きょうもわりとあったかい。
週間予報とかだと、
きょうの夕方は雨になってたんだけど、
きのうくらいからくもりになってた。
ちょうどいい、と思って、
期限にはちょっと早いけど図書館に行って、
そのあと、あの支払いをして、こっちの振り込みをして、
とか、いろいろ予定を組んでたのに、
図書館がまさかの休館日。
まあ、銀行やらなんやらは済んだし、
借りた本も全部は読み終わってなかったから、
いいとしようか。
これで今日の占いは1位っていうのはなんなんだろう。
実はもっと悪いことが降りかかる予定だったとか?
なんかおそろしい。
「100分de名著」を見た。
幸福な人とは、
客観的な生き方をし、
自由な愛情と広い興味を持っている人である。
自分のことだけを考えるのではなく、
興味と愛情を外に向けて広げる。
それによって人から好意を抱いてもらえる。
これって「情けは人のためならず」とか、
「おもてなし」に通じるものなんだろうな。
本当にやりたいこと 本当に知りたいこと
伊集院さんの例え。
10分の漫才がやりたくてお笑いの世界に入ってきたのに、
売れるためには、受けるためには、
真逆の一発芸を求められる。
自分を見失うのか、そこで原点に戻るのか。
まあ、なにかあったとしても、
もどるべき自分自身の原点は、
きちんとつなぎ止めておいた方がいいんだろうな。
「バッタを倒しにアフリカへ」を読んだけど、
もともとの夢と生きていくための仕事とが一致する人は少ない。
こういった研究者の方の本を読んでいると、
自分のやっていることが世の中の人の役に立っているのかどうか、
という迷いを感じているっていうのがよく出てくる。
この本の方がやっていることは、
確実にアフリカの人のためになることだから、
その点はだいじょうぶなんだろうけど、
その立場を盤石にするためには色物のような扱いもされそうになったりして、
そういう葛藤はないわけでなかったり。
そんなことも考えながら、へーって言いつつ見てたんだけど、
社会を変えよう、とかいうところで、
あれあれ? ってなり、
最後の「なぜ現実に合わせなければいけないのか」で、
全部がだいなしになった。
社会とつながることは幸福につながるかもしれないけど、
社会を変えようとか考え始めると不幸になるんではないのかな。
そもそも「現実を受け入れること」こそが、
社会とつながるということなのでは?
現実と自分の間にうまくいかない部分があるから不幸になるのだけれど、
だからといって現実を変えるのは難しいんだから、
幸福になることを考えるなら現実に不満を抱きつづけるよりも、
自分の考え方を変えたほうが早い。
というのが、この番組でアドラーだったり、
ほかのいろんな本で学んできたことのような。
何週か前の「しかたがない」っていうのも、
現実を受け入れるということであるんだし。
"そもそも" 自分の幸福が他人の幸福と一致するかどうかはわからないし、
社会の幸福がそれぞれの幸福と一致するとも限らない。
社会の幸福のためにみんなひとりひとりの幸福をねじまげていいというなら、
それは独裁とか全体主義とかいうものなような。
というか、思いどおりにいかない平和活動をしていた、
ラッセルって幸福だったのかな。