仁、そして、皆へ

そこから 聞こえる声
そして 今

あってはならないこともある7

2010年06月28日 13時31分58秒 | Weblog
 二人が、意識を取り戻したのは、別々の病院だった。

 交通機動隊と、事故処理班が一車線を規制して事故処理を行った。昼になるくらいの時間帯だったこともあり、後続の車を巻き込むことはなかった。ただ、ダークグリーンのジャガーは炎上し、生存者はいなかった。
 現場検証から、宣伝カーとジャガーの二台だけが関わる事故でいないことが予測された。身元の確認にあたっては、小西さんから送られた書類が運転席に折り重なるように転がっていたヒカルとマサルの上にのっていたこと、そこから、小西さんに一報が行き、マサルの免許証で、白金に電話が入った。マサルの父親の秘書に直ぐに連絡が入り、県警を通じて、報道に対する規制が掛けられた。事故はダークグリーンのジャガーによる一方的な過失とされ、死者二名の事故にもかかわらず新聞報道されることはなかった。そのころ、東名高速の死亡事故はそんなに珍しいことではなかったからか。
 報われないのはジャガーの二人だった。身元を確認するものが全て燃えてしまい、ようやく判別することができたナンバープレートから、所有者の常任に連絡が入ったのだが、あまり利用しない車で、確認したところ、駐車場にないことから、盗難されたと思われると返事が返ってきた。身元確認はしばらく行われたが、結局、無縁仏として処理されることになった。
 救急病院から二台の搬送車両が用意され、一台は東京に、もう一台は名古屋に向かった。
マサルはかつて、世話になったことのある白金の大学付属病医院に、ヒカルは市立大病医院に送られた。二人の移動が可能だったのは、幸い、致命傷はなく、打撲と一部裂傷だけで、心拍数、呼吸、血圧ともに正常値だったからだ。ただ、横転した際に、頭を打っている可能性があり、その検査ができる病院が選ばれ、搬送された。
 それついて、意識が戻らないことを懸念した若い医師が搬送を止めるように提案したが聞き入れられなかった。確かに、その時の救急病院では脳の検査はできなかったのだが。
 人件費も、車両代も、かなりの金額がかかる搬送だったが、小西さんとマサルの父親側の利害が一致し、外部に漏れることなく、それらは遂行された。
 突然の出来事、つまり、死を意識しなければならないほどの危険に遭遇した際、人間はその精神を保護するため、あるいは、その恐怖から逃れるために、意識を一時的に閉鎖する、ということが行われたのだろうか。
 意識が戻るまでに、マサルが二日、ヒカルが三日必要だった。

あってはならないこともある6

2010年06月25日 15時43分17秒 | Weblog
 二人の会話はいつの間にか、ビーエスエイトの話に変わっていた。
「ヒカルって、ほんとベースって感じだよな。」
「どうして。」
「て、言うか、初めてのセッションの時、へたくそだなあって思ってたよ。」
「ひどいなあ。」
「はは、すごくうまくなったよね。」
「なんだよー。」
「俺も、人と演奏したことなくて。」
「ほんとに。」
「ウン。ハルとマーが初めてだった。」
「でも、軽音では・・・。」
「なんだろ、音が妙に色っぽくて、セクスみたいな感じだって、思った。ほら、仁と、仁さんと再会した時の下北のセッション。」
「うん。おぼえてるよ。」
「あの時から、言葉とは違う部分で、皆と一緒になれたって、思ったんだ。」
「うん。」
「ヒカル、名古屋に行っても、ベースは弾いてくれよな。」
「もちろん・・・・・・」

グ、グワシャーン

 この会話の数分前、マサルの運転する宣伝カーの二キロ後ろで、ダークグリーンのジャガーが右に、左に、先行する車をかわしながら、もの凄いスピードで名古屋方面に疾走していた。
 革ジャンに革パンツ、ドライビング手袋をはめ、助手席の髪を金色に染めた派手な化粧の女の肩に手をかけ、煙草をくわえながら、ジャガーのアクセルを踏む男。チンピラではなかった。
 「流魂」の常連だった。
 名古屋支部への武闘派の派遣に疑問を持つ常任に命令された常連の一人が、その女を連れて、名古屋に向かっていた。その格好は、通常の常連としての権威も、尊厳も逸脱していた。

