仁、そして、皆へ

そこから 聞こえる声
そして 今

その窓辺にたたずめば6

2010年07月29日 17時21分22秒 | Weblog
 ミサキは不安と嬉しさが混ざった状態だった。いつもよりも少し多めに飲んだ。ヒカルの話題が続いた。
「ヒカルは寒いって言うの。死ぬのが怖いって言うの。私、どうしていいか。どうこたえたらいいか。昔の私だったら、それこそが堕落だっていったかもしれないわ。でもね、今、考えると、「教え」にはね。そんな疑問に答える内容は無かったの。どうしなければ、どうしたら、堕落するって教えられたけど、死ぬのが怖いってことから立ち直るための答えはなかったの。」
ミサキは泣いた。
「確かに、そんなこと考えないもんな。」
「うん、でも、死んだらどうなっちゃうんだろ。」
「わかんないよ。死んだ人は何も言わないもん。」
「そうだね。」
「人間てね。生きている時の記憶しかわからないじゃない。でも、ほんとは、心のどこかに、もっと違った記憶があるような気がするの。」
「なるほど。」
「でも、人間はその記憶にはたどり着けないでしょう。」
「うん。そうなんだけど、なんて言ったら、いいのかなあ。あの瞬間、そう、ビーエスエイトのセッションの時とかに来る感じ、感覚ってあるでしょう。あんな時って、その記憶に近いんじゃないかなって。」
「面白いね。」
「シュワスク、シー、シーシュワスク、シー」
「仁。」
仁がリズムとも、呪文ともと取れる声を出しながら、立ち上がった。
「始まるのかしら。」
キヨミが言った。


その窓辺にたたずめば5

2010年07月28日 17時27分56秒 | Weblog
 ミサキは瞼にたった涙が時々頬をつたわり落ちるのを何度もぬぐった。農場で取れた野菜や大きな冷凍庫の中から出てきた肉や、まだ、ピクピクしている魚、二人を歓迎してか、いろんな食材が並んでいた。マーもサンちゃんもキーちゃんも手伝った。ミサキの残したレシピを見ながら、ぺティナイフやシースナイフ、フォールディングナイフ、牛刀、それぞれが愛用のナイフがあるらしくそれらをたくみに操り、とまでいかないが、手分けをして下準備をした。
 前菜、サラダ、スープは、マーが中心になってつくった。ミサキは大きなフライパンの上で肉を焼いた。トマトをぶつし、ソースを作った。食卓に並べるといくぶん豪華な晩餐になった。アキコもマサミも、マリコもそこが共同体であるかことを実感させる動きでテーブルセッティングや飾り付けをした。
 
 準備は整った。

ヒデオの車の音がした。メンバーがそろった。

 キヨミが二階から降りてきて、ヒカルが寝ていることをヒデオに告げた。皆が見える位置に、ルームの前に簡易ベッドが作られた。眠っている新しい仁をキヨミが抱いて、ヒカルをヒデオや仁、マー、マサルで担ぎ上げるようしながら、そのベッドの上まで運んだ。最期に新しい仁をヒカルの上にのせた。皆がテーブルに着いた。
「うまそうだな。」
ヒデオが言った。
「皆、ゴメンね。この前、お別れを言ったばかりなのにまた戻ってきてしまって。」
ミサキがいった。
「何いってるのよ。いつ戻ってきてもいいのよ。」
涙目のミサキにアキコが言った。
「まあまあ、カンパイするか。あっ、カンパイじゃないか。」
「なに言ってるのよ。ヒデオ。」
「いいよ。カンパイで。」
「じゃあ、カンパイだ。」
皆で飲んだ。皆で食べた。マーがぽつりと言った。
「お通夜みたいだな。」
マサルがマーを殴った。
「いいのよ。」
ミサキがいった。
「なんかね、どうしようもなくて、どうしていいわからなくて、ここに「ベース」にきたの。」
「そうね。難しいと思うわ。一人で解決するのは。」
「ヒカル、どうなっちゃたの。」
「事故の後遺症で、心がね。」
「マサルは平気なの。」
ハルがきいた。
「はは、俺は鈍感だからな。」
「違うかも、マサルは何度も死ぬ目を見てるから」
キヨミが言い出した。
「マサルは小さいとき喘息で、何度も救急病院にいったわ。もう少しであっちにいきそうなった。だから、意外と冷静でいられるのかも。」
「結局、鈍感ってことだね。」
ハルがいった。皆が笑った。
「ヒカル起きないのかなあ。」
「睡眠導入剤は飲んでないんでしょ。」
「うん、クスリは今日は飲まなかった。」
「しゅわくす。」
仁が呻いた。
「何だよ。仁。」
久々に仁がニッと笑った。



