舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

デモ写真です

2009-06-18 01:09:37 | ダンス話&スタジオM
早速、スキャナが接続されてようやく取り込めた写真の第2弾をご紹介しようと思います。

2枚目も5月24日の骨髄バンクより、プログラム1番目の我々のデモの様子です。
この衣装を公開するのはこれが初めてですね。それもそのはず、この衣装は骨髄バンクで初披露した最新デモ衣装なのですから。

ちなみに踊ったのはいつものように2曲構成です。
1曲目は夜明けに愛し合う二人のラブソング、2曲目は「いらっしゃい、可愛い人」と誘惑する色っぽい歌です。
つまり順序的には逆の方がしっくりくるんですが(笑)、まぁ、曲調の関係で仕方なかったって事で。

で、このデモ衣装です。
例によって例のごとく悉く後まわしにされ、最後の最後まで完成が危ぶまれていた事は、骨髄バンク前後の記事をお読みくださっていた方はすでにご存知かと思います。
我々よりもグループの衣装を優先すべきなのは当然なので、それはいつもの事なんですが、それにしても今回はタイムリミットがいよいよ我々の衣装まで間に合うかどうか際どいところまでいってしまいました。

まず、上から下まで新調する事はあらゆる洋服屋さんに断られて断念しました。
うちの衣装は、どこかのお店の既製デザインを使うという事は決してありません。100%うちのオリジナルデザインです。
マミちゃんがすべての箇所をミリ単位で指定し、それを私が建築物の設計図のような綿密さで描き起こしたスタジオMオリジナルデザイン...........。それがどんなに手間のかかる代物か、誰よりも良く熟知していらっしゃる洋服屋さん達が、我々のデモのための新規デザインなど了承してくださるはずがありませんね(笑)。

ですから上半身(帽子&レイ含む)は、ぶっちゃけ既存の物です。
といっても既製品って意味じゃないですよ。ブラウスは前からあったオリジナルに少々手を加えました。
帽子は流石に自分では作れないので、理想に最も近い形のものを取り寄せ、更に装飾はうちで施しました。
唯一の既製品はシェルレイですね。ただしこれは一般には売られていません。厳密には一点モノで、まったく同じものはありませんので、足掛け何年ハワイで探してようやく似た二つを手に入れました。

スカートだけは洋服屋さんに頼み込んで、既に存在するオリジナルデザインと同じ形で作っていただきました。
柄が特殊なせいか、どのデザインと同じ形か気づかない方も多いようです。どのデザインかはここでは勿体ぶって秘密としておきましょう。むっふっふ...。って、私に直に聞いてくださればあっさりバラしますが(笑)。

特異なのはスカートの布です。この布は実は普通の布ではありません。
そういえば数年前も、「本来は家具とかに使う柄を普通の生地にプリントしてもらったもの」とか特殊な柄を使った事がありましたっけ。
既存の布に理想の柄が無いとき、我々は思いがけないところから柄を引っ張り出してくることにしています。

とはいえ、いつも言っているように、柄さえ良いのが手に入ればそれでオッケーというわけじゃありません。
まず良い柄を見出す事も大切ですが、生地をどう使うかもセンスの光りどころの一つです。
その点、今回は余りにも時間のない時に我が儘を言って作っていただいたため、洋服屋さんにあまり煩い注文はしなかったのですが、我々の...いえマミちゃんの趣味を汲んで綺麗に生地を使っていただけて嬉しかったです。

祝・復活!!!

2009-06-17 22:10:21 | ダンス話&スタジオM
先ほど最新ソフトウェアのアップロード(とか書いてるけど実際には何の事やらよく分ってない)をしていたところ、突発的にhpのオールインワンプリンタが使えるようになりました

うわ~~~ん、嬉しい~~~
...あ、顛末をご存じない方のために補足しますと、私は現在のパソコン・MacBook Proをゲットした際、手持ちのhpプリンタ複合機を新しいパソコンで引き続き使う方法が分らず、いろいろ試したんですがダメで、コリャもう買い替えるしかないかなと悩んでいたんです。
しかし「物は壊れるまで買い替えない」が基本理念の私にとって、これはとても屈辱的事態です。何とかしてまだ使えるプリンタを使い続ける方法はないものかと、スキャナ機能が使えない状態でそのままにしておいたんですね。
...買い替えなくて本当に良かった良かった

というわけで、ようやく使えるようになったスキャナ機能を駆使(ってほどでもないぞ)し、先月の骨髄バンクの写真を取り込んでみましたっ。
一枚目は何がいいか思案した結果、やはりなるべく大勢が映ってるのがいいかなと思いまして、スタジオMと読売とティアレのメンバーが集結したところを選びました。

うっはぁ、こうして見るとやっぱりGorgeous
あ、ゴージャスはgorgeousと綴るんですが、私はこの英語の綴りが大好きなんです。ってか、この語の発祥は絶対英語じゃないですよね、この発音しないムダなスペルの多さ!!(笑)
でもこのムダがいかにも「華美」な感じで、意味にピッタリだと思いませんか?
splendidも古めかしくて好きだけれど、こっちはもう少し実用的(?)なスペリングに感じられますよね。
...って、変態的言語フェチ解禁コーナーはこのくらいにしといて。

