仁、そして、皆へ

そこから 聞こえる声
そして 今

ライブやろうよ。Ⅳ

2009年06月30日 16時15分13秒 | Weblog
 そこで始まる演奏には普通のバンドのような楽譜はなかった。ハルとミサキのヴォイスにも決まりごとはなかった。ヒデオとアキコのダンスにも決まったステップはなかった。ダンスといえば言えるが、アキコが人形となって文楽のように動く、といったほうが良かった。始まりと終わりをどうするのか、そんな決まりごともなかった。
 誰かが始めた。リハーサルルームができてから、そのドアを開けるところから始まった。
 その日はハルがドアを開けた。ハルはしばらく一人だった。ハルはドラムスの前に座り、スティックを握った。簡単なエイトビートを刻んだ。二重ガラスの窓から、ルームの中の空気の振動が伝わった。マーのドラムのノリに似ていた。が、それは軽やかで、心地良かった。そのノリに引き込まれるというより、一緒に弾んでしまうようなリズムだった。
 ミサキがドアを開けた。電源を入れれば、マイクが使えるようになっていた。
   チュ チュ チュ チュッチュ チュディチュ
   チュ チュ チュ チュッチュ チュディチュ
   チュ チュ チュ チュッチュ チュディチュ
ハルが笑った。ミサキも笑った。リフレインと単純なリズムの心地良いルーティンが始まった。マサミが入ってきた。マサミはマーのスティックケースからスティックを取り出した。ハルが刻まないトップシンバルをハルと向かい合う感じで鳴らし始めた。キープされているテンポ感。マサミの音は小節を超えるように、崩すように、アクセントを入れてきた。それに反応するミサキ。
 二重ガラス窓に男たちの顔が並んだ。アキコはその気になるのに比較的時間が、というより飲みが必要だった。一番最後にドアを開けるのがアキコだった。演奏をとめることなく、三人の演奏者はその顔を見て噴き出した。
 マサルが入ってきた。ボリュームを絞り、エフェクターを踏み込んだ。
 チン ツー 
フルボリュームにして腕を大きく振った。
 ガー キー
ボリュームを絞った。
 チン
皆が笑った。マーもヒカルも入ってきた。ハルのキープを崩すように、キープを試すように、マーはキーボードを、ヒカルはベースを叩いた。ハルは負けなかった。ミサキがスティックを持って、マーの横に移動した。マーにスティックをわたした。マサミはハルの援護をするように軽快なリズムでキーボードを叩いた。マーはハルの横に移り、フロアタムでハルとシンクロした。ハルはマーに任せ、ミサキと合流した。
   チュ チュ チュ チュッチュ チュディチュ
   チュ チュ チュ チュッチュ チュディチュ
   チュ チュ チュ チュッチュ チュディチュ
ヒカルがポジションを探し始め、マサルがテーマを探った。そして、一つのスタイルができるとヒデオとアキコを待った。仁のような半開きの目になっているアキコに口づけ、ヒデオが手を引いた。二人の動きが始まると、動きと呼吸をするように音が変化した。

