仁、そして、皆へ

そこから 聞こえる声
そして 今

神聖な儀式

2007年12月28日 15時24分37秒 | Weblog
「べース」に集まる人間はいろんな仕事を抱えていた。
誰もそのことについて話題にすることはなかった。
基本的に皆、口数が少なく、うつむいている人が多かった。
アノコロの言い方で言うとテルホで手をつないで輪になって、それから自分の隣の誰かとときスをした。全裸であることに抵抗はなく、むしろ触れ合えることに感動していた。
どんなプレイをしたかというと非常にストイックな性交だったように思える。
目をつむって耳をふさいで、いや、言葉を発することをためらいながら、
静かに肌が触れ合うのを感じていた。
冷え切った皮膚の感触が肌の温もりに変わるまで、ゆっくりとゆっくりと行為は進んでいった。痛そうな顔にしている人には周りの誰かがすぐに気づき行為を和らげるよう目配せをした。それは、性的な欲望とは違うもののように感じていた。
自然に眠りに付く者に誰もとがめるものはなかった。
朝は個々でそこを出た。最後の一人がテーブルにある金を持って窓口で清算する。
金はいつも多少多くて、最後の一人のコーヒー代になった。

そこから始まる

2007年12月19日 13時49分17秒 | Weblog
「ベース」に引き寄せられるように集まり、ほとんど会話のない時間が過ぎて言った。
冬の寒い日でも何人かが集まった。いつのころからか、金を出し合うようになった。道玄坂上のホテル郡も今ほど厳しいセキュリティーはなく。先発の二人が入った後から、後発組がそのままエレベーターで追いかけることができた。
僕らは金のあることのありがたさを実感した。
部屋の中は暖かかった。誰からともなくコートを、ジャンパーを脱ぎ、シャツを、ズボンを、スカートを脱ぎ、パンツを、ショーツを脱ぎ、全裸になった。キスをした。この時間にこの場所で一緒にいられることがうれしくて、名前も語らずに、素性も知らずに愛し合った。5人のときもあった。3人のときも、9人のときも・・・
男でも、女でも・・・
言葉のないことが信頼感を増していた。


今はもう

2007年12月14日 11時53分10秒 | Weblog
スペイン坂の明かりが、まだ今ほど明るくないころ、坂の中段にそば屋があって
その前に二坪ほどのスペースがあった。
誰が言い始めたのそこを「ベース」と僕ら呼んでいた。
山手線最終の発車のベルがなり終わるころ、「ベース」に一人、また一人と今日の相手が見つからなかったボーイズや金がなくなったガールズが集まってきた。
何も言わない。何もしない時間が過ぎて誰かと誰かが手をつなぐ。
誰かと誰かがキスをする。
「ベース」は誰でも受け入れた。
「ベース」は何でも許してくれた。



澄み切った空の下で

2007年12月04日 18時54分08秒 | Weblog
自身を改造することなどできるわけが無い。
性格も、個性も、外的な刺激に対する単純反応でしかない。
記憶が事象の特性を判別して、肉体と脳が呼応する。
それだけのことなのだ。
経験はそのときの利害を計算し、自らに有利なことだけをチョイスする。
今、体は何を望んでいるのだろう。
この空の下で薄手のカーデガンの下から乳輪が透けて見える。