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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~『花衣』主宰吟~ (44)

2016年02月18日 | 俳人杉田久女(考)

俳誌『花衣』を創刊した久女は、主宰吟として数々の句を発表することになり、積極的に北九州各地を訪ねています。小倉近辺には古典好き、万葉好きを自認する久女の心を刺激する場所があったのは、彼女にとって幸運なことでした。

筑紫(主に北九州)は神功皇后をはじめとする古事記、日本書紀の伝承にゆかりの深い場所で、彼女の記紀、万葉ヘの憧れは、そこに行き実際にその風物に接することで、万葉調の作品となって結実しました。万葉調とは、作者の思いを表現する時に万葉集の語彙を用いたものをいいます。

『花衣』2号に載った主宰吟は「企救の紫池にて」として万葉集の歌にちなんだ作品でした。

       「万葉の 池にかがみて 嫁菜つみ」

       「菱つみし 水江やいづこ 嫁菜むら」

       「摘み競う 企救の嫁菜は 籠にみてり」


『花衣』3号には「無憂樹のかげ」と題して次の5句を発表しました。

       「無憂樹の 木陰はいづこ 仏生会」

       「ぬかづけば われも善女や 仏生会」

       「灌沐の 浄法身を 拝しける」

       「風に落つ 楊貴妃桜 房のまま」

       「むれ落ちて 楊貴妃桜 尚あせず」

この「無憂樹のかげ」の5句で、久女はついに念願の『ホトトギス』雑詠の巻頭を得たのでした。

この5句のうち3句目までは、小倉広寿山禅寺において詠まれたもの。下の楊貴妃桜の句は、花衣会員たちと八幡の公餘会倶楽部(現新日鉄研修所高見倶楽部)で句会をした時に詠んだ句で、この5句とも久女の代表作になっています。

4号では2号と同じくこんな万葉調の句を発表しています。

       「萍(うきぐさ)の 遠賀の水路は 縦横に」

       「菱刈ると 遠賀の乙女は 裳に濡(ひ)づも」
      
このことからみても、久女の句境はいよいよ円熟の時を迎えているように思えます。
                             

『花衣』は後に述べる様に5号で突然廃刊になってしまうのですが、『杉田久女句集』にある久女の代表作といえる句が、『花衣』で次々に発表されたのを知る時、ほんの短い間であっても、久女がこの俳誌を創刊した意義は大きいと思うのです。

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お雛様のお出まし

2016年02月15日 | つれづれ

2月も半ばになり、今年もお雛様を出しました。


娘も結婚で家を離れたというのに、この時期になるとお雛様を飾りたくなってしまう。

昔の7段飾りのお雛様だけど、昨年からはお内裏様とお后様だけを飾ることに。

毎年、お座敷に出していたのを、ふと思いついて今年はリビングに飾ってみた。

台が狭いので、お二人が何だか窮屈そう。

でも、リビングだと毎日お内裏様とお后様にあいさつ出来るしネ(^-^)

夫と二人暮らしの静かな明け暮れが、お雛様のお出ましで急に賑やかになった



    「 函を出て 寄り添ふ雛の 御契り          杉田久女 」



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蕗のとう

2016年02月14日 | つれづれ

リラ地方は昨日から雨がふったり曇ったりのお天気ながら、気温が急に上がり何だか春の様な過ごしやすさです。まだ2月半ばですのにね。

そんな中、親戚の方に蕗の薹を頂きました。先日の梅の花に続いて今度は、蕗の薹を頂くなんて、我が家には春の使者が次々に訪れ
嬉しいです。


ずっと以前はこの時期になると、蕗のとう
を見かけることがたまにありましたが、最近では殆ど見かけませんね~。頂いた蕗のとうを手に取ると、蕾状態の花が柔らかい淡い緑色の葉にくるまれて、これを見ているだけでも春の息吹きを感じます。


杉田久女だと、この蕗のとうをどの様に詠むのだろうかと調べてみると、『杉田久女句集』にありました、こんな素敵な句が...。

         「 甦える 春の地霊や 蕗の薹 」 


この句の中に、私達が蕗の薹に対して感じているすべてが詠いこまれている気がします。「地霊」という言葉の使い方が素晴らしく、彼女らしい力強い句です。

頂いた蕗の薹は、天ぷらにしてお夕飯に食しました。ほろ苦い大人のお味でした。

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俳人杉田久女(考) ~小説「菊枕」~ (43)

