紹介しています。
その上で某法律相談所よろしく『当サイトの判決』を出しているんですけどね。

それでも一貫しているのは、「ハリーは絶対に生き残る」とする立場です。
もう、私が「かえる好きに悪い人はいない」と思い込んでるのと同じくらい頑なな、半分希望にすがっているともいえる信じ方なのです。
(その上で「では誰が死ぬか」についても予想しています。何しろ作者のローリングさん自身が、主要登場人物の死を公言していますから。しかし、ハリーの親友であるロンとハーマイオニーについても、この本は「助かる」という意見を貫いてます)。

そりゃあね。10年見守って応援し続けていた主人公が死ぬ、または大切な親友を失うなんて、あってはならないことだと思いたいですよね。
でも私は(史実である新選組は別としても)魅力的な主人公が亡くなってしまう作品をいくつも知っているし、ローリングさんはそもそも、すごく人気の高い、しかも重要な人物を死なせることに躊躇しない作家です。
私の大好きな『十二国記』の小野不由美さんにもそういうとこがありますが、ローリングさんほど容赦なくはないぞ、ハッキリ言って。

だから、あまりハリーの無事を妄信しすぎない方がいいと思います。
何しろ巻を重ねる毎にどんどこダークサイドに突入してったこの作品のこと。もはや、ソフトなファンタジー愛好家やあまり気丈でない子供にはついていけないところまで来ています。
ペシミスティックで何だけど、ローリングさんがそのダークカラーを極限まで突き詰めたとしても私はまったく驚きません。

ただ気になるのは、物語の流れが(というかハリーの考え方が)世の中や人間を「善」と「悪」の二項対立で捉えようとしていることです。
「不死鳥の騎士団(善)」と「死喰い人(悪)」...そんなわかりやすい対立が世の中にあっていいんでしょうか。裏切りとか寝返り、更生なんてのはあっても、かたや完全なる善、かたや完全なる悪です。
こういう傾向って欧米の作品ではよくあるんですが。「白と黒の間には、限りないグレイゾーンがあるんだよ」ってな文化で育った我々にとっては、まったき善がまったき悪に打ち勝つなんて話、どうもうまく行き過ぎてやしないかって気がしますよね。

だからまあ、もしこの物語がその路線を貫いて勧善懲悪で終わる気なら、悪玉はみんなやっつけられて、ハリーの無事は確定でしょう(まあ、作者がアメリカ人だったらそうしたでしょうね)。
でも、ローリングさんが敢えてこの善悪完全二項対立に一石を投じたいがためにわざと今までこういう書き分けをしてきたんだとしたら、最終巻でこれが一気に覆され、ハリーの生死よりもっと重要な意味を、この作品は持つようになると思います。

この研究書はすごく熟考されていて、原作が出て結果がわかった後でも十分面白く読める本だと思います。
しかし私個人的には、極端な話もはや誰が死んで誰が生き残るかとか、ましてや誰と誰がくっつくか(笑)なんてことにはほとんどこだわりはないのです。
それよりもすべての謎が明らかになり、謎解きとしての楽しみ方がされなくなったあと、どれだけ熟読され研究されるだけの価値を持ち続けられるかどうか。つまり、空前の大ベストセラー小説は本当に古典となりうるのか、『指輪物語』や『ナルニア国』『ゲド戦記』などとどれだけ肩を並べられる不朽の名作たりうるのか、ひたすらそのことに興味があります。

きっと今「いえ、ハリーポッターは不朽の名作です!」と考えている方は多いと思います(もちろん私も含め)。
でも真実がわかるのは今じゃない。10日後の最終巻発売後ですらない。映画化もひととおり終わり、5年10年と経った後でなければ、この作品の本当の価値はわかりません。

『名探偵ホームズ』も『そして誰もいなくなった』も、書かれてからだいぶ経った今でもその面白さは褪せることがありません。
ハリポタがそういう地位を獲得していけるのかどうか、興味深く見守りたいところですね。
おそらくその鍵(の多く)は、ローリングさんが最後をどう締めるかにかかっています。

