前回、てくてく歩きのパリ ~在フランス日本大使館~ というタイトルの記事を書きましたが、この記事をupした後、在フランス日本大使館のHPってどんなのかな?と思いヤフー検索で調べてみました。そしたらなんと少し前にupした私の記事「てくてく歩きのパリ ~在フランス日本大使館~」という記事が1枚目に出ているではありませんか、これには驚きました。驚くと共に何だか嬉しかったですけれどネ(^-^)
それから一日経った昨日、ヤフー検索で出て来る自分の記事をもう一回見ようと思いましたが、もう私の記事は削除されていました。この時、前日にヤフー検索が私の記事タイトルの「在フランス日本大使館」という言葉に反応して、この記事を自動的に拾ったのだろうと思いあたりました。
しかし、一つ一つの記事を検証する人(そんな人がいればの話ですが)から見ると、記事内容に非常識な部分があったり、可能性は非常に低いですが、何らかのクレームが在フランス日本大使館からヤフー検索に入り、削除となったのではと思いました。いずれにせよ記事内容が問題なのだと感じました。
そこで、普段私のブログ記事に無関心な夫に私が書いた記事を読んでもらうと(モンソー公園や日本大使館へは私一人で行き、夫とは別行動でした)、「大使館前でのことを思ったまま書いた文章なので、べつにいいんじゃない?でも《用心棒》という言葉をつかっているのには問題がある」と言うのですよ。
私はびっくりしましたが、夫によるとこの言葉は反社会的勢力に使う言葉で、在仏の日本大使館で働いている人に使う言葉ではないと言うのです。「日常会話ではたまに使う言葉だけれど、ブログなど大勢の人の目にふれるものに使う言葉ではない。だからこの言葉を別の言葉に置き換えなさい」と言われてしましました。
私もこれに納得し、文中に《用心棒》という言葉を3ヶ所使っていましたが、すべてガードマンという言葉に書き換え再upしました。夫は「警備員という言葉の方がいいと思う」と言ったのですが、その場の感じでは警備員という雰囲気ではなかったので、小さな抵抗を試みガードマンにしました(笑)。
私のブログは何の影響力もありませんが、それでもアクセス状況を見ると何十人かの方々の目にふれている様なので、言葉には細心の注意を払わなければいけないと改めて感じた出来事でした。
在フランス日本大使館はモンソー公園の近くにありますが、折角モンソー公園まで来ているので、ここにも行ってみることにしました。この辺りはほとんどが石造りの建物なので、日本大使館も石造りのクラッシック建築だと思っていましたが、行ってみると意外にも前面ガラス張りの現代建築でした。
建物に近づくと、大柄な黒人男性のガードマンというのでしょうか、そんな人が一人、入口のすぐ外に立っていて、私が少し離れた所から日本大使館の写真を撮ろうとしていたら、「撮るな!」と言い絶対に撮らせてくれません。その上、「帰れ、帰れ」という感じの身振りをするんですよ。中に入ろうとしたのではなく、建物の外観の写真を撮るだけなのに何故だめなのか、不思議ですよね、軍事施設などであればわかりますが。
海外で自身に重大な緊急事態が発生した時には、自国の大使館に駆け込みなさいとは、よく言われることですが、これでは駆け込むなんて無理だと感じました。それとも駆け込むという意味を私が取り違えているのでしょうか? 又、建物の外観の写真を撮るのはダメだけど、中には自由に入れるのでしょうか?