とにかく、ゴージャスなこの3種類の衣装、もちろん自分達でもかなり気に入ってますし、観た方の評判も良くて嬉しいです。
なんでも、客席にいた生徒さんが、近くの席からの「ああいう衣装が着たいわ」という声を聞いたとか...。

立ち姿は着た人のスタイルをより美しく見せ、踊っている時はその踊りをいっそう引き立たせる、これが舞台衣装に不可欠な2大要素です。
これらを満たすのは決して簡単ではないけれど、こうして出来上がった舞台の写真を見ると、こだわった甲斐があったなぁと思いますね

なつかし鑑賞会

2009-06-17 00:03:05 | ダンス話&スタジオM
昨日「歴代発表会のプログラムはそのままスタジオMの歴史です」なんて話をしましたが。
奇しくも、今日はうちの生徒さん達と一緒に昔の発表会のビデオを見る機会に恵まれました。

事の発端は、生徒さんの一人が「昔の発表会のビデオを観始めたら、面白くて止まらなくなっちゃった」とおっしゃったことです。
思わずビデオに出ていた人に連絡したくなったくらいだったのだけれど、深夜だったので断念したとの事です。確かに、発表会のビデオって一人で見ても十分楽しいですが、一緒に出た人と見たら面白さ倍増ですよね。
というわけで、うちのを引っ張り出して皆で鑑賞会としゃれ込みました。

見たのは第8回発表会=1996年、つまり私が中学1年の時の発表会です。
今やすっかり大人になった生徒さんがまだ小学生だったり、逆にまったく変わらない人もいたりして、「あぁあ、こんな曲もやったねぇ!!」という懐かしさも相まって、ひとしきり盛り上がってしまいました。

がっ。懐かしくて楽しい発表会の映像をを見ながら、私の胸にはたった一つのわだかまりが。
ラナちゃん、つーか自分、踊りがへぼすぎじゃー!!!

ぐぅぅぅ。己の踊りは余りにも下手だ。下手すぎるぅぅぅ。
他の人を見ている分には外見上の特徴(「大きくなったねぇ」か「変らないねぇ」の違いこそあれ)に目がいってるんですが、自分の事はついもっと冷徹な目で技術面ばかり見てしまいます。
身長は今と同じなだけに(笑)「子供だからしょうがない」という感じがしません。繊細さの欠片もなく、見ていてひたすらつらいのなんの.....。

とはいえ、私の場合ほぼ「年齢=ダンスのキャリア」であることを考えると、年齢が13歳ってことはダンスのキャリアも今の半分しかないわけですから、しょうがないですわな。
私のダンスって、つくづく才能じゃなくて努力で築いたシロモノなんですなぁ。

まぁ、言ってみればそれはこの13年間に確かに成長したんだって証でもありますから、アレだったこの頃の踊りがあってこその現在だと考えられるわけで。
そんな成長の軌跡を見るためにも、昔の自分の踊りを見るのはいい事かもしれないですね。

うちの生徒さんにも「もっと上手くなりたい」とか「昔のイヤな癖を治したい」などの向上心をもって取り組んでいる方が大勢いらっしゃいます。
そういう生徒さん達には、是非とも時折「昔の自分の踊り」を見直す事をお勧めします。
そうすると今日の私のように、今見るとあまりにイタイ踊りに辛くなるかもしれませんが、それもひとえに現在の自分がその頃より成長しているからなのです。
ここまで成長できたという事は、これからだって更に向上できる可能性があるという事ですから、きっとモチベーションがもっと上がるはずですよ。

さて、本題の第8回発表会のビデオですが。
ほかの生徒さん達の事も客観的に見てみると、やはり13年前に比べて上達が著しいのはフラですね。
うちはいろんなジャンルを昔からやってますが、その中でもフラは上達のさまが特に顕著に見えるダンスだと思います。
皆さん、13年前より格段に繊細になり、スムーズな踊りになったように感じました。

13年...いえもっとずっと昔から同じスタジオで同じ仲間と同じ踊りを踊っているように見えても、変化しているのはレパートリーだけではなく、しっかり向上し続けているのですね。
この13年の間に増えた新しい仲間と一緒に、今後も皆で向上していきたいものです。

発表会本格始動

2009-06-16 02:39:33 | スタジオM発表会
今日より、9月のスタジオM発表会の資料を生徒さん達に配布し始めております。

そういえば「スタジオM主催の発表会」は2年に一度しかないのですが、それ以外のイベントもすべて「発表会」と呼んでおられる生徒さんが多いですね。
いえ、呼び方は好きなようでオッケーなんですけど。全部「発表会」だとチョット紛らわしいですよね。

そのせいなのか、どこから広まったのやら本当のスタジオM発表会の事を「Mの会」と呼んでる生徒さん達もいらっしゃいます。
え、Mの会...。むぅ、アヤシイ匂いがしてけっこう嫌いじゃないぞ(笑)。