あるいはクリスティのようなかたちで完全に幕を下ろすことも...いえ、迂闊なことを申し上げるのはやめましょう。

The Silver Metal Lover

2007-06-18 23:16:08 | ぼくはこんな本を読んできた
ああ、私としたことが、ベタベタの恋愛小説で号泣してしまいました。
しかも「こ、これはやばい」と思って飛ばし読みしたのにですよ。

ご存じの通り私は所謂ラブストーリーというやつが苦手で、特に若者同士の恋愛ものは笑いのネタにしかしないというヘソ曲がりであります。
(ちなみに二次創作で原作にはかけらも描かれてない妄想恋愛譚が語られるのを見るのはわりかし好きです。いや、そうとう好きです。ようするにやっぱりヘソ曲がりなんだな。)
トールキン御大のファンタジーの金字塔を映画化した『ロード・オブ・ザ・リング』も原作より恋愛色が濃くなってるのが気に入らん、と息巻いていた私です。

その私がうっかり滂沱の涙を流してしまった恋愛小説...それは、タニス・リー『銀色の恋人』(原題"Silver Metal Lover"、ハヤカワSF文庫)です。
温室育ちのお嬢さんが街なかで出会った男性に恋をし、厳格な母親などさまざまな障害を乗り越えて二人一緒に束の間の隠遁生活を送るも、あわれ二人は引き裂かれてしまう...という、はしょればどうってことのない(特に私は通常なら蕁麻疹が出るたぐいの)ラブストーリーです。

ただひとつ、恋した男がロボットであることを除けば。

この作品をきっかけに、私はロボットというかAIとか機械(と書いてからくりと読む)に滅法弱いことが判明しました。

つーか、もう少し早く気付けよという感じです。
折原みとさんのティーンズ小説『地球―箱船の惑星』も、コンピュータに意識を移植された女の子が主人公の恋愛小説でしたし、アン・マキャフリー『歌う船』も設定的にはあれにだいぶ近いです。
ちょっと前に映画化された『アンドリューNDR114』もばりばりのロボット小説でした。
これらの小説、どれも私が大量の涙なくしては読めなかった作品ベスト5くらいに入ってますが、よく見たらどれも「身体が機械の人」が主人公じゃないですか。
なんでいままでこの共通点に気付かなかったのか、自分の鈍さの方が今となっては謎です。
だから『恋人』なんてえぐいキーワードが入ってるくせに、この小説を発作的に買ってしまったのね。

まあおそらく、私が機械に異常な情を持ってるのが原因じゃないかと思います。たぶん祖父良美さんの影響ですね(かれは機械いじりのプロでもあり、うちのスタジオや舞台照明はすべて彼の設計したものです)。
良美さんもそうではないかと思われるフシがありますが、私も機械には魂が宿ってると考える傾向があり、機械に話しかけるなど日常茶飯事。機械をいじったり観察したりするのがたまらなく幸せで、よその珍しい機械を見るとついうっかりいじってしまい、古い機械も捨てられず、たまにいうことを聞かない機械に対しては裏切られたような気持ちになり、ほとんど恋人の不実をなじる女々しい女のようになります。

そうそう、前『けろけろ』という人間に変身したカエルの男の子とのラブストーリーもありましたが、それは特にグッとこなかったですねえ。
ストーリーがあまり良くできてなかったことも原因かもしれませんが、私にとってカエルは庇護して囲って侍らせる対象なので、恋愛ものではいまいち乗らなかったのでしょうね。
これが健気な子ガエルの感動冒険譚だったりしたら、恥も外聞もなく大泣きでしょうけど。

ちなみにマミちゃんが弱いのは動物ものです。これまた対照的ですね。
ネコ科の動物が好きみたいですが、それ以外でも動物(毛のモコモコしてるのがいいらしい、でもカエルには特待的に好意を持ってくれている)ならみなオッケー。すべて母の愛の対象に入ります。
この人は私のような恋愛アレルギーじゃないですが、映画で色恋沙汰が始まるとすかさず寝てしまうという点からみて、ある意味私より無関心といえましょう。

