TBA

(仮)

受け手側にできること

2021-05-21 | ブログ

 

うちのあたりはそんなにひどい雨にはならなかった。

降ったりやんだりっていう感じ。

今週は買い出ししてないので、

同じような献立が続いてさすがにきつくなってるので、

思い切って買い物しようか考えたけどやめといた。

コロナもたいへんだけど、よけいなことして事故にでもなったらたいへんだし。

食べるものなくなったってわけでもないし。

 

 

「ソニー芸人」おもしろかった。

なんでソニーに芸人部門があるのか、ずっと不思議に思ってたけど、

ただ熱い社員さんがいたってことだったらしい。

「3分のネタ2本とトーク力さえあれば」っていう、

ある種の開き直りがすがすがしい。

ほんとはそれだけでも難しいんだろうけど。

 

マツコさんのは徘徊しないまま終わってしまった。

 

 

 

『三浦建太郎先生の訃報について思ったこと』という記事を読んで。

 

マンガって、まあ、そういうものもあるのかもしれないけど、

たぶんもともとは産業でもコンテンツでもない。

その人が描きたいから描いてるってだけのものなはず。

 

絵そのものにそんなに興味がなくてストーリーしか追わない自分でも、

絵の大切さはわかるつもりだし、

描いてる人がものすごい情熱をもって描いてることはわかる。

ストーリーだけ考えて、描くのは別の人にまかせるとか、

マンガ家さんならやりたくない人もいるんじゃないかな。

だって、描きたいからマンガ家になったんだろうし。

 

売れないと描き続けられないけれど、

売るために描いてるわけでもない。

 

そして、読まれたくないわけではないんだろうけど、

読まれるために描いてるわけでもないはず。

 

描きたいもの。伝えたいもの。

作者の手を離れたコンテンツがただ作品を作るための作品になっていくのは、

そのへんがぼやけていくからなのじゃないかな。

そこまでして続けようとはしない作者がいてもいいはず。

 

読者のために完結させないといけない義務もあるわけじゃない。

飽きて辞めちゃう人もいれば、絵柄を変えちゃう人もいる。

読者には嫌なら読まないという選択肢がある。

 

 

伊集院さんの二人会の話にもつながる気がしてきた。

見たい人がいるんだから転売屋から買うのもアリだとか、

もっと回数増やせとか配信しろとか円盤で売れとか言いたいのはわかるけど、

伊集院さんは師匠と一回だけ落語会がやりたいだけで、

別に見られたいとも思ってないのかも。

 

受け手側が送り手側に要求できることなんて特にないような気がしてきた。

 


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