ライブやろうよ。Ⅲ

2009年06月29日 14時47分20秒 | Weblog
機械を使わない農業は時間がかかった。その分、収穫の満足感は格別だった。農業自体の機械化が進んでおり、手作業で使う農機具はほとんど、周りの農家が提供してくれた。
 七人の食事を誰が作るのか。時に八人になるのだが。家賃その他の資金面ではマサルの金が当てにできたので問題はなかった。時間、腕が問題だった。マサミとアキコは料理という言葉自体を聞きたくないタイプだった。が、朝一番早くにおき、食事の支度をするマサミ、続いて、ヒデオ、それに手を貸すヒカル。少しづつ、自分もその中に入りたいと思うようになった。マサミは一日中、「ベース」にいた。あるとき、マサミはミサキの料理本を台所で見つけ、ハッとした。料理は才能でするのもだと思っていた。自分には才能がないと思い込んでいた。本には付箋が張られ、書き込みがしてあった。マサミは涙を流した。ミサキのストイックな姿勢に感動した。そんなことで涙が出る自分も不思議だった。自分も何か、変えたいと思い、ミサキに本を貸してくれと言った。ミサキは恥ずかしそうに肯いた。次の日から、マサミはミサキの次に台所に入った。
 アキコは朝の台所が賑やかになっていくのに自分が取り残されているのではないかと思った。基本的には皆と一緒がいいタイプだったので簡単に参加することになった。特にミサキ農園が動き出すと、マサミとアキコが食を本格的に担当するようになった。
 二階部分の部屋割りは三ヶ月の改修工事の中で一番厄介だった。吹き抜けの土間と台所を除いて一階と同じ面積が二階にはあった。土間の中央の階段から上ると真ん中に廊下がありその両脇に部屋があった。柱の位置から考えるとほぼ均等に四分割するのが簡単だった。が、マサミは仁がいなかった。ハル、マー、マサルは三人だった。そこで、一人一つのスペースを作ろう,ということになり、八分割のうなぎの寝床ができた。簡単な区切りだった。それでも、各部屋にはベッドと収納が作られ、衣装もちのアキコ以外は快適な空間になった。アキコのためというわけではないが廊下の突き当たりのスペースを今で言うウォーキングクローゼットのように仕立てた。ご婦人たちはそこに衣装を入れ込んだ。壁の厚みを考えると、それでも中にグラスウールを張ったのだが、一様プライバシーは保たれた。さらに、土間部分の上を改造した。吹き抜けを台所の上だけにして、廊下を延ばし、壁を作り、他とはちがう、広いスペースを作った。各自が持っていた、と言ってもアキコとヒデオとヒカルの部屋にあったテレビを三台並べておいただけなのだが。ソファーを置き、マットを敷いて娯楽室という事になった。そこにいくには、階段に一度、蓋をしないといけないという不便はあったのだが。
 個人的なセクスについても変化があった。仁を経験してから、仁を中心とするセクスを経験してから、個人的なセクスが減った。ヒカルとミサキ、ヒデオとアキコ、このカップルは個人的なセクスの時間があっても不思議はなかった。が、「ベース」にきてからはそのキッカケがうまく持てなかった。けして、それが性的な欲求不満となることはなかった。むしろ、マサミとマーが近づいた。皆が寝静まった頃、階下に下りて、広い座敷の隅で、キーボードの裏でかれらは交わった。仁がいない寂しさが二人をそうさせた。皆は静かに二人を見守った。日常はそうした変化と共に静かに進んだ。

 ヒデオとヒカルは現場がうまくいきそうなときは土曜日も休みにした。そして、金曜日の午後、マサルのベンベーが庭に着いた。もし、平日を日常と呼ぶとするのなら、土曜日と日曜日は特別だった。マサルが付くと同時にパーティーの準備が始まった。マサルは下北の北口の駅の下の市場。昔の人は闇市と言っていた。そこで、食材、特に肉を買ってきた。グラム単位ではなく、キロで買ってくるのだった。豚のロースの塊や鳥を三羽分、牛のヒィレ一本と買い方はやはりマサル的だった。ミサキとマサミがその食材の前で座り込み、どのように料理するか、何を作るか検討し始め、そこからパーティーが始まった。金曜日のヒデオの車にはアルコール類が積まれ、カチャカチャと瓶のあたる音が響いた。ハルとマーがでむかえ、荷物を降ろした。
 新「ベース」開設以来、金曜日の夜からのパーティーが行われた。飲み始めると音が始まり、音が始まるとダンスが始まった。飲みがいつも一緒だから、ストイックと言うわけには行かないがそれは彼らのリハーサルとなっていった。
 ただ、問題は音量だった。音量は自然と大きくなっていったのだ。ある日、ミサキが近くの農家に種を分けてもらいにいくと
「おたくら、金曜日から何やってるの。やけに賑やかだけど。」
と、笑いながら、釘を刺すように言われてしまった。その話しを「ベース」ですると、気兼ねなく音を出したいと言うことになり、資金面はやはりマサルが担当し、ヒデオの現場の職人で防音を手がけたことのある人を探した。奥座敷はリハーサルルームに変身した。やはり、下地はヒデオとヒカルが中心に全員で作り、本格的な遮音はその職人を呼んだ。下地に鉛板を張り、その上に間柱をたて、グラスウールを張り、さらに布張りをした。食堂から中が見えるように二重ガラスの窓をつくり、分厚いドアもつけた。完成するとヒデオがまた、車を走らせ、音の届く範囲を確認した。床も、天井も二重になったので、いくぶん圧迫感はあるが、音の問題は解決した。 