ともあれ、呼び方は皆さんにお任せいたしますが、この2年に1度のMの会こと発表会が非常に特別なイベントである事は確かです。
毎年いろんなイベントに出ているけれど、Mの会な発表会はやはり別格です。2年間の集大成として特別な意味を持っているんですね。
発表会の度に写真つきのプログラムを作るのも、そういう節目の意味があるといえましょう。うちには全発表会のプログラムが取ってありますが、順を追って見ていくとそのままスタジオMの歴史にもなりますからね。

とりわけ今回の発表会は15回目ということで、いつも以上に節目の意味を持つ重要な回です。
そこで、以前からお伝えしているように「普段とは一風変った形の発表会」を企画しているのです。

最初は手探り状態だった第15回記念発表会の詳細も、連日の話し合いや会場との打ち合わせでだいぶ具体化してまいりました。
いかなる「詳細」かは、各クラスでプリントの配布と一緒に説明しておりますので、次のレッスンまで今暫くお待ちくださいね。

M3Dトリートメント

2009-06-14 23:39:53 | 徒然話
前回のトリートメントから1ヶ月が経過したため、本日美容院に行ってまいりました。ってか、私が美容院に用事があるのってマジでトリートメントくらいな気が...。いえ、たまには切ったりもするんですけど。年に一度くらいは。

ここ3回ほど愛用しているのが、最近話題の艶トリートメントm.c.A.T...おっと間違えたボンバヘーッ、「M3D」です。
なんでもドライヤーなどの熱との相性がいいなど、既存のトリートメントとは色々な事が異なるんだとか。

しかし最も異なっているのはそのツヤです。
このトリートメントをすると、それこそナイロンのようにツヤやかな光沢が生まれるのです。

私の髪はもともと、自然界にあるまじき髪質をしています。
トリートメントをしないうちからすでにナイロン的な光り方をしている上、色がこれまた日本人の地毛の色とはとても思えない色彩です。
それがさらに最近激しく茶色くなっているような気がしていたら、今日美容師さんに伺ったところ、もしかするとヘアアイロンのせいではないかとの事。
そういえば、M3Dは熱を加えると良いと聞いて以来、シャンプーしたら必ずせっせとアイロンを当てていましたっけ。
それで色が明るくなったんじゃ、まさか傷んだのかしらと心配したら、M3Dは熱によってトリートメント効果を上げるのだから無問題だと太鼓判を押していただきました。

そういうわけで、私の髪はこれは地毛です。どんなに人工的に見えても染めてはいません。
最近じゃプロの美容師さんにさえ、頭っから染めていると決めてかかったご発言をされるようになってまいりました。いえ、だから違うんです。これは地毛なんですってば。

M3Dは基本的に普通のトリートメントと同じ手順で施されますが、待ちの時間が若干長いような気がします。
とはいえ、手順はとてもシンプルで、「塗ったくっては流し・流しては塗ったくり」みたいな煩雑さはありません(時々そういう儀式的なトリートメントありますよね。シャンプー台と普通の椅子との往復だけで疲れます。そういうのに限って値段はいいくせにあまり効果はなかったりする)。

最後に洗い流し終わると、ドライヤーでしっかり乾かした上、前述のように熱との相乗効果を出すためアイロンを当てます。
いつもは美容院でアイロンまでやっていただくのですが、今日は母が早く終わってしまったため断念し、家で自分でやる事にしました。

そういうわけで現在のところ乾かしただけの私の髪は本来のストレートに戻っております。
そう、これこそ私のアンナチュラルな髪質その3ですね。
私の髪はとにかく頑固なストレートです。ブラシで引っ張ったりしなくても、ドライヤーで乾かすだけで強制的に真っ直ぐ化するわけです。
ストレートパーマをかけないで済むといえなくもないですが、あいにく私のしつこい顔には、地味なストレートヘアは似合いません。
ケバい顔に相応しく、髪も派手にクルクルしてなくちゃやっぱり変なんですよね。

M3Dを施したあとの髪は、外見上のツヤだけでなく、手触りもサラサラのツルツルでいい感じです。
ベッタリしないところが特に好きですね。トリートメントの種類によっては、洗い落とし切れてないかのようなベタベタ感が残ったりするもので、この爽やかな仕上がりは嬉しいですね。

新人さんエコモマイ

2009-06-13 23:40:53 | ダンス話&スタジオM
今日、宇都宮のグループ「ティアレ」に新人さんが仲間入りしました
骨髄バンクが終わって新曲が始まるまでお待ちいただき、今日から満を持してメンバーに加わっていただいたのです。
そうそう、骨髄バンクも観にきてくださったそうで、とっても綺麗だったとおっしゃってました

ティアレは少人数な分、和気藹々とした雰囲気でのんびり楽しく練習しています。
今日から入った新人さん達にも、一緒にレッスンを楽しんでいただければ嬉しいですな

同じ人間が教えていても、グループによって雰囲気はずいぶん違います。
いろんなグループにいろんな生徒さん達が集まってますが、個人やグループの個性がどれだけ多様であっても同じダンスを好きで踊っている点は同じです。
ダンスという共通項をシェアしつつ、異なる個性や多様性もやはり楽しいものだと私は思います。
言い換えれば、この共通項があるからこそ、まったく違う世代や職業や地域の人達が一緒に集う事が出来るわけで。
そういう、自分とは異なる立場の仲間と交友を持つ事は、とても知的な刺激になると思うんですよね。