 表向きの顔ではない彼の本来の姿だったのか。

ジャガーが宣伝カーの後ろに来た。その横にトレーラーがいた。何を思ったのか、ジャガーは宣伝カーとトレーラーの間をすりぬけようとした。金髪の女の頭は、常連の股の間に沈んでいた。若干の「命の水」も服用していたのかもしれない。狂気が彼を捕らえていた。女の頭が上下に揺れた。その動きが激しくなった。ジャガーのノーズが宣伝カーとトレーラーの間にかかったとき、はじけた。
 一瞬、目を閉じた。
 ハンドルがぶれた。
 ジャガーのノーズは宣伝カーの横っ腹を引っかくようにえぐった。その反動で、ジャガーはトレーラーのほうに大きく揺れ、大きな車輪と車輪の間に吸い込まれた。コンテナの一番後ろの大きな車輪がジャガーをペシャンコにした。せんべいのようになった車体はトレーラーの後ろをゴロゴロ転がった。
 宣伝カーはえぐられた反動でスピンし、マサルの逆ハンに必死で耐えたが、やはり、耐え切れず、ゴロンゴロンと横転した。運転席側を下にして横滑りし、ガードレールに引っ掛かるようにして止まった。
 トレーラーの運転手は、バックミラーでその様子を見ていた。一度、スピードを緩めた。が、次の瞬間、アクセルを踏み込み、その場から逃げた。

 マサルとヒカルの記憶はそこで途切れた。

あってはならないこともある5

2010年06月24日 13時43分10秒 | Weblog
「ふー。」
東名は渋滞もなく、快調に走れた。
「なんか久しぶりだな。東名、走るの。」
「そう。」
「ヒデオさんと伊豆の現場に行ったとき・・・・。」
「ヒカル、偉いよな。肉体労働はちょっと想像できないもんなあ。」
「マサルだって、農場やってるじゃん。」
「ひえー、ヒデオさんやヒカルの仕事に比べたら・・・。」
ヒカルは車窓の先を見ていた。
「車で走るのって、いいよね。」
「今日は渋滞してないしね。」
「それもあるけど、自分で移動してるって感じがするよ。」
「運転してるのは僕ですけど。」
「もう。仕方ないだろ。」
「ヒカル。俺もあんまり、人と付き合うのとくいじゃないから、「ベース」って・・・、「ベース」で居場所ができたような気がするんだ。金もさあ、オヤジが親としてメンツで出してるみたいなところもあって、だから、みんなで世田谷に売りに行ったときの金とは違うって、そんな気がしてきた。」
「ミサキが、働くことを教えてくれたような感じなんだよ。最初は死ぬかと思ったけど・・・。でも、今回、ミサキの家に行って、なんか圧倒さえちゃって。」
「だからさ、金の意味が違うんだよ。」
「て、言うか。どうして、ミサキはあんな暮らしができたんだろ。ほんとうにあんな貧乏暮らしを・・。」
「ヒカルだってできたじゃん。肉体労働が、さ。だから違うんだよ。ミサキと二人でいるってことがさ。今だから言うけど、初めて、駒場のアパートでミサキを見たとき、ドキドキしたよ。」
「なんだってえ。」
ヒカルが大げさに反応した。
「ミサキと、どうにかなりたいって・・・・。でも、それがキッカケでハルやマーと会えたんだ。」
「はは、なんか、不思議だね。」
「何が。」
「皆で一つになったことがさ、誰とかさ、何者とか言うのじゃなくて、一つになれたことがさ。もし、マサルとミサキが二人きりで、どうにかなっていたら、今、ここにはいないもんね。」
「はは、そうだな。」
 しばらく、言葉がなかった。ベンベーみたいにスピードのでない宣伝カーがちょうど良かった。のんびりと時間が過ぎた。
「どうして「ベース」に行ったのかなって、どうしてって、思ったときがあったよ。スペイン坂の「ベース」で刺されたし、親には、チンピラにやられたって、言ったけど、どこのチンピラだってうるさかったけど、結局、そこまでで。