ライブやろうよ。Ⅱ

2009年06月26日 17時43分17秒 | Weblog
 ミサキは楽しかった。ヒカルと暮らしの中で改善はされていたが、洗脳の後遺症からは簡単には抜け出せなかった。自分は堕落したのだと思わなければ自分を許せなかった。「ベース」の移転はそんなミサキを変えていった。耐え忍ぶこと。従うこと。教えの通りに生きること。自分が一番汚いということ。全ての不幸の原因が自分にあると思い込まされていた。その人に、その人のことばに従わなければ救われないと信じていた
 仁との出会いはミサキを変えた。ミサキは仁に力を感じた。はじめて「ベース」に入る前の仁の与えてくれたイメージがミサキを動かした。強制的なものは何一つもなかった。仁は今、いなかった。ミサキは自分の意思で畑を作ることを決めた。仁の与えてくれたイメージの中で「ベース」の前に広がる畑の姿をミサキは見ていた。自分で決めて自分で行動することがこんなに楽しいことなのだとミサキは感じていた。子供のように感覚のままで行動するハルとマー、二人の存在もミサキには新鮮だった。楽しいと思うと二人は夢中になった。そんな姿が自分の中にもあることをミサキは気付かされた。

ライブやろうよ。

2009年06月25日 17時17分11秒 | Weblog
 「ベース」に移り住んだのは宿無しの三人とヒデオ、アキコ、ヒカル、ミサキだった。ヒデオとヒカルの現場は遠くは小山、前橋あたりまでお呼びがかかった。朝は早かった。アキコは「ベース」への移住が決まった段階で職場を退職し、市川市内の開業医の病院に職場を移した。
 マサルは通いということになった。リビングの機材が全てなくなったことを森口さんに問いただされ、返答に困ったマサルは売ったと言ってしまった。何に使った。金が足りないのか。音楽は飽きたのか。森口さんの質問攻めが始まり、マサルは閉口した。そんなこんなで一様、大学にいくというたてまえ上、下北に住み、週末に「ベース」に出かけた。
 森口さんは母親よりマサルを心配していた。森口さんは清美さんとは違い、電話もなく、マサルの部屋に現れた。平日だったが、マサルがまだ寝ている時間に来るのだった。時々、独り言のように清美さんはいい子だった、どこに行ってしまったのだろう、結婚などすすめなければよかった、ともらした。
「マサルさん、ほんとうに知らないのですか。清美のこと。」
いつも、最後に、マサルに聞いた。マサルは苛立ち、何も言わなかった。
「学校の時間じゃないですか。」
マサルの気分など、ものともせずにつぎの言葉が飛び出した。森口さんにはかなわなかった。
 「ベース」の庭に畑ができた。
 最も熱心だったのがミサキだった。図書館に出かけ、農業の本をかり、近くの農家に出向き、いらなくなった農機具を分けてもらい、種まきの時期、その地に適した野菜を教えてもらい、手作業で畑を作り始めた。自分にそんなことができるとは思ってもいなかった。が、そうした行為が地域の人たちとの交流を可能にした。大規模な改修工事を横目で見ていた地域の人々はミサキの人柄、熱心さに心を開き、「ベース」自体を完全にではないが受け入れてくれるようになった。
 「ベース」は誰が何をやるということは決まっていなかった。ただ、ミサキ、ヒカル、ヒデオのストイックな生活態度に後の者も少しづつ変化していった。
 農作業を面白がったのはハルとマーだった。肉体労働などしたら、壊れてしまいそうなミサキを見て、彼らは不思議だった。むしろそれを遊びの感覚にしてしまう二人が参加することで作業は楽しいものになった。時として、邪魔をしているのではないかという時もあったのだが。