まあそれはともかく、ひとたび動物が登場すると、彼女の目は愛情と関心に輝きます。CMで動物が活躍するのを見ればこのうえなく嬉しそうで、最近のお気に入りはなんとかという箱型車のCMです。
だから、感動&感涙ものの動物ネタを見てしまったらもうダメ。とても他人事ではいられません。
あまりに感情移入して泣いてしまうので、動物関係の番組は見られないと申しております。

人それぞれ愛情の方向は違うのですねえ。
って、我々の場合その方向がいくらなんでも異常すぎるて気もしますが。

斎藤 美奈子『趣味は読書。』

2007-06-14 23:43:01 | ぼくはこんな本を読んできた
本日は私が最も尊敬する文芸評論家の方の作品をご紹介したく思います。

『趣味は読書。』斎藤 美奈子
ちくま文庫、2007


斎藤美奈子氏。私はこれほど素晴らしい文芸評論家を知らないし、今後も現れることはないでしょう。
『カウボーイビバップ』以来ほかのアニメが見られなくなってしまったのと同じように、初めてこの方の著作を読んで以来、ほかの評論家の文章は読めなくなってしまいました。

それは何故か...ひとえに斎藤氏がプロだからです。
編集業を経て評論家としてのキャリアをスタートさせたというだけのことはあり、この方はひたすら物書きのプロ、というより本の作り手のプロに徹しています。
いやあ、どんな業界にも「自称プロ」は数多いけれど、本当にプロ意識と技量を兼ね備えた人はものすごく少ないんです、じっさい。

私が思うに、評論のプロはきょくりょく主観を排し、客観的・鳥瞰的に評論対象を見る目が必要です。
その上で自分の意見を論理的に納得させられるよう説かなければならないのだから評論家も大変だけど、そもそも「プロ」ってのはあまねく大変なもんだ。
斎藤氏の著作には「ああ、この人がこういう立場だから、こういう結論に達するのだな」という色眼鏡の存在が全く感じられません。
おかげで、読者は限りなく無に近いクリアなガラス越しに評論対象を見渡すことができるのです。
これは明らかに斎藤氏のプロとしての技術ですね。

おそらくこの方は「女性ならではの発想」「○○世代特有の価値観」みたいな言われ方をされるのを何より厭うていらっしゃるんだと思います。
それが象徴されてるのがこの方の一人称ですね。ご自分を指して「私」という最も無性別な言い方(「わたし」ではない)か、さもなくば「斎藤」とおっしゃるのです。
これは「個」を排して鳥瞰者に徹しようとする斎藤氏の姿勢のあらわれではないかと、私は思います。

もちろんプロといっても好き嫌いの傾向はあるわけで、私がこの方を好きな理由の一つは、「理想の女性像」がけっこう近いことのような気がします。
だから同じタレント本でも梅宮アンナはこきおろされますが、飯島愛は評価されます(笑)。
しかし、個人的な好みはひとまずおいておき、たとえ斎藤氏と逆の意見を持つ人でも納得してしまうほど巧みに論を進めるところが、この方のプロたる所以です。
そのうえ文章がとにかく明瞭で読みやすい!!あいにく私がこの方を知ったのは大学生になってからでしたが、きっと小学生の頃に知っても同じように夢中になれたことでしょう。

そしてもうひとつこの方の素晴らしいところは視点の斬新さですね。
斉藤氏にかかれば、今いったタレント本もこてこてのナショナリズム本も流行のファンタジーも聖書すらもすべて同じ壇上に乗せられ、斎藤氏一流のユニークな視点から分類され、「なぜその本が売れたのか?」「この本が持ってる微妙に鼻持ちならない感じはいったいどこから(笑)?」みたいな疑問に対し、鮮やかに解説が弾き出されるのです。