また、「ベース」に行ってた。

ヒカルをどうして誘ったか。ほんとのことを言うとわからないよ。でも、最近、「ベース」に入り浸るようになって、参加するようになって、キヨミさんが新しい仁を生んで、なんとなく、そこに行くことが、自分の理解とはちがうところで決まっていたような気がするんだ。
 キヨミさんとはずっと一緒だった。小さいときにうちに来て、ずっと、面倒をみてくれた。だから、仁と、仁さんと消えたとき、すごいショックだった。
 セクスに意味があるなんて思ったことはなかった。小さい頃からキヨミさんと遊んでたから。
 でも、キヨミさんが仁と戻って、新しい仁が生まれて、なんか、生まれるんだって。人は生まれてくるんだって、思ったんだよ。あんなふうなセクスを経験したから、キヨミさんが言っていた全ての男が父親で、全ての女が母親だった世界を、頭じゃなくて、肌の感覚でわかったような気がしたんだ。そして、それを受け入れられる奴らが、今の「ベース」に集まってきたんじゃないかって・・・・。」
「マサル。」
「ミサキも言ってただろ、また、「ベース」に戻れるって。」
「うん。」
「ヒカルもおなじ感覚の人間だと思うんだ。だから、待ってる。たぶん、みんな、待ってる。ミサキも、ヒカルも「ベース」に戻ってくるって。」
「マサル。」
ヒカルの声が震えた。

あってはならないこともある4

2010年06月22日 17時09分14秒 | Weblog
「遊びって。」
「神聖な儀式の前に、ヒロムとロイヤルホストで話したことがあったんだよ。なんか、なんか感じが似てて、親に対する反抗心みたいなところで似てて、たぶん最初は、ヒロムも遊びのつもりだったんだと思うよ。仁を中心に始まったスペイン坂の「ベース」の行動も、時間つぶしのつもりで・・・・。」
「マサル、どうして僕を誘ったの。」
「うーん、ヒカルにも同じ感じがしたんだ。アウトサイダーって言うか。外側に出てしまったって言うか。」
「ヒロムと。」
「いや違う。ヒロムに感じたのは、もっと、なんていうか、投げやりというのとは違うけど、どうなってもいいって感覚。先をがなくてもいいって感じがして、一瞬の開放感で全てが、満たされるような・・・。」
「でも、ヒロムは・・・。」
「ヒロムはなんか、儀式の後から変わったな。俺のオヤジみたいになってくみたいで・・・。」
ヒカルはマサルとこんなに長く話したことがなかった。
「アオトサイダーか。確かに東京に出てきたのは田舎にいたくなかったからかな。」
「そうなの。」
「うん、田舎にいると、のことがみんな解っちゃうんだよ。」
「いいじゃん。」
「どこどこのだれだれが、どこの高校に入ったとかさあ、あそこの娘はまだ、嫁に行かないとかさあ、だれさんちがどっかから借金してるとかさ。そんなのどうでもいいことじゃん。」
「ふーん。」
「でも、東京に出てきたら、寂しくなった。独りだって感じた。」
「まあ、そんな感じかな。うまくいえないけど、直感でおなじ臭いを感じたんだと思うよ。」
「不思議だね。」
「何が。」
「たぶん、マサルも金持ちでさあ。自分が思っているのとはぜんぜん違う感覚を持っているのかもしれないけど、今、話してるとさ、名古屋で感じた、ちがうなーって感じがしないよ。」
「それは・・・・、仁に、「ベース」に出会えたからかな。」
しばらくしてマサルが言った。
「うちは金持ちって言っても違うかもな。オヤジは偉くなりたいだけだし、実際、金も、何処までが自分の金で、他人の金かなんてわからないんじゃないかな。」
「金がないって感じたことはないんでしょ。」
「ウン。」


あってはならないこともある3

2010年06月21日 17時29分07秒 | Weblog
 二週間が過ぎ、ミサキが名古屋に戻った。

 小西さんは支度金ということでヒカルに封筒を渡していった。かなりの厚みがあり、今まで、ヒカルが見たこともない金額が中に入っていた。金を渡されても、何を準備していいのかわからなかった。荷物を整理して、ヒデオとこれからのことを話し、セッションを組んでもらい、等などしているうちに名古屋に旅立つ日になってしまった。