誰のためとは言わないがⅥ

2009年06月24日 16時14分53秒 | Weblog
 マサルの音はマサミのを音を追いかけ、追い越し、また、戻り、マサミと絡まった。ヒカルの音はマサミの低音を引き継いだ。自由になったミサキの左手は四人の音に深い響きを重ねていった。音の重なりの中で、ヒデオはマサミの魂に触れた。アキコもその中にいた。涙が溢れ出てきた。ストレートジンを噛むようにして喉に運びながら、ヒデオは涙を拭こうともしなかった。ミサキもハルもその音が魂の嘆きであるように感じた。
 突然、ハルがミサキの手を引いた。ハルとミサキは、すでに、マイクのセッティングを自分でできるようになっていた。二人は自分のマイクをセットした。ハルが声を出した。
     ジンジンジン、オーイェ-。 
     ジンジンジン、ウーウァオ-。 
     ジンジンジン、オーイェ-。 
     ジンジンジン、ウーウァオ-。 
涙目のミサキに目を合わせた。ハルの目がミサキを動かした。ミサキもハルに共鳴し、同調した。ヒカルもハルのエネルギーを感じた。音は同調から新しい方向を目指した。ヒカルはそのフレーズをかえることはなく、ハルのリズムに、ノリに合わせたタッチにニュアンスをかえていった。ヒデオもアキコもその変化に、違和感のない進行に、まるで、蝶の脱皮を見ているかのような美しい変容に驚きと共に感動した。
 ハルは、感じていた、その悲しみのエネルギーを、ミサキの深い悲しみのフレーズを。その感情の中に染込んでいく自分をも感じていた。その感傷的な気分の中にいることで自分が慰められることも。同時に、このままでいたら、全てがそこで終わってしまうような恐怖、悲しみの穴に引きずりこまれ、二度と上がれなくなるような恐怖がハルをとらえた。
 それに打ち勝つために声は自然と出てきた。マーのスネアがはじけた。マサルも悲しみの中にいた。だから、マサミのフレーズの中で沈み込みたかった。そんなマサルにマサミの変化が勇気を与えた。マーの弾けるスネアの音からマサミも力強い響きへと変容していったのだ。
 グルーブが生まれた。
 皆が基本的に深くものを考えるタイプではなかった。
 グルーブの中でヒデオが動いた。ヒデオもその変容の中に入りたかった。そして
感動している自分自身を表現したかった。
 ヒデオは服を脱いだ。引き締まった筋肉質の身体が現れた。音に連動して、筋肉が動いた。ヒデオはアキコに手を差し伸べた。アキコは涙を拭き取り、服を脱いだ。艶やかで女性的な肉体が露わになった。ヒデオはアキコを抱え上げ、その身体をリードした。手を取り、手を引き、抱きしめ、ポーンと空中に投げ上げ、抱きしめた。アキコの身体はまるで操り人形のようにヒデオのリードで舞った。自分では硬くてどうしようもない身体と思い込んでいた身体がすべての力が抜け、全てを託すことで、自分のものとは思えないほど自由に動くのだった。自然と指先が伸び、足先が伸び、身体の線が音と同調し、波打つのだった。
     ジンジンジン、オーイェ-。 
     ジンジンジン、ウーウァオ-。 
     ジンジンジン、オーイェ-。 
     ジンジンジン、ウーウァオ-。 
 音は肉体を支え、肉体が音を導き出した。声は力を、エネルギーを、存在を称えた。皆は今はいない仁と清美さんが彼らにエールを送っているかのような感覚、魂の響きの中にいる自分たちを感じていた。