私は生まれた頃からダンス教室という空間で育ったせいか、はたまた一人っ子のせいなのか、人と同じである事に安堵を覚えるのではなく、人それぞれの個性に楽しさを感じるタチです。
いえ、本当に全然違うんじゃ、言語すら通じるか怪しくなってしまいますよね。
だから、それこそダンスみたいな「共通項」が何か一つあればベストだと思います。
「すべてが自分と同じ人」に囲まれて安心しているより、「一部だけ同じだけどあとはみんな違う人」と交流した方が、新しい風が吹き込んで自分自身の領域もより広がるような気がするんです。

そう考えると、うちのグループはどこもさまざまなバックグラウンドを持った人達から構成されていて、そんな人達が一緒に踊る事で意気投合しているのを見ると、とても嬉しさを覚えますね。

アクアティックかえる

2009-06-12 23:07:28 | カエル偏愛
昨日、いつものように読売レッスンに行くべく東武1階を歩いていた時の事です。
その日、マミちゃんがピアスを忘れてしまったというので、その場で買って着けられるものは無いかとアクセサリー売り場を徘徊しておりました。

辿り着いたのはエスカレーター隣のアナスイコーナーです。というより、母はピアスを買うとなるとまずアナスイをチェックするんですね。

私も何となく一緒に覗いたら...なんとカエルのイヤリングが鎮座ましましていたのです

鎮座ましましていたのはイヤリングだけではありません。
おおストラップはぅぅブレスレットフンモ~~~指輪...と三段活用(合ってないと思う)で感激しコーフンしハァハァする(ヲイ)素晴らしい品揃えッ!!!

コーフンにかられて思わず全員お持ち帰りぃ~~~と行きたいところでしたが、そこは辛うじて残っていた僅かな理性にすがり、イヤリングだけをゲットしました。

さて、このアナスイかえるイヤリング。
画像だとちょっと分りにくいですが、涼しげな水色のかえるさんです。
そして、色をのぞけば約3年前にゲットしたかえるちゃんそっくりのイヤリングとまったく同じ姿をしているのです

そうなんです。アナスイがかえるアクセを出してくれるのは、これが初めてじゃないんです。
3年前に目撃した時も、かえるちゃんと生き写しのルックスに感動し、その場でイヤリングをゲットしました。
あまりの可愛さに落とすのが怖く、なかなか着けられないんですけど(笑)。それでも誕生日とか特別な時には着けておりますのよ。

今回のイヤリングは、かえるさんの周りを涼しげな同系統の水色をしたビーズで出来た輪っかがぐるりと囲んでいて、かえるちゃんイヤリングより派手な印象です。
よく見ると雨粒形のビーズが入っていたり、かえるさんと一緒に小さな傘が揺れていたりします。

派手とはいえ、偶然にもネイルとまったく同じ色をしている事からも分るとおり、これはまさに私の大好きなアクアブルー。とても涼やかな印象です。
このイヤリングで最も重要なのはかえるの姿をしていることですが、この色彩も非常に気に入った要素なのです。
幸い、ジェルネイルをこの色にしたばかりですので、今後数週間はネイルとお揃いで着けられると思います

...とか言いつつ、同じ姿のピンクのかえるさん赤いかえるさん紫のかえるさんなんかを目撃してもやっぱりハァハァしながらゲットしてしまうんだろうなぁ。

iPodな日々

2009-06-11 23:53:45 | 徒然話
月曜日にゲットしたiPodに、着々と曲が集まりつつあります。
専ら現在レッスンしている最新曲ですね。したがいまして、ハワイアンが偏って多い状態になっております(笑)。
何しろイベント終了直後とあって、すべてのクラスで同時に新曲が始まったところなので、一気に数十曲の勢いで増量中です。

レッスンで使う曲を取り込む傍ら、密やかに趣味の領域の楽曲も収めています。
といっても、レッスンで使う曲とけっこう被っているんですけどね。
普通は一枚のCDから「現在使っている曲」のみをピックアップして入れているんですが(じゃなきゃ3,500曲などあっという間に埋まっちゃいますぜ)、特に気に入っているアルバムだけは一枚まるっと収録。

例えばボリウッドの新曲が入っている映画サントラですね。迷わず総取り込みです。
このCDを聴くともう、すべての曲がツボで、どれもこれもステージで踊りたくてたまりません。カラオケにあったら絶対歌います。つーか、こんな曲がたっぷり入ったカラオケが出来るインドの人が非常にウラヤマシス。...インドにカラオケがあるか存じませぬが(笑)。
そういえば、カラオケなどなくてもインドでは映画館で上映中にミュージカルシーンになると、観客総参加の大合唱状態になるそうな。ううう、見たい聴きたい混ざりたいッ。