 小西さんの計画は忙しかった。

 「ベース」に支度金の半分をおいていくことにした。マサルに相談すると、名古屋での新規事業にあてたほうがいい、といわれた。といわれても、ミサキの思惑を全部知っているわけではなかった。アキコとヒデオとマサル、そしてヒカルが話し合った。
「じゃあ、「ベース」の預かり金ってことにしとくわね。」
「預かり金って。」
「何とか、経済的には成り立っているから、なにか、あった時のためにプールしておくのよ。」
「何処に。」
「ヒデオ、銀行に決まっているでしょ。」
「そういうことなら、それもありか。ヒカルが必要になったら、連絡もらえばいいし。」
「そうだな。」
ヒカルはなぜか嬉しかった。
「ベース」のためになればいいと思った。

小西さんから電話があり、引越しにトラックはいるか、と聞かれた。トラックに積む程のものはない、と断ると、郵送で新居の住所を送るので一週間以内に引越して欲しい、といわれた。

なぜか、自分とはちがうところで時間が動いているようだった。

マサルが名古屋まで送るよ、といってくれた。嬉しかった。次の次の日、選挙用の宣伝カーの二台に荷物を入れて、東名高速を走った。マサルと話すのも、二人きりで時間を共有するのも、ずいぶん、久しぶりのような気がした。しばらくの間、言葉が見つからなかった。
「なんか、すごいことになっちゃったな。」
「うん。」
「はっきり言って、ラッキーボーイって感じー。」
「そんなことないよ。何が起きてるのか、よく、わからないんだ。」
「ふーん。」
「マサル、マサルってずっと金持ちだったじゃないかあ。金持ちって・・・・・。」
「金持ちかぁ。うん、こっちに来て、自分の感覚がずれてるって、感じがするよな。」
「ずれてるって。」
「市川に「ベース」が移ってさ、て言うか、「ベース」ができて、俺もこっちにいることが多くなって、なんか、働くようになって、ちょっと今までと変わって来たな。」
「何が。」
「何って言うか。親父がああいう仕事してて、俺は期待されなくて、でも、金はあって、ハルやマーにあって、俺、金のこと、よくわからなくて、でも、あいつらは、ギリギリで生きていたりして、はは、なに、言ってんだ、俺。」
「マサル。」
「俺、青山の頃はヒロムと話があったんだよ。」
「ヒロムと。」
ヒカルは一瞬、暗い顔をした。
「ヒロムとなんかあったのか。」
「いや。」
「て、言うか、さあ、あのころは、ヒロムも俺も、みんな、遊びだったんだ。毎日がつまらなくて、退屈で、刺激が欲しくて・・・。」



あってはならないこともある2

2010年06月18日 17時47分10秒 | Weblog
 その二週間は、時計が早く回っていたようだ。
週末のライブはヒカルもミサキも参加した。その不思議な世界を知りたくて、ビーエスエイトを体験しにくる人が増えた。演奏自体も、飛び入り参加で加わる人も出てきた。その日のライブでは、ツインベース、ツインドレムスの演奏となり、激しいリズムが会場を揺らした。会場全体が、一つになって、まさに、うねりとなって、高揚した。

  朝が来なけりゃいいなんて、言えないけど・・・・・・

そんなリフレインまで飛び出した。

二人はほんとうに楽しんだ。

 そんな中、秘書の小西さんが「ベース」を尋ねてきた。
 編入の手続きを取るので、現在在籍している大学へ同行して欲しいということだった。二人はそれぞれの大学の学生課に小西さんと出向き、それぞれの手続きをした。名古屋の大学からの編入承諾の書類が既に、小西さんの手元にあるのには驚いた。さらに驚いたことには結婚式の会場も日程も決まっていたのだ。参列者に希望があれば教えて欲しいということだった。ヒカルの両親にも連絡を取ってあるが、返事がまだ来ていないので、確認をして欲しいとも言われた。当然、会社関係の人がほとんどなので、均衡をとるために動員をかけている。失礼とはわかっているが、お父上の肩書きについても、こちらで、ご用意させていただいたので、ご承諾くださるよう説得して欲しい。式が終われば、ヒカルの人柄で新しい関係性が作れるので心配はない。とまで言った。
 結婚後はミサキの姓を名乗ることになるが、気持ちの整理は付いているか。などなど、ありとあらゆることが手際よく、強引に進むのだった。
 「ベース」にまできて、すすめることなのかと思うところはあったが、ヒカルはミサキの言葉を思い浮かべ、その時の自分に立ち返った。ミサキがすまなそうな顔をしているのに気付いていた。