そのスタイルはデビュー作『妊娠小説』で既に確立されています。
妊娠小説。なんともセンセーショナルなタイトルではありませんか。いったい何が書いてあるのかと、だれもが思うことでしょう。
タイトルで完全につかみはオッケー。そして、内容も同じくらい斬新です。曰く、「世の中には明らかに『妊娠小説』と呼ぶべきジャンルの文学作品がある。しかしそれが妊娠小説であることは読んでみるまで判明しない。これは由々しきことである。そこで、世の妊娠小説を時代を追って俯瞰し、分析してみようではないか」とのこと。
妊娠小説とは、ようはストーリー内に登場人物の妊娠エピソードが含まれている作品のことで、古くは森鴎外の『舞姫』から三島由紀夫の『美徳のよろめき』、そして現在の村上春樹まで、あらゆる作品がこのカテゴリーのもと論じられています。
どれも有名な作品で、いくつかは読んだこともあるけれど、こういう分け方をしようと今まで誰が思ったことでしょう。
そしてそこには、単にテーマで集めてみただけではなく、確かな系統というか傾向が存在するんですね。この分類力が凄いです。

今までアニメの知識の間違いや計算ミスの点でしか論じられてこなかった柳田理科雄『空想科学読本』も、今まで誰も比べようとしなかった石原慎太郎と唐沢利明の本が持つ意外な共通点も、みんなが熱狂的に支持した、あるいは誰も文句を言えないあの本(ここではあえてタイトルはいわない)の実はすっごくミョ~な点も、斎藤氏にかかれば誰にも見えてなかったことがあたかも自明の理のように描き出されます。
さらに、分析力が確固としているので、5年前の著作を見ても違和感なく現状に当てはめることができます。

斎藤氏は本の評論だけでなく、同じような鮮やかな手法でフェミニズム論も得意としてらっしゃいます。
『紅一点論』は、空想科学作品論の形をとったフェミニズム論ですね。だから、そこで取り上げられているのは『ガンダム』とか『セーラームーン』とかだけど、ガンダムもセーラームーンも知らなくてもまったく問題ありません。論旨が整然としているゆえ、個別の作品を知らなくても総論として読むことができるし、それが可能なほど分かりやすい文章で書かれているということです。
ことフェミニズムの話題になったとき、斎藤氏の筆舌はひときわ鋭く冴え渡り、私は喝采せずにはいられません。

斎藤氏にはぜひ、われらが東京女子大に女性学講師としてお越し頂きたい。
うちの大学はジェンダー関連の分野で文部科学省のなんとかという御墨付きをもらったのですが、御墨付きを頂いている以上、斎藤氏くらい気鋭の論客を招かなければハクがつかないぞ。
もしお越しくださるのなら、私は片道2時間半の通学時間にもめげず聴講生として再び大学に通いつめる所存です。

布哇狂愛

2007-03-21 23:08:28 | ぼくはこんな本を読んできた
『アロハ萌え KAWAII HAWAII』
橋口いくよ 著
講談社文庫、2007


先ごろ異色のハワイ本が出版されました。
ハワイ本といっても「最新ショッピング情報」とか「グルメ人気店」なんかが載っているわけではありません。
どっちかっていうと、こないだご紹介したカエラー本にかぎりなく近いですね。

そう、著者の橋口さんは、私がカエルを愛するごとく変態的にハワイを愛しているのです。
ちなみに、ここでの「変態的に」は褒め言葉です。
ちなみに、ハワイに関して私も同種の変態です

いやもう、そこらじゅう共感しまくり。アロハ萌え伝染しまくりです。
「アロハ萌え」とは、人間の五感にハワイを感じさせるすべてのものを対象とした萌え現象のこと。
橋口さんはハワイを愛するあまり、日本でちょっとばかしハワイを連想させる香りを嗅いだだけで瞬時に激萌えモードに突入できる能力の持ち主です。

