世間は今日から夏休みだそうです。
いいねぇ夏休み。心躍る響きだね...って、本当にそうか?
よく考えたら(いや、よく考えなくたって分るだろう)私はかなりルーニィな子供だったため、今思い返すと夏休みの過ごし方もとてもまともだったとは思えません。
何より鮮明に覚えているのは、小学校に入って最初の夏休みです。
悪名高い「なつやすみのてき」(違)がついに私のもとにも降臨したのです。
もっとも、そこに延々と羅列されたドリルの類は、私にとって何一つ「敵」ではありませんでした。
だってひたすら量が多いだけの単純作業だもん。
ぶっちゃけ小学一年時の授業内容は「既に知っていること」か「一目見れば分ること」のどちらかで、では退屈だったかといえばそうでもなく、あの緩衝剤のプチプチを際限なくつぶしている時のような、単純作業ならではの面白さがありました。
その経験のおかげで、私は今も単純作業がけっこう好きなのかもしれません。マミちゃんと家の仕事を分担していても、すぐに飽きてしまう母に代わり、私が内職っぽい仕事を一手に担っています。
だからドリルは別にいい。それなりに楽しくさえある。
問題はページの各所に添えられた「おわったら いろを ぬってね」の文字でした。
小学校低学年の「なつやすみのてき」には、しばしば素人に毛が生えたような感じの挿絵が入れられています。
で、それを彩色しろと、冊子の各所で言っているわけです。
困った事に、私は塗り絵が大嫌いでした。
理由は簡単です。私はイチから絵を描きたいのです。自分で描いた絵なら喜んで塗ります。
既存の絵に色を塗るなんて、そんなクリエイティビティーもへったくれも無いような作業、私にとっては苦痛以外の何者でもありませんでした。
年を食った今なら、当時の私の思い違いが分ります。
塗り絵は決して創造力を必要としないものではありません。塗り方や配色のセンスで、いくらでも個人の芸術性を発揮出来るのです。
しかし、今よりもっと若気の至りだった私に、そんな事が分ろうはずも無く。
そもそも、ノートやファイルの表紙を絵で埋め尽くしてカスタマイズし、カスタマイズの叶わないような絵柄が既にある場合はその上に紙を貼ったりして抹殺してでもオリジナルデザインにしたがるタイプの人間に、塗り絵におけるクリエイティビティを論じてもムダです。
冊子の一文が「おわったら あまったところに えをかいてね」だったら、私は飛び上がって喜び、寝食を忘れてカスタマイズに励んだでしょう。
でも残念ながら要求されているのは塗り絵だったため、私は祖母に援護を頼みながら色を塗りおおせました(そこまでして塗り絵をしろという要求に従う辺りがA型です)。
にしても、ドリル部分に関しては援軍を頼まないんだね。
私は、母にも育ててくれた祖父母にも感謝と尊敬を惜しみませんが、彼らは「あいうえお」の5文字以外、けっきょく一度も勉強を見てくれませんでした。
そうとう過保護だったくせに、勉強に関してだけは異常なまでに放置プレイだったようです。
ま、私が頼まなかったからというのもあるんでしょうが。
宿題をしたかどうかなどと聞かれた事は一度も無いですし、テストの点数にも無関心で、良い点を取ったからといって「ヘェ~スゴイネェ(棒読み)」とおざなりに言われるだけなので、自己満足にしかなりません。
そういう家族ですから、夏休みの宿題も自由工作的なもの以外は手伝ってもらった記憶が無いですね。
自由工作は頼まなくても手伝ってくれて、祖父は自由課題の絵としてスタジオMの建物の絵...というより綿密すぎてほとんど設計図を描いてくれました。
それに私が彩色し、まぁ課題として適切だったかどうかはともかく、祖父と共作の絵を描けた事は嬉しい思い出でした。
私はこういう、こと勉強だけは異常に自由な家風で育ったものですから、夏休みの宿題に関しても自由に取り組めるものはむしろ好きでしたが、高校の強制登校日には辟易しました。
私は強制されて勉強する事に余りにも慣れていなかったのです。勉強は趣味の領域で、好きじゃない分野はやらないし、好きなら頼まれなくても際限なくしたがります(国語の教科書とか社会の資料集は学年始めに読み切った)。
まして、建前上「夏休み期間」となっている時間に拘束されるのが許せず、よく自主的にサボりましたっけ。
夏期講習の時期にやたらハワイ旅行が被っていたのも、必ずしも「不幸な一致」ではなかったわけで...。
あ、これ、ここだけの話ね。まぁもう時効だからいいか。
いいねぇ夏休み。心躍る響きだね...って、本当にそうか?