 今は、この流れに従おう。

あってはならないこともある

2010年06月17日 17時23分58秒 | Weblog
 接点などあるはずがなかった。

 ヒカルは名古屋から「ベース」に戻り、さらに、田舎に戻った。事情を説明するのも難しかった。が、両親は、ヒカルを否定することはなかった。理解というのでもなかった。自分たちの生活が素晴らしいとは思わなかったが、それまでの悲惨さに比べれば、他に望むものもなかった。戦争の体験は、彼らを無欲にしていた。まあ、家電製品や家といった面では普通の暮らしができていた。自分らは戦争で全てを諦めた。と、思っているから、自分の責任で、というか、経済力でやっていけるのであれば、それを、否める理由もなかった。援助をしてくれといわれれば、それは無理だというしかないのだが。ただ、大学までにヒカルにかけた金額について、考えたのか、両親は、
「ふう。」
と、溜息をついた。
「それで、名古屋に行くのか。」
「そうだね。そうなると思う。」
「結婚もしてないのに・・・・。」
「うん。でも、ミサキのそばにいたいんだ。」
「まあ、向こうの方々に可愛がられるようにするんだぞ。」
「うん。」
父の言葉で、心が重くなった。
 
 生まれる場所が違うと・・・・・。

父の言葉でその意味を教えられたような気がした。

 「ベース」に戻るとミサキがいた。驚いた。嬉しかった。
「どうしたの。」
「父が、いくぶんいいの。うん。というより、あまり変わらないの。それでね。母が一度、戻ってもいいって言ってくれて。」
「ほんとに。」
「二週間くらいなら、こちらにいれるようになったの。」
「二週間かぁ。」

 それから、農場についての話し合いが始まった。
 その前にミサキがびっくりしたのは整備した農場はそのまま、発展を続けていたことだった。次の収穫に向かって、計画が立てられ、それは進行していた。嬉しいような、それでいて、少し寂しいような気分になった。
 アキコがミサキに耳打ちした。
「彼ら面白いのよ。いつも遊んでいるみたいに作業をしているんだけど、ミサキの残したノートは完璧に頭に入っているみたい。周りの農家の人もびっくりしているわ。農薬も肥料も使わないでこんなのができるのかって。」
 マサミも、マサルも、マーも、ハルも、サンちゃんも、マリコも、キーちゃんも、キヨミさんも、リツコさんも、その不思議な農場に真剣に取り組み始めていた。リツコさんは車の免許を持っていた。今まではヒデオに仕事がないとき以外は都内に販売にいけなかった。リツコさんが協力すると言い出した。車はというと、マサルが用意すると言った。
「まさか、ベンベーで行商はできまい。」
「ヒデオ、そんなわけないでしょ。」
「選挙の時しか、使わないバンがあるから、借りてくるよ。」
「おー。」
ミサキは嬉しかった。ほんとに嬉しかった。
「どうなるのか、まだ解らないけど。名古屋でも売れるようにしたいな。」
「実家で畑やるの。」
「それはどうかなあ。難しいかな。」
ヒカルとミサキの目が合った。微笑んだ。
「でもね。少し遠くなるけど、みんなと一緒にやりたいな。」
「はは、いつでもどうぞ。」
「て、言うより、ここはいつも、オープンよ。」
それから、小さい仁の話になった。

 楽しい夜が過ぎた。



日当たりのいい牢獄9

2010年06月16日 17時19分19秒 | Weblog
 前になり、後ろになり、手でまさぐるようにして、当然のこととして、ヒロム自身を口を使って慰めた。半畳ほどの密室に二人の人間が入ること、温水を浴びること、汗を流すと同時に汗が吹き出た。ただ、奈美江の気になる臭いは消えた。

 一度、部屋に戻り、奈美江が日持ちのする食材を買いに出た。ヒロムは奈美江の吹きかけた香水のにおいに犯された。頭痛とまでいかないが、頭が揺れた。何かを考えるわけでもなかったが、反応自体が鈍くなった。冷蔵庫のモーターの振動がやけに気になった。
 
