ウディアレンの「ゼリグ」邦題「カメレオンマン」って映画が1980年代にあって
その主人公が周りの環境によって、環境に順応するために。
顔つきも身体も言語さえも変えてしまう、カメレオンのように。
精神分析医が彼の治療に当って・・・
記録映画のようなつくり方でとても面白かった。
でも、とても、怖かった。
自分も「ゼリグ」と同じだって感じがして・・・
何処で見たんだろう。
日本ではじめて上映された時、確か、下高井戸の名画座みたいなところで見たような気がする。
懐かしい・・
でも今頃になってなんで思い出すんだ。
廻りの環境が変わるたびに自分はその環境に順応するために
容姿こそ変わらなくても、自分の心の型を変えてきたってこと、
そんなことを同時に思い出している。
それを今、痛いほどに感じいる。
今ここにいる自分が、いったいどの自分なのかかからなくなっている。
上司の前にいるときの自分が本当の自分なのか。
彼女の前にいるときの自分が本当の自分なのか。
田舎にいるときの自分が本当の自分なのか。
スタジアムで大声を出しているときの自分が本当の自分なのか。
事細かに観察していくと全く違う自分がいくつも存在するように思えてくる。
そして、その場その場で勝手に動いているような気がする。
それぞれが、いつか、さらに発展して、空中分解を起こす。
それは予測ではなく、近い将来の確信として自分に迫ってくるのだ。
「ゼリグ」の場合は、女医の精神科医が救いの神になるという大人のファンタジーがあった。
が・・・・
誰もいない自分はすでに崩壊の道を転げ初めている。
「導き人」が必要なんだ。
その主人公が周りの環境によって、環境に順応するために。
顔つきも身体も言語さえも変えてしまう、カメレオンのように。
精神分析医が彼の治療に当って・・・
記録映画のようなつくり方でとても面白かった。
でも、とても、怖かった。
自分も「ゼリグ」と同じだって感じがして・・・
何処で見たんだろう。
日本ではじめて上映された時、確か、下高井戸の名画座みたいなところで見たような気がする。
懐かしい・・
でも今頃になってなんで思い出すんだ。
廻りの環境が変わるたびに自分はその環境に順応するために
容姿こそ変わらなくても、自分の心の型を変えてきたってこと、
そんなことを同時に思い出している。
それを今、痛いほどに感じいる。
今ここにいる自分が、いったいどの自分なのかかからなくなっている。
上司の前にいるときの自分が本当の自分なのか。
彼女の前にいるときの自分が本当の自分なのか。
田舎にいるときの自分が本当の自分なのか。
スタジアムで大声を出しているときの自分が本当の自分なのか。
事細かに観察していくと全く違う自分がいくつも存在するように思えてくる。
そして、その場その場で勝手に動いているような気がする。
それぞれが、いつか、さらに発展して、空中分解を起こす。
それは予測ではなく、近い将来の確信として自分に迫ってくるのだ。
「ゼリグ」の場合は、女医の精神科医が救いの神になるという大人のファンタジーがあった。
が・・・・
誰もいない自分はすでに崩壊の道を転げ初めている。
「導き人」が必要なんだ。