よく考えたら(いや、よく考えなくたって分るだろう)私はかなりルーニィな子供だったため、今思い返すと夏休みの過ごし方もとてもまともだったとは思えません。
何より鮮明に覚えているのは、小学校に入って最初の夏休みです。
悪名高い「なつやすみのてき」(違)がついに私のもとにも降臨したのです。
もっとも、そこに延々と羅列されたドリルの類は、私にとって何一つ「敵」ではありませんでした。
だってひたすら量が多いだけの単純作業だもん。
ぶっちゃけ小学一年時の授業内容は「既に知っていること」か「一目見れば分ること」のどちらかで、では退屈だったかといえばそうでもなく、あの緩衝剤のプチプチを際限なくつぶしている時のような、単純作業ならではの面白さがありました。
その経験のおかげで、私は今も単純作業がけっこう好きなのかもしれません。マミちゃんと家の仕事を分担していても、すぐに飽きてしまう母に代わり、私が内職っぽい仕事を一手に担っています。
だからドリルは別にいい。それなりに楽しくさえある。
問題はページの各所に添えられた「おわったら いろを ぬってね」の文字でした。
小学校低学年の「なつやすみのてき」には、しばしば素人に毛が生えたような感じの挿絵が入れられています。
で、それを彩色しろと、冊子の各所で言っているわけです。
困った事に、私は塗り絵が大嫌いでした。
理由は簡単です。私はイチから絵を描きたいのです。自分で描いた絵なら喜んで塗ります。
既存の絵に色を塗るなんて、そんなクリエイティビティーもへったくれも無いような作業、私にとっては苦痛以外の何者でもありませんでした。
年を食った今なら、当時の私の思い違いが分ります。
塗り絵は決して創造力を必要としないものではありません。塗り方や配色のセンスで、いくらでも個人の芸術性を発揮出来るのです。
しかし、今よりもっと若気の至りだった私に、そんな事が分ろうはずも無く。
そもそも、ノートやファイルの表紙を絵で埋め尽くしてカスタマイズし、カスタマイズの叶わないような絵柄が既にある場合はその上に紙を貼ったりして抹殺してでもオリジナルデザインにしたがるタイプの人間に、塗り絵におけるクリエイティビティを論じてもムダです。
冊子の一文が「おわったら あまったところに えをかいてね」だったら、私は飛び上がって喜び、寝食を忘れてカスタマイズに励んだでしょう。
でも残念ながら要求されているのは塗り絵だったため、私は祖母に援護を頼みながら色を塗りおおせました(そこまでして塗り絵をしろという要求に従う辺りがA型です)。
にしても、ドリル部分に関しては援軍を頼まないんだね。
私は、母にも育ててくれた祖父母にも感謝と尊敬を惜しみませんが、彼らは「あいうえお」の5文字以外、けっきょく一度も勉強を見てくれませんでした。
そうとう過保護だったくせに、勉強に関してだけは異常なまでに放置プレイだったようです。
ま、私が頼まなかったからというのもあるんでしょうが。
宿題をしたかどうかなどと聞かれた事は一度も無いですし、テストの点数にも無関心で、良い点を取ったからといって「ヘェ~スゴイネェ(棒読み)」とおざなりに言われるだけなので、自己満足にしかなりません。
そういう家族ですから、夏休みの宿題も自由工作的なもの以外は手伝ってもらった記憶が無いですね。
自由工作は頼まなくても手伝ってくれて、祖父は自由課題の絵としてスタジオMの建物の絵...というより綿密すぎてほとんど設計図を描いてくれました。
それに私が彩色し、まぁ課題として適切だったかどうかはともかく、祖父と共作の絵を描けた事は嬉しい思い出でした。
私はこういう、こと勉強だけは異常に自由な家風で育ったものですから、夏休みの宿題に関しても自由に取り組めるものはむしろ好きでしたが、高校の強制登校日には辟易しました。
私は強制されて勉強する事に余りにも慣れていなかったのです。勉強は趣味の領域で、好きじゃない分野はやらないし、好きなら頼まれなくても際限なくしたがります(国語の教科書とか社会の資料集は学年始めに読み切った)。
まして、建前上「夏休み期間」となっている時間に拘束されるのが許せず、よく自主的にサボりましたっけ。
夏期講習の時期にやたらハワイ旅行が被っていたのも、必ずしも「不幸な一致」ではなかったわけで...。
あ、これ、ここだけの話ね。まぁもう時効だからいいか。