 奈美江は戻ると、魚肉ソーセージ、カップめん、レトルトカレー、プリン、ヨーグルト、その他もろもろを冷蔵庫に詰め込んだ。
「宰、なにか、口に入れますか。」
ヒロムは首を横に振った。
「ビールでも。」
奈美江は缶ビールを小さな冷蔵庫の上にのせ、ヒロムの視線を確認して、「命の水」をたらしてから、テーブルにのせた。
「宰、カンパイしましょう。」
テーブルの上のビールをヒロムに渡した。ヒロムは壁にもたれかかったまま、ビールを受け取った。
「宰、お喜び下さい。地道な活動が会員、イエ、今はそう呼んでいるのですが、「流魂」に入信する新生を増やしております。ですから、ご安心下さい。・・・・・・・・」
ヒロムはどうでもよかった。喉の渇きを感じてビールを一気に飲み干した。
 
 それは始まった。だんだん、声が遠くなった。
  
   よく喋る女だ。

 その認識がその日、最後の確かな記憶だった。

 そして、奈美江ははじめてその部屋でヒロム自身を取り込んだ。リンと勃起したというよりさせた自身をズボンを膝まで下げ、自分も下半身だけをあらわにして、ヒロムに重なった。声をおさえ、腰を上下に、左右に、前後に躍動させた。

 全てが幻想の中で、記憶と思考を捨て去った非現実の映像とともにヒロムは受け入れた。

 次の朝、なえた自身と乾いた肌を感じながら、肉体的な不快感とともに目覚めるのだが。



日当たりのいい牢獄8

2010年06月15日 16時13分20秒 | Weblog
 朝が来た。
空腹感がヒロムを襲った。喉も渇いた。水を飲もうとして、立ち上がった。太陽の光で、ピンスポットのようにヒロムをとらえる太陽の光で、目が暗んだ。カーテンなどなかった。膝が崩れた。壁に寄りかかったまま、座り込んだ。少し前なら、空腹感を満たすことだけを考えればよかった。今は、そんなことも考えなくなった。
 眩しく輝く畳を見ていた。
 ここで、終わるのだ。
 ここまでなのだ。
 これが最期の絵だ。
 ヒロムは静かに息を吸い込んだ。煙草はあった。煙草を口にくわえた。口の中を苦い唾液が染み出した。吸う気になれなかった。指で挟んで、また、箱の戻した。

 這うように炊事場に向かい、水道のヘリに手をかけて立ち上がり、水を飲んだ。食道を通過するのがわかった。食道から全身に流れ込むような感覚。腸に落ちる前に、毛細血管に入り込み全身を水が流れるような感覚。蛇口に口をつけ、ガブガブ飲んだ。今度は胃袋に水が溜まるのがわかった。内蔵が疲弊した。尻餅をつくように座った。
「ゲップ。」
「ゲップ。ゲプゲプ。」
「ゴホゴホゴホ。」
気分が悪くなった。隣のトイレに篭城した。それでも十分もすれば、胃の中のものは全てなくなった。歩くのも辛かった。部屋に戻り、倒れ込んだ。

 ノックの音がした。
「お届けものです。」
「開いてます。」
「失礼します。」
ホテルにあるのより少し大きめのツードアの冷蔵庫が来た。
「何処に置きます。」
「その辺で。」
「うちが一番早かったんですか。」
ヒロムは何のことだか解らなかった。ただ、返事をするのも、考えるのも嫌だった。
「ええ。」
「じゃあここにサインか、判子をお願いします。」
ヒロムはボーとしていた。
「ペンありますよ。」
受け取り、サインした。
「ありがとうございました。」
電気屋はそそくさと退散した。
「なんか、気持ち悪いな。大丈夫なのか。」
「代済みだからいいんだよ。」

廊下からそんな声がした。ブーンという音がした。部屋の柱の横にコンセントがあった。
そこに無造作に冷蔵庫は置かれた。畳からその振動が伝わった。何もない部屋にモーターの振動が響いた