この辺りは大使館が点在する静かな地域ですが、入り口の外にガードマンらしき人がいる大使館は見た限りでは他にはありませんでした。私はこのガードマン氏が怖かったので、近づいて言葉を交わすことはしませんでしたが、「あなたは日本語がちゃんと話せますか?」と聞いてみればよかったかなと思います。当然ちゃんと話せるはずですから。
国際情勢が複雑になり重大なテロ事件が多数発生しているフランスなので、セキュリティを厳重にしているのだと思いますが、今一つ変だという感じはします。
その様な訳で、在フランス日本大使館の写真はありません。今回はパリの日本大使館前で遭遇したことを記事にしてみました。
プチ・パレ横にあるアレクサンドル3世橋に行ってみました。パリに来るといつも、「この橋を渡りたいな~」という気持ちになるんですよね。それはやはりパリ一美しい橋と言われているからでしょうね、きっと。
片側2車線と広い歩道、橋には見えませんが橋です(笑)。
<アレクサンドル3世橋>
橋の両側の先端4か所にはペガサスと女神の金色の彫像が乗った高い柱、橋の手すりには重厚なライト、美しいですね。向うにアンバリッドも見えています。観光客も大勢集まっています。
これはメトロ2号線モンソー駅の入り口ですが、パリのメトロ入り口のデザインは何種類かある様です。この入口はギマールがデザインしたアールヌーボーの装飾が美しい線を描いています。
モンソー公園の入り口。何だかお城の門のようですね。
<モンソー公園入口>
平日でしたが大勢の人々が公園に来ておられました。
ここにもメリーゴーランドが。パリにはメリーゴーランドが多いですね、ホントに。
こんな遺跡のミニチュアーもありましたよ。
この後、モンソー公園横にあるニッシム・カモンド美術館にも行く予定でしたが、時間の都合で行けませんでした。今、考えると在フランス日本大使館やバカラ美術館には行かずに、こちらに行った方がよかったかも......。
プロ野球、クライマックスシリーズ第1戦の
楽天vsソフトバンク戦をヤフオクドームで観戦しました。
なんとこれが、クライマックスシリーズとは思えない盛り上がりに欠ける試合でした。
まず1回表、浅村のホームランで楽天先制。
5回裏までそれぞれホームランのみで3:3の同点。
7回に、ホークスは初回に一発を浴びた浅村から再び勝ち越しのホームランをあび、
さらに9回にも1点入れられ、結局 5:3でゲームセット。
「こんな盛り上がらない試合、はじめて!」と私が言うと、
夫は「いやいや、負けたからそう思うだけで勝っていれば、又気持ちは違う」ですって。
いよいよ我がソフトバンクは崖っぷち。
今日は何とか勝って、タイにもっていってほしい。
タカポイントが5000ポイント以上たまったので、ポイント交換しました。
今回はこれです↓
サコッシュ型のチケットホルダーで、
裏側に透明のチケット入れが付いているのが便利なところ。
私はこれをウオーキング時にスマホやおサイフなどの小物をいれて斜めがけするつもりです。
今まで前を通りながら、「お洒落な建物だな~」、「たしか美術館らしい」、「中はどうなっているのかな~」などと思いながら通り過ぎるだけだったプチ・パレに初めて足を踏み入れました!
<プチ・パレ>
ガイドブックによるとプチ・パレは1900年のパリ万博の為に建てられ、その時はフランス美術の展示会場だった様ですが、今はパリ市立プチ・パレ美術館として一般公開されているのだそうです。
中に入ると入場料無料でした! そしてまず玄関ホールのドームを頂く高い天井、自然光がふりそそぐ大きな窓など建物の壮麗さに驚きました。まさに「プチ・パレ」の名の通り小さな宮殿ですね。
<玄関ホール>
<展示室>
展示品はクールベ、モネ、マネなどの18~19世紀の絵画、エミール、ガレなどの装飾美術、ローマ時代から近代までの彫刻など多岐にわたっているようでした。
何より驚いたのは、アングルの「レオナルド・ダビンチの死」がここに展示されていたことです。思っていたよりずっとずっと小さな絵でびっくりしました。
<アングル作 レオナルド・ダビンチの死>
この絵はレオナルド・ダビンチの生涯を紹介する際によく引き合いに出されるアングルの作品です。晩年、ダビンチはフランス国王、フランソワ1世の招きによってアンポワーズに移り住みます。そして王の居城のアンポワーズ城近くのクロ・リュセを王から与えられ、ここが終の棲家になりました。アンポワーズ城とクロ・リュセは地下道でつながっていて、フランソワ1世はダビンチを慕い度々訪ねられたそうです。
ダビンチはこの恵まれた環境の中で晩年の3年間を過ごし、絵画や数々の研究に取り組みました。シャンポール城の二重らせん階段の構想も彼のアイデアではないかと言われています。
上の絵によるとダビンチは国王、フランソワ1世の腕に抱かれながら亡くなったかの様に描かれていますが、国王はダビンチの最期には立ち会えませんでした。この部分は完全なフィクションなのだそうです。しかし史実ではないにしても、この絵からはフランソワ1世とダビンチの厚い友情と親交の深さを感じることが出来るように思います。
プチ・パレを見学した数日後に、ロワール川のお城めぐりでダビンチが住んだクロ・リュセを訪ねることになっていたので、ここで思いがけずこの絵に出会えてとても嬉しく思いました。