誰のためとは言わないがⅤ

2009年06月23日 16時55分49秒 | Weblog
 家の裏の雑木や雑草は撤去され、江戸川の土手が見わたせた。台所の窓で四角く区切られた視界の中央に、すでに夕焼けは終わっているのだが、ぼんやりと光の輪のようなものが見えた。その中央に二人の人影があった。
「仁だよ。仁。」
そう、叫ぶとヒデオは走り出していた。追いかけるように全員が表に出て、マサルと清美さんが上った土手につながる道を走った。土手の上には誰もいなかった。人影も、ぼんやり光る明りもなかった。
「仁さん、来てくれたんだね。」
「きっと仁さんだよ。」
ハルとマーが独り言のように行った。対岸を走る車のヘッドライトが川面に反射して、川原の端にスクッと立つ、二本の葦をまるで人影のように映し出したのかもしれない。しかし、皆はそれを仁と清美さんが来てくれたのだと信じた。そう感じた。皆が同じ感覚を、共有していた。
「飲み直すか。」
ヒデオが言い、土手を降りた。マサミがアキコにターキーは美味しいかと聞き、アキコが肯くとグラスに半分ぐらい満たし、そのまま、一気に飲んだ。
「ドッ、ははは。」
と笑い、フラフラしながら、キーボードの前に座った。最初、テンポもリズムもなく不安を誘うような響きが鳴った。弾くというよりも叩いていた。
 ゴーンという感じで音が伸び、フッと消えた。
 ドカドカドカと唸り、フッと消えた。
 バーンとはじけてフッと消えた。
 そして、そのフレーズに行き着いた。フレーズは二つの要素を持ち、高音の旋律が落ちるように流れ、また浮上した。低音が静かにループした。皆はマサミの魂が悲しみの中にいることを知った。失われた欠片をその音を頼りに探るように、手さぐりをするように。
 マーが立った。マーはドレムスに座るとスティックを振った。大きく振れるスティックの先端だけがシンバルに触れた。そのモーションからは想像も付かないピアノシモの音が響いた。それは波のように、風のようにマサミのフレーズを包み込んだ。
 皆が同じように感じていた。この三ヶ月、どうしてこんなに一生懸命になれたか。身体を壊すほどに頑張り続けたのか。それは新しい「ベース」が完成した時、じんが帰ってくるのではないか。新しい仲間として清美さんが合流するのではないか。その期待が皆を支えていたのだ。だから、あの幻影さえも仁と清美さんに見えたのだ。
 マサルが立った。
 ヒカルも立った。
音はマサミのフレーズに同化していった。

誰のためとは言わないがⅣ

2009年06月19日 17時23分10秒 | Weblog
 ミサキはキーボードの前に立って鍵盤に人差し指を乗せた。マサルが気付き、電源を入れた。電気ピアノの弦を叩くのとは違う金属的な音が響いた。ミサキはビクンと肩を震わせた。子供が音を探すようにミサキの指が鍵盤の上を動いた。そして、記憶の中の音階を探した。
「メヌエット」
マサミが言葉に出した。
「ミサキ、ピアノ弾けるんだ。」
ヒカルが驚いたように言った。
「ずーと前にならったの。」
恥ずかしそうにミサキは笑った。マサミがミサキの横に椅子を持っていた。連弾が始まった。ミサキのフレーズに不思議な響きの和音をのせ、旋律を追うように続けた。クラシックでも、ジャズでもない不思議な音が皆に浸透した。マサルも、ヒカルも立った。マーもジンのグラスを持ったまま、ドラムスに向かった。メヌエットをテーマに音の渦ができた。そちらの方向に音は向かわなかった。緊張感はあるものの、エロチックな雰囲気の音へは移行しなかった。
 マサルが音からはなれ、ヒカルが、マーが、マサミが離れた。ミサキは汗をかきながら、何度も繰り返したフレーズをエンディングに持っていった。
「凄ーい。」
アキコが叫んだ。
「どうしてできるの。何も決めてないんでしょ。凄い、凄いわ。」
ヒデオも聞き入っていた。
「何だろう。今日はこの雰囲気なのかな。」
「そうだね。あっちには行けないみたいだね。」
拍手をしながら、迎えいれるヒデオにはよくわからない会話だった。
「いいじゃないかー。いいよ。いい。」
そういいながら、ビールのジャンボボトルをかざした。
「飲もう。飲もう。」
演奏前よりも皆の距離が近くなった。
「仁さんがいないと、簡単にはいけないのかなあ。」
「あの時は三人でも入れたよ。」
マサルが仁という言葉に反応した。ウォッカのボトルをつかんだ。氷がなかった。マサルは台所に行った。
「みっ、みんなー。」
マサルが叫んだ。皆が声のほうに動いた。マサルは江戸川の土手のほうを指差したいた。