ハワイアンの場合、聴いて素敵な曲と実際に踊れる曲とは必ずしも完全一致しないので、踊りに向かないために普段練習で聴く事が出来ない分、この際だからiPodに取り込みたい曲が沢山あります。
本当は私は「およそ踊るのに向かない曲」にピッタリ合わせて踊るのとか大好きなんですけどね。リズムが有って無いような曲と自分の踊りをひとつに解け合わせる過程はゾクゾクするような快感を覚えるものですが、群舞だとなかなかどうして。

私ほどの変態的領域はさておき、一見リズムの取りやすい曲であっても、「曲と踊りを合わせること」はたいへん重要です。
これって当り前のようでいて、冷静に考えると曲を聴かず頭の中のカウントで踊ってしまっていたなんて事はよくある話です。
リズムより歌詞との一致を重視するフラでさえそうなのですから、完全に音やリズムに合わせて踊るベリーダンスなら尚更ですね。ステージを見ていても、最も素敵なダンサーはいろんな技術が出来る人ではなく、最も音との融合に成功している人なのです。
そういう視線で見てみると、世の中のさまざまなダンサー達の真の力が分りますね。

ところでiPodで出来るのは音楽の取り込みだけではありません。
実は画像やユーチューブなどの動画も取り込めるのです。...私はまだ活用してないけどなっ。まぁ、なにせ麿は平安人なのですから、己の技量に合わせてのんびり新機能を習得していくでおじゃる。

もうひとつ私にとって重要なのが、最初にも書いたゲームです。
やってますよ「シム3」。「シム」とは、ワールドネバーランドよろしくゲーム内の街で仮想生活を送るゲームのひとつです。
ゲーム好きの友人にそう説明したら、「そんなのゲームでやって何が楽しいんだ!?」と突っ込まれてしまいましたが、私はこの手のゲームが嫌いじゃないんですわ。

何が好きって、現実世界ではあり得ない自分になれるのがいいです。
例えばこの「シム3」で私は市長をやってます(笑)。もちろん最初から市長だったわけではなく、市役所に就職するところから始めたわけですが、それにしても私が公務員になるなんてゲームでもなくちゃ無理っしょ。
そういえばワールドネバーランドでも国の首長をやったなぁ。あんがい私って公務員に憧れが...?たんに現実世界では絶対無理なのが分っているから...?

ただ、ワーネバはちゃんと人望を得て選挙で選ばれて国会議員になり、そのメンバーの中から更に選挙で選ばれないと国家元首になれないのに対し、シムの世界は毎日まじめに出社しただけで市長まで出世できてチョット安すぎないかい(笑)。
私としては、ゲームの世界なのにこつこつ働いて出世していくのが大好きなんで、シムに関してはそのプロセスがお手軽すぎるところは若干つまらないかな。
あと、平日日中に働くだけでは飽き足らず土日や夜間の仕事を探したんですが、それは無いみたいです。ワーネバの時は寝る間も惜しんで働けたのになぁ。

そのぶん、共産主義国的に収入や身分に関わらず国から与えられた家に住んでいるワーネバに対し、シムは貯めたお金で家を豪華にリフォームしたり、家具をいいものに替えたりする事が出来るのが楽しいです。
リフォームすると家庭菜園が出来るようになり、そこでとれた野菜で実際に料理を作って食べられるのもいいですね。同様に、食費の足しにと湖で釣りをしまくっていたら、達人レベルまで釣り技術が上がってしまいました。
そういう卑近な生活の部分はむしろワーネバよりリアルです。トイレにもお風呂にも入らなくちゃならないし(笑)。

リアルといえば、貯めたお金で念願の珈琲メーカーをゲットして早速飲んでみると、最初こそカフェインが効いて良かったのですが、カフェインの効果が切れるとむしろ何も無かった頃より感情値がマイナスになったのには笑えました。どこまでリアルなんじゃ。

そして、尤も現実の自分と乖離した事といえば、色恋沙汰でしょう(笑)。
ワーネバではなんと開始早々に料理上手の色白メガネ君と遭遇。ビジュアルだけで十分に萌えるのに、結婚してみたら材料を補給しておくだけで毎日せっせと料理を作ってくれたりして非常に理想的な人だったわけですが、シムにはあいにくそういう好みのビジュアルな人がいません。
あ、そうか。キャラクターのビジュアル設定のとき、そういえば「メガネ」って無かったものな(←どんだけメガネフェチ)。

ビジュアルは諦め、とりあえず独身男性に平等に親しくしていたら(※女性に迂闊に親しくするとドン引きされます)、よりによって売れないお笑い芸人みたいな格好の男性が興味を示してくれました (笑)。
しかも、服装はまんまお笑い芸人のくせに、本人には笑いのセンスが無いときています。...うう、それでも一応恋愛感情を抜きにしても「いい友達」になったんだし、悪い人ではないはずなんですけど、困ったものだ。

ちなみに、最初に友情を「親友」まで高めてしまうと、恋愛には発展しにくくなるみたいです。うぅむ。含蓄に富んだゲームだな。

IPod Touch 降臨

2009-06-09 23:29:23 | 徒然話
昨日、ついに初iPod Touchをゲットいたしました。

...をいをいをい、10年以上Macユーザーなくせに今更すぎだろ...というツッコミが四方八方から聞こえてきそうな気がしてまいりますが、こういう「続々と次世代製品が出るモノ」には浅からぬ因縁がありまして、おいそれと買えなかったのです。