その窓辺にたたずめば4

2010年07月27日 17時27分53秒 | Weblog
 しばらくすると下の階から笑い声が聞こえた。作業を終えたハルたちがもどってきた。
「リツコさん。下に行かなくていいかしら。」
「大丈夫だと思うわ。ミサキ、ここではもう、「さん」付けはなしよ。」
「えっ。」
「リツコはリツコよ。」
「そうか。そうですね。」
「でも、ミサキの料理を皆が期待してるかしら。」
「ヒカルは見てるよ。」
マサルが言った。
「私もここにいるわ。」
キヨミも言った。リツコとミサキは下に下りた。
「不思議だね。」
「なに。」
「新しい仁がヒカルを守っているように見えるんだよ。」
「そうかしら。仁もヒカルの上が気に入っているみたいよ。」
「そうか。そうだね。」
「マサルは大丈夫なの。」
「うん。ヒカルほど繊細じゃないのかな。」
「ふふ、マサルらしいわね。」
「僕は「ベース」に戻ったからかな。ヒカルにはいろんなプレッシャーがあったのかな。」
「うん。」
車の音がした。
「ヒデオたちかな。」
「あの音はアキコだよ。」
「フフ、さすがね。」
「なにが。」
「朝まで起きないかも。」
「えっ。」
「二人が朝まで起きないような気がするわ。」

 外は少しづつ夜に近づいていた。

その窓辺にたたずめば3

2010年07月26日 17時41分49秒 | Weblog
キヨミは階段を上がった。
マサルが気配に気付いて、振り向いた。
キヨミは何も言わずにゆっくりと二人に近づき、ヒカルをはさむようにして座った。
窓の外を見ているヒカルはその気配さえも感じないようだった。
キヨミの手の中から、新しい仁の手が伸びた。
ヒカルの腕にその小さな掌が触れた。
ヒカルの顔が新しい仁のほうを向いた。
うつろな瞳に新しい仁の笑顔が入ってきた。
言葉のない声がヒカルの鼓膜を刺激した
穏やかな、穏やかな感触がヒカルを包んだ。
ヒカルの瞳の中の新しい仁はあまりに小さかった。
あまりに小さく、小さくて、直ぐにでも壊れそうな人がそこにいた。
ミサキとは違う、穏やかな電流がヒカルに伝わった。
ヒカルの瞼は自然と閉じ、マサルのほうにもたれかかるようにして倒れこんだ。
ヒカルが眠った。
キヨミは感じていた。
マサルにヒカルをそのまま寝かせるように導いた。
そして、手の中の新しい仁をヒカルの腹の上に置いた。
新しい仁は嬉しそうに腹の上を移動した。
ヒカルの顎に頭をのせ、新しい仁も眠りについた。
キヨミとマサルは新しい仁が落ちないように気にしながら、二人を見つめた。

ミサキも上がってきた。リツコもきた。
その窓から差し込む夕日と薄い雲が作り出した朱色が部屋を染めていた。
時間が無くなったような感覚が皆を包んだ。
ミサキとリツコもドアのそばに腰を下ろした。
そして、待った。
じっと、待った。
二人がその眠りから、こちら側に戻ってくるまで。