でもこの「香り」に関しては私も激しく共感しますね。
正直いってほとんどフェチの域です。
私個人の例でいえばハワイ中にあるデパート「メイシーズ」の香り...一昔前までは「リバティ・ハウス」という名前で、その頃からは微妙に香りが変わってしまったのですが、それでもまだ感じることができるあの香り。
化粧品売り場の階のドアを開けると、この香りを最も強く感じることができるため、いつも激しく吸引することにしています。

家でハワイから買ってきたものの入った容器を久しぶりに開けるとこの香りが漂ってきたりして、思わず涙がこぼれます。
この本の著者の橋口さんも、ハワイのランドリーの香りを再現するために日本で乾燥機を購入し、初稼働した時に漂ってきた「『あの』香り」を吸引した瞬間、泣けてきたのだそう。
同じ経験してますねえ。

もう皆さんすでにお気付きでしょうが、ここで語られている「萌え」はたぶんにミーハーです。

ハワイに何度も行ってる人に、通ぶって「アラモアナセンターって今さら行かないのよねえ」とか「あたしハワイ島専門~」などとおっしゃる方がいますが、私はハッキリ宣言します。
オアフ島大好き!ワイキキ最高!!アラモアナセンター上等!!!
ハワイ好きがベタ路線を愛して何が悪い、とこのさい開き直っちゃうぞ。
ワイキキフェチはマミちゃんから受け継いだ遺伝で、彼女は1970年代のハワイ留学時に、貧乏学生の分際で無理してワイキキ近辺に住んでいたのだとか。
当時からは劇的に変わってしまったワイキキですが、それでも愛する気持ちは変わりませんぞ。
ただしカラーカウア大通りや免税店やアラモアナの一等地にできたブランド店にはあまり行きません。ま、それはたんに元々ブランドものに興味がないからですな。

何度ハワイに行ったって、荷作りすればどうしても荷物が多くなるし、ハワイに行ってハワイらしい匂いを嗅げば興奮するし、最終日にABCストアに行けば切ないし、帰国後もなんかハワイっぽい匂いを嗅ぐとアロハ萌えに身悶えします。
そのあたり、みんな橋口さんに大共感。失礼ながらソウルメイトかと思えるほどです。

特に激しくうなずいたのが「旅のしおり」を自作するというくだりです。
橋口さんも取扱説明書がお好きだそうだから、自分で作るのも楽しいんですよね。
私も作るんですよ~、旅のしおり!!!
これはもう小さい頃からの癖で、昔はしおりをとおりこして「旅のお楽しみ袋」と化してました。
いくつものしおりを作って、それを大袋に入れて密封。大袋には「キリトリセン」とか書いて、ハワイに着いてから開けるように仕込んでおるのです。

最近では日常生活に忙殺され、そこまではやってないですが、「旅のしおり兼カレンダー」を必ず作ります。
アコーディオン状に伸びるようにしておいて、一日1ページを割り当て、予定などを書き込めるようになっています。
これをホテルのテレビや箪笥の上に置いておけば、今日の日付けとかショーなどの予約状況が一目瞭然。
ただ、日数が消化されるごとに畳んでいくので、残りが少なくなってくると寂しいです。

そんな私のような重症者にとって、橋口さんの以下の言葉が大変な癒しになりました。

「ハワイから帰ってきたら『ハワイに行った後』って思わなければいいのか。帰ってきた瞬間から『ハワイに行く前』って思えばいいんだ。そうすれば次のハワイに行くまでの時間はすべてハワイに行く前になるわけで、ということは、人生は『ハワイに行く前』と『行っている時』しかないということか........。それってすごくね? すごい発見!」(p.29)

おおお、そうだ、ほんとにそうですよ橋口さん!!
それなら人生に希望が持てるってもんだ!!!


橋口さんの心強い言葉に励まされ、ハワイにも行けずに寒い日本で生き抜くための力が湧いてまいりますが、このお言葉をありがたく拝受するような人は、もうすでに橋口さんや私と同じ重度のハワイ中毒に罹っているということでございます。

ブログランキング参加してみました。クリックして頂けると幸甚の至りです。