誰のためとは言わないがⅢ

2009年06月18日 15時32分36秒 | Weblog
 料理の才能でいうとアキコも、マサミも、ハルもあるとはいえなかった。ミサキはヒカルとの生活の中でその才能を伸ばした。その日はミサキが中心をとなってパーティーの準備が進められた。朽ち果てそうなガス台を撤去して、アキコのところの魚焼きの付いたのとヒデオの一口のガス台、同じくヒカルのところのガス台、三機のガス台がキッチンというよりも炊き出し場と言いたいような台所に設置された。ミサキはカレーにスパゲティ、普段はあまりできない揚げ物、サラダと手際よく準備し、三人の力量に合わせて、作業を指示した。三人は感心するのと同時に料理というマジックを見ているような感覚になった。ミサキはほんとうに楽しそうに料理をした。仕上げ、盛り付けの時にはヒデオも参加した。三人は二人のマジシャンに思わず拍手を送った。
 そうした料理が奥座敷の前のスペースのヒカルとヒデオの作ったテーブルの上にのせられた。
 一階の家具はほとんどが手作りだった。切り出したままの松や杉板を使って作られたそれらに、マサミとハルが丁寧にサンドペーパーをかけ、オイルステンを染込ませ、ニスを塗って仕上げた。敷かれていた畳は撤去され、かさ上げをし、杉板のフローリング、そういう言い方はしなかったような気もするが、で仕上げられた。
そこも同じようにマサミとハルが削りと塗りを担当した。床を張った当初は臭いがきつく、全ての窓と扉を開け放たなければならなかった。そのときも臭いは少ししていた。天井こそ低いが、そう、やはり、アーリーアメリカンの開拓地の家、という感じだった。
 冷蔵庫も小型のものが三台。一台は飲み物専用になった。ビールも、ターキーも、ウォッカも、ジンも、ホワイトも全てがテーブルの上にのった。ミサキとハルがビールを配った。
「ヒデオ、準備できたよ。」
「あっ、そっ、そうか。」
「何か言いなさいよ。」
「はは。」
「もう。」
「何か、うー。マサルも回復したし、「ベース」もできた。乾杯。」
拍子抜けするような乾杯に皆が笑った。それぞれがそれぞれに自分の場所を決め、飲んで食べた。
 マサルは空っぽになったリビングを森口さんにどんなふうに説明しようか、などと考えていた。そんなマサルの肩をポンとマサミが叩いた。その日はミサキが最初に音を出した。