その窓辺にたたずめば2

2010年07月21日 17時46分14秒 | Weblog
 川の流れる音が大きくなってきた。タクシーは土手の道から「ベース」に向かうくだりざかを降りた。アキコとヒデオと仁は仕事に出ていた。タクシーが下りてくるのを皆が気付いた。車に駆け寄った。

 リツコ、マサミ、ハル、マリコ、マー、サンちゃん、キーちゃん、そして、マサルがいた。キヨミと新しい仁も家の中から出てきた。ミサキは嬉しかった。ヒカルを抱えるようにして、タクシーを降りた。
「ヒカル、大丈夫か。」
マサルが言った。ヒカルはうつむいたままだった。皆で二人を囲んだ。ヒカルはいくぶん震えていた。リツコが皆を制した。
「ミサキ、アキコから聞きました。ほんとはじっくり時間をかけた方がいいんだけど。三日しかないのね。でも、皆が一緒です。少しでも兆しが見えるようにしましょう。」
「ありがとう。」
涙が出た。こらえていたから、耐えていたから、とめどなく出た。ハルとマサミがミサキを抱いた。マサルがガシっと、ヒカルを支えた。
「どうしたんだよ。」
小声で囁いた。ヒカルの視線は定まらなかった。

 二人が使っていた部屋は、そのままだった。
 外が見える窓。ヒカルとヒデオで改装した窓。解体現場からもらってきたサッシを、壁を崩し木枠を組みなおしてはめ込んだ窓。ヒカルはそこ座った。窓の外をじっと見ていた。ミサキはその横に座った。マサルがきた。
「かわるよ。」
そういうと反対側に座った。
「下で、リツコが話したいって。」
ミサキが立とうとするとヒカルが手を取った。その手を肩を抱くようにして、マサルが押さえた。ヒカルは手を離した。ヒカルは恨むような目でマサルを見た。マサルは スペイン坂の「ベース」のときのように力を入れるでもなく、離すでもなく、包み込むようにヒカルを抱いた。ヒカルの顔は見る見る崩れた。涙を流した。マサルにもたれかかり、涙を流した。その重みをマサルは受け止めた。

 ルームの前の食道にリツコがいた。
「大変だったわね。妊娠中にうつになってしまう子もいるのよ。そんな経験も少しは役に立つと思うわ。」
ミサキはまた、涙が出そうになった。
「どんなクスリをもらったか聞こうと思ったの。」
ミサキは、はっとして二階に戻った。部屋のドアは開いていた。足音を忍ばせて、ヒカルに気付かれないようにバッグを取った。階下に下りて、リツコに渡した。
「ワーずいぶん、出されたわねえ、」
リツコは薬袋から取り出し、種類別にテーブルに並べた。
「やっぱりね。これとこれとこれはね。死なない為の薬なの。いちばん怖いのは自殺したくなることだからね。それをごまかすクスリなの。けして、生きるためになる薬じゃないわ。」
「ヒカルは死が怖いって、言っていたから、自殺は・・。」
「うん、それはわからないの。恐怖から逃れるために死を選ぶこともあるから。ただ、飲まなくてもいいのなら、止めたほうがいいクスリね。死にたくなくなるけど、全てのやる気もなくなるわ。」
「そんな・・・。」
「リツコ。」
キヨミの声がした。食道の前に新しい仁を抱いて立っていた。
「ヒカルのとこ言ってもいいかしら。」
「マサルがいっているけど。」
「仁がね。仁が行きたそうなの。」
「いいと思うけど・・・。」

その窓辺にたたずめば

2010年07月20日 17時17分00秒 | Weblog
 新幹線に乗っている間もヒカルは外ばかり見ていた。

 式場の予約は小西さんによると一ヶ月半後だった。全てがスピードを増して進行しているような感覚にとらわれていた。

 それでもミサキは、説得した。無理を承知で懇願した。心にもないことまで言った。
もし、「ベース」に行かせてくれないのなら、家を出るとまで言った。困り果てた母親は、叔父と話し合い、三日間だけならいいといってくれた。ミサキは涙を流して感謝した。その涙のほうが母親と叔父を不安にさせた。
 母親と叔父は、母親の部屋で二人きりになると静かに話し合った。
「信じるしかないだろう。」
「そうね。信じるしかないわね。」