思い返せば20年前。
ゲーマーに対して激しい偏見を持っている母のせいでなかなか買ってもらえなかった任天堂のファミリーコンピュータをようやくゲットした次の瞬間、テレビでスーパーファミコンのCMが始まりました

中学にあがり、やはり母の偏見との壮絶な闘いの末にプレイステーションをゲットした私の元に届けられたのは、プレステ2発売の悲報でした。

以来、「自分が買うとほとんど翌日に新製品が出る呪い」をおそれるあまり、プレステ2も3もDSもWiiも買えずにきた私です。

ついでに母の偏見についても説明しておきましょう。
憎らしいほどクリエイティビティの塊として生きている母は、「決められたシナリオにそって進めさせられるゲーム」ってものが信じられないらしいです。
そりゃ、私あたりも「けっきょく同じゴールにしか辿り着けないゲーム」は特に好きではありません。しかし、遊び方がプレイヤーの自由意志に任されていたり、ゴールは決まっていてもそこを目指すプロセスでオリジナリティを発揮できるゲームは大好きなのです。
しかしマミちゃんはゲームにもそういった種類(遊び方)があるということが理解できません。その辺が偏見なんだな。


ま、それは今日の話とは関係ないからおいといて。
昨日、所用により新宿に出向いた私は、ビッ○カメラに入った瞬間にノリでというか発作的にというかついにiPodをゲットする決心をいたしました。
私のように踏ん切りの悪い人間は、こういうノリの後押しが無いとなかなか踏み切れないんですよね。

踏ん切りは悪いくせに、「買う時はどれにするか」はしっかり決めてあったりしました。
もちろん「一番遊べるiPod」として名高いiPod Touchです。
そう、iPhoneとまったく同形のアレですね。電話機能がない以外はほぼiPhoneと同一といえます。

ようやく念願かなって手に入ったiPodは、思っていたよりずっと薄くて華奢そうです。
道理であんなに沢山のカバーが売っていたはずだ...(←やはり踏ん切りがつかず買えなかったヒト)。
そりゃ、カバーがあった方が安全上いいのでしょうけれど、この美しいフォルムが覆い隠されるのはちょっとイヤだな...。

iPod Touchには3種類あり、見た目はまったく同じで容量が違います。
とりあえず小市民根性炸裂で真ん中のサイズをゲット(笑)。江戸っ子の末裔らしく「一番でっけぇのにしてやらぁ!」と豪語できればいいのですが、...けっこう値段違うんだもん.......。

帰宅するなりうちのMacBook Proに接続。
その瞬間、あたかも運命の二人が赤い糸で惹かれ合うように、パソコンとiPodがお互いに呼応するのを感じました。
まぁこれは赤い糸ではなく、iPodとiTunesが完全に連動するという機能故なのですが、私は確かに「やっと逢えたねぇ!」という二人の歓喜を聞いたような気がしました。

MacBook Proに内蔵されているiTunesは、iPodと連動して初めて真価を発揮できます。
今まではCDの編集にしか使っていないという宝の持ち腐れ状態だったわけで。...まぁ、パソコンに関しては宝の持ち腐れが積み重なり過ぎて最早カオス状態になっているという説もありますが....。

ところが、この便利な機能が仇となり、以前CD編集のために取り込んだデータが誰も頼んでないのにおもいっきしiPodに転送されてしまいました。
うゎ~~~!! やめてやめて!!! 私が初めて入れたい曲は、曲はそれじゃないの!!!!
...という叫びも空しく、入ってしまったデータの消し方が分りません(出た平安人)。
けっきょくデータの消し方を探すのに四苦八苦し、昨日はこのブログが書けなかったばかりでなく、iPodで遊ぶことも本当に入れたい曲を入れることも出来ませんでした.....。

といっても、ここで終わらせるんじゃあまりに一日の後味が悪いので、iTunesストアからゲームを取り込みました。
って、やっぱりゲームかぃ。
ま、普段母の偏見によって発揮しきれずにいる己のゲーム熱なんですから、折角の機会にちょっとくらいはね。
選んだのは「SIM」、つまりやっぱり私の大好きな「何やってもオッケーな生活シミュレーションゲーム」です。

って、もちろんiPodの良さはゲームだけではありません。
iPodを買ってもうひとつ有難いことは、レッスンで使う曲もすべてここに入れられることです。
そうすると、レッスン時やイベントの予備音源をいくつもいくつも持っていく必要がなくなり、iPodとそれを再生できるプレーヤーさえあれば大丈夫。
SIMで遊ぶのも程々にして、音の取り込みに精を出すとしましょう。

ひぐらしのなく頃に

2009-06-07 23:43:11 | ぼくはこんな本を読んできた
『ひぐらしのなく頃に』
竜騎士07 著
講談社



さて、本日は久々に本の話題です。
この『ひぐらしのなく頃に』は、大人気の同名サウンドノベルを小説化したものです。
...って、偉そうに説明してるけど私自身が一番「サウンドノベル」が何なのかよく分ってません(笑)。
何でもゲームの1ジャンルらしいです。ゲームと言っても、どうやら自分で操作して展開や結末が変わるタイプではないらしいのだな。ゲーム型小説とでも言うべきか。