2016年02月12日 | 俳人杉田久女(考)

菊枕を作り師の虚子に贈ることで、久女の代表作ともいわれる菊枕の4句が誕生したのですが、また菊枕という言葉は久女に痛恨のイメージを被せることにもなりました。

久女の死後、松本清張氏が芥川賞受賞後に書いた小説「菊枕」は、昭和28年発表で杉田久女をモデルにしたものであることはよく知られています。この小説は現在新潮文庫『或る「小倉日記」伝』傑作短編集(一)に収められていて、23ページ足らずの短編です。「菊枕」という小説のタイトルも、久女の菊枕の4句から採ったと思われます。
<『或る「小倉日記」伝』傑作短編集(一)>

この作品を書くにあたって清張氏は、北九州市在住の医師俳人の横山白虹や橋本多佳子などから話を聞いたと自身で書いていますし、又虚子の一文「墓に詣り度いと思ってをる」も参考にしたらしく、例によって例のごとくの〈久女伝説〉から一歩も出ていない、いびつな久女像が描き出されています。

その為、この小説は遺族から久女の生涯をゆがめて書いたとして、作者の清張氏は名誉棄損で告訴されたようです。この短編小説の中の久女と思われる女性は、ホントに嫌な女で、これなら遺族に告訴されても仕方ないなぁと思われる女性として描かれています。

しかし、よく考えるとこれは清張氏ではなく、清張氏にこんな話しかできなかった語り手にその責任があるように思えます。別の語り手であれば、また違った「菊枕」になっていたはずでしょう。

後で触れることになると思いますが、久女の師、高浜虚子が昭和21年の久女の死から10ヶ月後に不思議な一文「墓に詣り度いと思ってをる」を『ホトトギス』に書き、昭和28年には松本清張氏の「菊枕」が、昭和39年には(36)で述べた様に吉屋信子氏の『底の抜けた柄杓(杉田久女)』が出版され、これらから孫引きされたと思われる様々なゆがめられた久女に関する文章が発表され、それが〈久女伝説〉を助長したとも言われているようです。

私は平成5(2003)年5月に、福岡メルパルクホールで「山ほととぎす ほしいまま」という芝居を観ましたが、あさ女=久女を高橋惠子、幸太郎=宇内を大和田伸也、岳堂=虚子を江守徹さんが演じておられました。

この芝居は松本清張氏の小説「菊枕」を脚色したようで、虚子を尋ねた久女が虚子の膝にしなだれかかる場面があったり、最後は夫、宇内が久女を座敷牢に閉じ込める場面で幕となりました。

この芝居には学校単位で高校生も観に来ていて、文章に書いたものとはまた違い、目の前で演じられる芝居の影響力は圧倒的です。この芝居なども歪曲された久女像を助長するのに一役かっていると思われ、いまだにこの様な芝居が演じ続けられていることは問題だと思います。


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梅の花

2016年02月10日 | つれづれ

昨日今日とリラ地方は非常に良いお天気で、何とはなしに春の気配を感じます。日差しも1月頃より僅かながら強くなったよう。でもまたすぐ冬に逆戻りで、そんなに簡単に春にはならないでしょうが(^-^)

そんな中、近くに住むお嫁ちゃんが、庭に咲いた梅の花を届けてくれました。


手渡された瞬間、いい香りが漂って来て、「あ~、もうそんな時期になったんだなぁ~」って思いました。毎日忙しくしているので、微妙な自然の変化にも気付くこともなく過ごしているのをちょっぴり反省しました。

花瓶に入れて
顔を近づけると、数本の梅の枝ですが香りがほのかに漂って来ます。よく見ると梅の花って咲く向きが決まってなくて、一本の枝に色んな方向を向いて咲くんですね。なので当然、がくが見えてる花もありますが、それがまたいいんですね~。


少し緑色帯びた枝、小さい丸い白い花びら、おしべ、めしべ、がくが一体となって、日本的な静かな雰囲気を醸し出しているように思います。梅は中国原産と聞いた気もしますが、今ではもう日本の花でしょうね(^-^)

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