 ミサキは後ろから、ヒカルを抱きしめた。振り向かないヒカル。早く、早くついてと心の中で叫んだ。

 市川の駅からタクシーに乗った。電車の中でも、タクシーの中でも、ミサキは右手でヒカルの手を握っていた。制御するのではなく、祈るように。

 ヒカルは反応しなかった。

あってはならない人もいる8

2010年07月16日 11時19分49秒 | Weblog
 ミサキは母親に電話をした。ヒカルの状態を話し、今日は帰れないといった。まだ、式もあげてないのに、といくぶん攻めるような口調だった。誰に見られるわけでもないのだが、当時はそんなことも気にする時代だった。小西さんにも電話をした。小西さんは、直ぐに心療内科の予約を取った。

 その日は一日中、部屋にいた。
 そして、眠れぬ夜を送りながら、二人は朝を待った。

 次の日。

 医師は、じっくりと診察した。問診から始まり、市立病院とおなじような検査をヒカルは受けた。といっても、意識の無い状態での検査と、意識がある状態での検査では違った結果が出てもおかしくない。医師は「心的外傷後ストレス障害」から来るうつ状態と診断した。抗うつ薬とビタミン剤と睡眠導入薬と安定剤といろんな薬が処方された。付き添った小西さんは時計をチラチラ見ていた。
「小西さん、あとは、私がいるから。」
「すみません。じゃあ、お先に。」
二人が心療内科のある雑居ビルを出ようとすると、歩道に変わった服装の団体がいた。それを裂けるようにして車道にでた。タクシーを拾おうとすると、目の前にタクシーが止まり、中なら奈美江が出てきた。
 ミサキと目が合った。二人は何かを感じたのか、その視線をしばらくはなさなかった。初対面だった。ミサキが言った。
「降りられます。」
「ええ。」
「すみません。」
ミサキの視線が動くのを見て、立ち止まっていたことに奈美江は気付き、軽く会釈をして歩道に上がった。
「こんなところ何をしているの。上の事務所に入りなさい。」
「飯島様をお迎えしますので。」
「飯島。だれ。」
「はい、名古屋を視察に。」
「東川ではなかったの。」
「東川様は、退会されたそうです。」
「なに。執行部は何をしたいの。」
それには誰も答えなかった。

 その会話を背中で聞いていたミサキは、ヒカルをタクシーに乗せてから、振り向いた。雑居ビルの横に連なる看板が目に入った。ヒカルが診察を受けた心療内科の看板の下の「流魂」の文字が瞳の奥に、記憶の中にはっきりと焼きついた。

あってはならない人もいる7

2010年07月13日 13時52分25秒 | Weblog
昼過ぎにヒカルは目を開けた。
「ミサキ。」
「なあに。」
「いてくれたんだ。」
「大丈夫、ヒカル。」
「うん。」
力のない返事だった。ヒカルの視線がさだまらなかった。右に左に動いた。
「ヒカル、小西さんがね。これからの予定について話したいっていっているの。」
「うん。」
「今日はお断りしたけど、大丈夫。」
「なにかね。身体が震えるんだ。寒い感じがするんだ。」
「お医者さんに行こうか。」
「うん、そんなのとは違うんだ。」
身体を絞り込むように右手で左腕を、左手で右腕を握り締めた。
「ミサキ、僕にさわって、僕にふれて。怖いんだ。目で見ていても、声を聞いても、たった一人でいるみたいな感じがするんだ。怖いんだ。僕に、僕に・・。」
ミサキはその上から、ヒカルを抱きしめた。
「ヒカルー。どうしちゃったの。ねえ。ヒカル。」
「見たんだよ。夢で見たんだ。死ぬ前の男の顔が僕を見ていた。今度はおまえだって、言っているみたいに僕を見たんだ。」
まだ、終わりそうにない言葉の嵐を鎮めるようにミサキはヒカルに口づけをした。ゆっくりと、ゆっくりと、ミサキがそこにいることを伝えるようにキッスした。小刻みに震えていたヒカルの身体が、少しほぐれた。
「ねえ、「ベース」へ、「ベース」に一度、戻ろう。」
「えっ。」
「私たちの根拠地に戻ろう。」
「何をいっているの。」
「違うの。私だけでは、あなたの感じているものを取り除くことが出来ないような気がするの。みんなに会いに行こう。親や、小西さんには私が説明するから、ね。行こう。」
ヒカルは返事をしなかった。が、大きく肯いた。
「ヒカル、あなたが私を・・・・・・。」
と言いかけてミサキは言葉を止めた。