ドアを開けてみた。空だった。

布団の上に転がり、目を閉じた。

「アーきてますね。」
奈美江は嬉しそうに冷蔵庫を撫でた。
「宰、毎日来れなくなってしまいました。名古屋支部は伸びますよ。」
どうでもよかった。
ヒロムは奈美江の手にぶら下がったペーパーバッグに近づいた。
「おなか、減ってらっしゃいますよね。申し訳ございません。時間が取れなくて。」
ヒロムは奈美江の手から、ペーパーバッグを奪い取り、逆さにした。弁当や缶詰やlポテトチップスやコーラの缶やビールの缶、ティッシュや雑巾や・・・・ヒロムは弁当を拾い上げると、ちぎるよう包装を取り、頬張った。
「まあ。宰。」
奈美江は嬉しそうにしながら、散らばったものを片付け、冷蔵庫とテーブルの上に綺麗に並べた。もちろん、冷蔵庫の中にもビール、コーラ、「命の水」をしまった。
「宰、お風呂に行きましょう。」

その日は、ホテルには行かなかった。当時、コインランドリーと同じようにコインシャワーという施設があった。労働者の居住区では銭湯は当たり前だったが、夜勤明けの労働者は風呂には入れなかった。それを見こんでか、一畳ほどのスペースに脱衣所とシャワールームがあり、百円で五分間シャワーを浴びることができる場所があった。入り口を入るとドアが並び、そのドアの奥にもう一つドアがあり、そこがシャワールームになっていた。大体はコインランドリーに併設していた。ただ、酔っ払いがトイレと間違えることも、ままあり、衛生的とは言えなかった。

奈美江はそんな場所を見つけていた。彼女の準備は周到だった。スイミングバッグの中にコインシャワー対策用品が詰まっていた。奈美江はヒロムをコインランドリーの椅子に座らせると、まず、空いているルーム探し、といっても、まだ銭湯が開いている時間なので、だれもいないのだが、ドアを開け、スプレーにつめた塩素系の薄い漂白剤を散布し、脱衣所、シャワールームを消毒し、シャワーで全体を流した。それから、彼女の好きなポワゾンを振り掛けた。そして、ヒロムを呼びにいき、彼女が先にはいって、ヒロムを後に続かせた。シャワールームまで奈美江は入り、水に濡れないように服を脱いだ。脱衣所の篭に綺麗にたたんで入れると脱衣所のヒロムの服を脱がせた。そして、シャワールームの中にヒロムを引き入れた。
百円玉がスイミングバッグの中に五、六個転がっていた。一枚を入れて、スイミングバッグをルームのドアにかけ、中から、ボディーシャンプーを取り出した。身体に擦り付けるようにして、ヒロムの身体を洗った。


日当たりのいい牢獄7

2010年06月11日 17時06分52秒 | Weblog
 おなじホテルには行かなかった。が、駅前はさけた。北側の繁華街から少し離れたところにホテルが連なる場所があった。奈美江は小さなホテルを選んだ。やはり、そのまま入れるホテルだった。

 部屋に入ると、ヒロムの服を脱がせ、自分も脱いで、バスルームに入った。小さなバスタブにヒロムを沈め、石鹸を身体中に擦り付けるようして身体を洗った。シャンプーをして、石鹸を流し、ヒロムの身体に鼻をつけた。香料の強い石鹸の効果か、路上生活者の臭いはしなかった。
 そして、弁当を食べさせた。ビールを飲ませた、当然のように希釈した「命の水」を混ぜて。ヒロムの身体が勝手に反応した。脳も身体の一部であるように、反応した。奈美江はヒロムをくわえ込み、分身で満たすとヒロムを休ませた。二時間がそんな風に過ぎ、ヒロムの部屋に戻した。
 そんな時間の流れ方が一週間続いた。

 それから・・・・

 毎日ではなくなった。

 ヒロムは自分で動こうとしなくなっていた。空腹については、弁当が来るのでそれを待てばよかった。路上にいるときよりもましなものが口に入った。何をするでもなくヒロムは、ただ、待った。

 目を閉じると違う世界が待っていた。その時の状態で、行ける場所は違っていた。恐怖がヒロムを襲う時もあった。肉感としてのセクスを体感することもあった。その日の日差しや天候で行ける場所が違った。その幻想の中からヒロムは抜け出せなくなっていた。
 時々、ほんとうに一瞬、正確な認識力がヒロムに戻ってきたとき、ヒロムは自らの命を絶とうと、この四畳半の牢獄から自分を自由にしたいと思うのだった。が、死への恐怖はそれを実行に移すことはさせなかった。

 犬が餌を待つように、ヒロムは奈美江を待った。