誰のためとは言わないがⅡ

2009年06月17日 15時48分40秒 | Weblog
 マサルの回復を待って楽器や機材がマサルの部屋から「ベース」に運び込まれた。ヒデオの仕事道具を「ベース」に新設した倉庫に入れ、空っぽのハイエースがマンションの脇の道に横ずけされた。積み込みの天才、そうヒデオが呼んだマーが大活躍だった。マサルの機材は小さなライブハウスなら充分にオープンできそうなくらいあった。それを少しも無駄なスペースを作らず一回で運べるようにマーは積み込んだ。
 この日は男が四人で作業をした。助手席までギチギチに格納され、三人はマサルのベンベーに乗った。ベンベーにもギター、スネア、ベースその他もろもろが積まれ、マーが後部座席で同席した。病み上がりのマサルにとって、この移動は少しきつかった。それでも江戸川を渡ったくらいから興奮がひしひしと身体に満ちてきた。その変化の過程で参加をしていたもののその場所に近づくにつれて、はじめてその場所にたどり着くような気分になっていった。
 草ボウボウの雑木林は綺麗に整備され、「ベース」の建物がはっきり見えた。丸太の柵を遠めで見ると変形したひょうたん型の土地だということにも、はじめて気付いた。
 車が「ベース」に近づくと音を聞いたアキコ、マサミ、ミサキ、ハルが出迎えた。
「電車で来るとすごく遠いよ。」
ハルの一声だった。全員で機材を降ろし、昔で言う奥座敷の位置にセットした。マーとマサルが機材の配置、配線を担当し、残りの全員でパーティーの準備をした。マサルの部屋も広かったが、セッティングを終えてみるとその奥座敷はさらに広かった。音出しをする前にヒデオが一番近い隣家までハイエースを走らせた。マサルのギターとマーのドラムではじめた音出し。かなりの音量だった。ヒデオは隣家から少しづつ、「ベース」のほうに近づいた。音の輪郭がわかったのは「ベース」の柵に近づいてからだった。「ベース」に着くとヒデオは奥座敷に走り、丸のマークをマサルとマーに示した。マサルはニッと仁のように笑った。
 パーティーは夕暮れの始まる少し前に始まった。

誰のためとは言わないが

2009年06月16日 16時14分26秒 | Weblog
 仁と清美さんの逃亡から三ヶ月くらいが過ぎた。
 その間、一番大変だったのは、もちろん、マサルだった。森口さんから電話があり、非番の日から清美さんが帰ってこないがそこにいないかと聞かれたり、今度は私が行きますから、と、もうすでにおばあさんに近い森口さんが来ることになったり、そのたびに、マーとハル、マサミがヒカルの部屋やヒデオの部屋に非難したり、今までのようにはいかなくなった。森口さんは母親のようにマサルに説教をした。これからどうするのか、大学は行っているのか。マサルはこれがずっと続くのかと、頭をかかえた。
 そんなこともあってか。「ベース」の整備に肉体労働などしたこともないのに一生懸命に参加した。ヒデオとヒカルの現場が開けたときと日曜日が、作業日にあてられた。家の改造はヒデオとヒカルが担当し、外の整備はアキコが中心となった。
 古い家の土壁を崩すか、検討したがそこまでやると大変な工事になるので柱を利用して外側と内側に建材を一枚貼り付け、外壁はペイントをすることにして、内側はクロスで仕上げることにした。古い建具は全て取り払い、補強を入れた。一階は広く全てが見渡せるように仕上げ、二階は各部屋が独立できるようにドアを新設した。仮枠大工の仕事とは思えないほど美しい仕上がりだった。
 外の整備は、ある意味、改築より大変だったかもしれない。草を刈り、雑木を切り倒し、その後の利用法を考え、土地をレイアウトし、駐車スペースのためにジャリを敷き、入り口と思えるところから現れた敷石磨きもやらなければならなかった。そうなってくるとヒデオたちも参加せずに入られなかった。不動産屋から大屋さんの許可を取り付け、土壁の塀を撤去し、低い丸太の柵をめぐらすなど、まるで、アメリカの農場にある一軒家を想像させるような全体改修が施されたのだ。屋根までは変えることはできなかったが。
 ほぼ完成というところで蓄積疲労がマサルを襲った。一週間、森口さんの説教の嵐の日々をマサルは過ごさなければならなかった。マーはヒデオの部屋に、マサミはアキコの部屋に、ハルは、ヒカルとミサキの部屋に、その間、寄生した。