 ミサキはヒカルがあの団体から自分を自由にしてくれたことを言おうとしていた。

 心の全ての部分を色ずけされて、他に価値のないように導かれていった世界。
 生きること自体を罪と教えられた教義。
 個々の存在を否定するかのような説教。
 
 ヒカルとの脱走から、「ベース」に至る一連の時間。
 人が人であることの単純さと、今、そこにいることの幸せを感じることができた時間。

それはミサキにとってかけがえのないものだった。そして、その出発点には、ヒカルがいた。さらに、どんな時でも、ミサキの横にはヒカルがいてくれた。

それは、今、目の前にいるヒカルとは違っていた。

なにが、なぜ。

ミサキには解らなかった。

 考えてみれば、全て、自分が引き込んだことだった。最初の逃亡も自分が勝手にヒカルのところに押しかけた。それが始まりだった。今度のことも、自分の家族のことが原因で、ヒカルを名古屋に引っ張った。ヒカルは、いつも、自分のために犠牲になっているのではないか。もし、自分がヒカルを名古屋に呼ばなかったら、事故にもあわなかったのではないか。

そんな思いが頭をめぐった。涙が出てきた。ヒカルが気付いた。
「どうしたの、ミサキ。」
「ごめんね。ゴメンね。ヒカル。」
ミサキはヒカルをきつく抱きしめた。
「帰ろう。ね。「ベース」に帰ろう。」


あってはならない人もいる6

2010年07月12日 17時44分16秒 | Weblog
「小西さん、ミサキです。たぶん、事故の影響だと思うんだけど、ヒカルの調子が悪いの。
今日はお話は無理だから・・・・・
うん、お忙しいところすみません。また、時間を合わせて・・・・
お願いします。」

 寝室に戻るとヒカルは、出て行くときと同じ状態だった。ミサキがヒカルのそばに来るとガバッと抱きつき、ミサキの腹に顔をうずめた。
「ヒカル、どうしたの。」
ミサキは手をほどき、その手を握ったまま、横に腰掛けた。
「ミサキ、寒いよ。寒くて怖いよ。」
「何かかけよう。」
「そうじゃないんだ。死んでしまうんだ。死んでしまうんだよ。」
ミサキはヒカルの手に力がはいり、何かに耐えていることを感じた。
「ヒカル。」
「昨日、夢を見た。でも夢じゃなかった。
 ねえ、ミサキ、死んだらどうなっちゃうんだろう。
 僕が思っている僕も、僕が思っているミサキも、みんな、いなくなっちゃうんだよ。
 死んでも、ミサキを見ていられるのかなあ。
 頭が動かなくても、心臓が止まっていても、解るのかなあ、
 ねえ、ねえ、ねえ。」
ミサキも悲しくなった。ただ、どうしていいか解らなかった。
「ヒカルー。」
ミサキはヒカルを抱きしめた。
 
 それが事故のショックだったら、直ぐに、医者にいくべきだ。だが、ミサキには、それを思いつく、ことができなかった。子供のようにおびえるヒカルに、愛おしさと同時に、不安を感じた。ミサキはヒカルの横に添い寝した。ヒカルはミサキの体温を感じることで、安心したのか、寝息を立てた。