とにかく、『ひぐらしのなく頃に』は私の畏友に勧められたのがきっかけで読み始めました。
正確には勧めてくれたのはゲームの方だったのですが、Macでウィンドウズ用のゲームをやるにはなんだかよくわからない装置を入れなくちゃいけないと聞いておとなしく諦め、身の丈に合った(?)紙製の本で読むことにしたのでした。

にしても。『ひぐらし』で初めて知ったんですが、講談社は「講談社BOX」といういっぷう変ったシリーズを出版していたんですねぇ。
サイズは新書くらいで、本屋さんで探してみると茅田砂胡さんや荻原規子さんのノベルスを出してる新書シリーズなんかと同じようなエリアにありました。

しかし装丁が非常に特徴的です。
講談社BOXシリーズはすべて銀色のカバーに入っており、表紙や背表紙の代わりにステッカーが斜めに貼られ、帯の代わりに丸いシールがついています。
その分、中身の本の表紙は非常にシンプル。無地の赤(または緑)で右上にタイトルや著者名が書かれているのみです。

私個人的には、本とは本来職人のプロの技でもって精緻な装飾が施された一種の芸術品であるべきものであり、現代の本はあまりにも廉価化・軽装化しすぎてチャチいと思っているので、この仰々しい装丁もけっこういい感じです。

とはいえ、肝心なのはやっぱり中身ですよね。
本屋さんで一目見るなり長大なシリーズであることに気づいて軽い目眩を覚えましたが、それを無視して一巻目のみゲット。
あ、私のジンクスとして、面白いことが保証されている作品であっても、分冊されている場合はかならず一巻ずつ買うことにしています。
そうすれば万一面白くなかった時に痛手を最小限にすませられますので。というより、なぜか思い切ってまとめ買いしたのに限って面白くなくて上巻しか読まなかったりする.......。

この作品の主人公は前原圭一という少年です。
彼は東京から雛見沢というのどかな村に転校してきたばかりですが、非常に気の合う仲間達に恵まれ、村への愛着も早々に芽生え、充実した日々を送っています。
それなのに、その充実した日々は些細なところでつまずき、そこからどんどん綻びが生じ、最終的には惨劇の渦中に飲み込まれてしまうのです......。

つまりこの小説、前半(おもに上巻)のひたすら楽しい情景と後半(上巻ラストから下巻いっぱい)の惨劇が見事なコントラストをなし、このエピソードだけ読んでも十分に面白い作品です。
これだけで一個のホラー?ミステリー?作品になっているのですね。舞台がちょっと昔(昭和58年6月)の日本の村というのも、怪談っぽさを際立たせています(時代考証に対しては言いたいことが多々ありますが)。

しかし、「あぁ面白かった」と終わらせてしまうにはあまりにも謎めいた部分が多すぎる。そこで次の作品、つまり3巻目にあたる本を手に取ります。

すると、何とも奇妙な感覚に囚われることになる。
なんと物語は同じ雛見沢という舞台で、同じ主人公と同じ登場人物によって前話の惨劇など無かったかのように再び語られるのです。
ご丁寧に「昭和58年6月」という時代設定までまったく同じ。これはどうしたことでしょう。

といっても細部は微妙に異なります。起こる出来事が微妙に違い、それによって展開が変ってきます...が、幕切れはやはり惨劇。前回と違うとはいえ、救いようの無い悲劇であることに変わりはありません。

こうなれば想像がつくとおり、3話目(つまり5巻目と6巻目)も同じ構成です。前半は前原圭一君と彼を取り巻く楽しい日常が描かれ、中盤に物語が暗転し、惨劇で幕を閉じる。
そして4話目も同じ。いえ、これだけは少し前の時代が描かれていますが、やはり「昭和58年6月」に雛見沢で惨劇が起きることは同じです。

ここまで読んだだけだと正直、若干凹みます(笑)。
だってどのエンディングも救いが無いんだもの。謎は相変わらず謎のままですし。物語の随所に謎があるけれど、とりわけ大きな謎、「なぜ雛見沢の惨劇が繰り返し起きるのか」が一切分らないというのは、短気な人なら挫折しそうな状況です。

しかし、4話目のラストあたりから謎の片鱗が垣間見られ始めます。このへんの答え(あるいはヒント)をチラつかせるタイミングがうまいね。いや、伏線は実は1話目からずっとあったわけですが。

さて、濃霧の中を手探り状態だったのが少し晴れてきた4話目までが「出題編」であり、それ以降は「解答編」と位置づけられます。
つまり、いよいよ謎が明らかになってゆくのが5話目(=解答編の第1話)以降なんですね。

もちろん5話目でいきなり真相には直結してくれません。じらすじらす~。
では5話は読んでも仕方ないかといえばそうではなく、物語の核となる「謎」とは違うけれど、前原圭一君の視点で語られていた第2話をある別の人物の視点から語り直すことにより、今まで隠されていた真実が明らかになります。