あの団体の教えがミサキによみがえった。

堕落した道から救われるためには血を清めなかればならない。

それですら、ヒカルの疑問に答えることはできないと感じた。



あってはならない人もいる5

2010年07月09日 14時37分18秒 | Weblog
 ミサキがインターフォンを鳴らした。小西さんは十時くらいに来ると言っていた。ミサキは七時になる前にインターフォンのボタンをを押した。返事がなかった。ミサキは鍵を開けた。物音を立てないようにベッドルームに向かった。ベッドルームのドアは開いていた。中を覗き込んだ。その覗き込む顔を覗き込むようなヒカルの視線があった。
「ヒカル、起きてるの。」
「ミサキ、怖いよ。」
「何。」
「怖いよ。」
ミサキはヒカルに駆け寄った。
「どうしたの。」
「怖いよ。」
「何が怖いの。」
「ミサキ、抱いて。」
「ヒカル。」
ミサキは、ベッドにもぐりこみ、ヒカルの後ろから重なるようにヒカルを抱いた。かすかに震えていた。
「何があったの。」
「夢を見たんだ。」
「何の。」
「見ていたんだよ。死んじゃった人の顔。」
「えっ。だって、覚えてないって。事故のことも。はっきりとは。」」
「うん。でも・・・・・。」
ヒカルがミサキのほうに振り向いた。おびえる子供のような顔がミサキを見た。
「ミサキ。」
ヒカルはしがみ付くようにミサキに抱きつき、その胸に顔を埋めた。
「怖いよ。死んじゃうの怖いよ。怖いよ。・・・・・。」
「ヒカル、ヒカル、しっかりして。大丈夫、大丈夫だから、生きてるから・・・。」
ミサキは状況、ヒカルの状況がわからなかった。それでも、何とかしなくてはと思った。ヒカルの顔を離した。疲れきって憔悴した顔があった。
「十時に小西さんが来るって、言ってたけど、止めようか。今日は休んだほうがいいね。」
「怖いよ。怖いよ・・・・。」
涙目のヒカルはつぶやくように繰り返していた。返事はなかった。
「ヒカルー。」
ミサキはヒカルの頭を抱きしめた。
「ヒカル。」
背中を擦りながら、頭をなでながら、なだめるようにヒカルを抱いた。カーテンの端から朝の光が差し込んでいた。眠れぬ夜の反動で、ヒカルは寝息を立てた。

今まで見たことのないヒカルだった。
子供のようで、闇に怯える子供のようだった。
あの団体から、ミサキを助け出してくれた時のヒカルではなかった。
ヒロムをことを許してくれたヒカルではなかった。
ヒデオの仕事について、頑張ってくれたヒカルでもなかった。
ビーエスエイトのベースを弾くヒカルでもなかった。

弱々しく、壊れそうなヒカル。

わからなかった。ミサキには今のヒカルがわからなかった。が、ミサキの腕の中で寝息を立てるヒカル。ヒカルはヒカルだった。

私のヒカル。今度も無理ばっかり、言っちゃったかな。
私のために。私のために。
いつも私を、私の味方のヒカル。
ほんとに無事でよかった。
事故なんて、信じられなかった。

ヒカル、ヒカル。

今度は私が・・・

時間が過ぎていた。

小西さんは一度出社してから、こちらに来ると言っていた。
電話しなきゃ

電話のあるリビングに行こうとした。ヒカルの手がミサキをつかまえた。
「いかないで。」
「小西さんに電話をしてくるから・・・。」
「いかないで、怖い。怖いよ。」
「どこにもいかないわ。リビングで電話をしてくるだけよ。」
ヒカルは手を離さなかった。
「じゃあ、一緒に行こう。今日は無理でしょう。」
「うん。」
そういって、ベッドを出て、手を差し伸べ、ヒカルを起そうとした。ヒカルの両足が床に着き、立ち上がった瞬間、よろめいた。ミサキは両手でヒカルを抱き締め、支えようとした。が、一緒によろめいた。また、ベッドの上に重なった。ヒカルの息が荒かった。
「ね。直ぐ戻るから、ほんとに直ぐ戻るから。ね。」
「うん。」
ヒカルは両手で、顔を隠して、力なく、返事をした。