そしていよいよ、6話目から核心的な謎がベールを脱ぎます。
我々読者はそこで初めて、物語のキーパーソンが出題編の語り手であった前原圭一君ではなく、第5話で語り手となった重要な人物ですら無く、今まで物語の要所要所で意味深に関わりながらも決して主人公にはならなかった人物であることを知るのです。
さらに7話目になるに至って、惨劇の黒幕(これまた思いもよらない人です)も発覚します。

しかし、これで終わらないところが『ひぐらし』の白眉です。
謎は解けた。黒幕は分った。「では、どうすれば惨劇を克服できるのか」に、主要登場人物達が闘いを挑むのです。
この惨劇と闘うプロセスこそ、『ひぐらし』の最も面白い部分です。具体的には7話と8話ですね。
普通のミステリーなら、謎が解けたところで犠牲者は生き返らないし、犯人の罪は贖われません。
そこに登場人物達の努力と運で立ち向かい、(結果を敢えてバラしてしまえば)勝利するまでの話が加わっているところが、今までのミステリーには無く、また既存のミステリーより優れている点だと私は思います。

尤も、『ひぐらし』はミステリーとして論じるにはたしょう無理があります。
ミステリーで一般に禁じ手といわれていることをボコボコやってしまっているため、謎解きとして読んでしまうと後出しジャンケンをされたような「そりゃないぜ」感が漂ってしまい、この作品独自の面白さを味わうことは出来ないでしょう。

だからどちらかというと荻原規子さんの「西の善き魔女」シリーズの「ベタなファンタジーとばかり思っていたら実はコテコテのSFだった感じ」を思い出しながら読むと、アレに一番近い気がします。
どうも世の中にはこの手の小説があんがい沢山転がっているな。「見た目はケーキ・味はステーキ小説」とでも呼ぼうかしら。...長いか。
でもまあまあ的を射ているネーミングな気もします。だって、ケーキと思って食べるから「エッ!?!?」となるのであって、冷静に考えればケーキもステーキも美味しいのに変わりはないのですから。

7話目と8話目の痛快さを思うと、最後の第9話は蛇足だったかなという気もします。
でもまぁ、著者さんとしては、8話までの冒険で得た勝利は物語の「キーパーソン」が最も望むものであり、他の何物にも代え難いのだということを重ねて強調したかったのでしょうな。

そういえばフィリップ・プルマンさんの「ライラの冒険シリーズ」あたりもそうだったけど、著者があまりにも強い思い入れをもって描いた作品の場合、最後の方でついその愛情が深まり過ぎ、作品との別れを名残惜しんでいるとしか思えない蛇足が加わることがしばしばある気がします。
そりゃ、終わる頃にはもう著者の頭が次回作でいっぱいになっていてナオザリにされている結末(※実はこっちの方が多い)よりかはずっといいけどね。


さてさて。ここからは『ひぐらし』をすでに知っている方への私信です。未読の方には訳が分からない上、ネタバレにも繋がるのでお気をつけ下さい。

私は登場人物の中で詩音さんが一番好きですね。外見と性格の総合点で(笑)。
そもそも長い髪と大人な体型の女性が好きですし、あのチャラけた敬語遣いも、ひねくれてるくせに内面はまっすぐな性格も大好きです。それが災いしてあんな展開になっちゃったんだろうけど...。
しかし彼女について何より好きなのは悟史君への恋心!!
何が好きって、彼女の恋路はありとあらゆる点で不幸なのに、「そもそも彼女の恋は片思い」だってことを一切悲観してないとこが大好きです。
片思いイコール不幸ではないことを体現している人ですね。
最も幸せな恋とは、相思相愛の関係ではなく、相手が存在しているだけで幸せを感じられる関係です。
物語ラストにおける詩音さんは究極的にその状態ですね。どうか彼女の幸せが長く続きますように。

この物語に出てくる女性はみんな好き(詩音さんの母上もたまりません)ですが、一方で男性陣はどうかと申しますと、まぁ前原君は明らかに私の範囲(だから何のだ)より若すぎるからなぁ(笑)。
口先の魔術師な人は大好きなんだけど。
赤坂さんはカッコいいですが、私ゃああいうストレートなヒーロー像はどうも...。なんせスーパーマンには目もくれずクラーク・ケントに熱を上げた女だからなぁ。
「本当は実力があるのに、ほとんどそれに気づかれてない人」がツボらしいです。
あと妻帯者には一切手を出さないことにしてますので(笑)。

そんななかでダントツの好みなのは葛西様ですね。うっとり。
私が惚れたのはもちろん8巻の「散弾銃の辰・再臨のくだり」です。丁寧な口調で物騒なことを口走っている時も素晴らしかったですが、堪忍袋の緒が切れてからの彼、最高です。
ただキレてる男はブザマのひと言につきますが、「築いてきた屍の高さが違う」方のマジ切れはむしろ惚れ惚れいたしますわね。ゾクゾク。

つまり、詩音さんと葛西さんコンビの話(※これは妄想カップリングとかではなく本当の組合せです、しかも二人は主従関係にあり、詩音さんの方が主人なのが激ツボです)だけで私ゃご飯10杯いけるってことです。
炭水化物の摂り過ぎには要注意。

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