おでん
2016-11-30 | 日記
作り置きっていうのかどうかわからないけど、
おでんは大きめのおなべにまとめて作っとくと、
けっこう長いこと食べてる。
おかずが足りないかなってときに食べたりもできるし、
ごはん作るのがめんどくさいときもそれですませられるし。
毎日あっためてるとだいぶもってるような。
おでんとかごぼう天とかあげとか、
具材がなくなるとどんどん足していく。
そのうちあきて食べてないのにあっためてると、
煮すぎてまっ茶っ茶になるので、
そうなったら全部引き上げてしばらくは作らない。
でも、また食べたくなって作る。
冬の間はそんな感じかな。
ポテトサラダもいっぱい作ってみたことあるけど、
こっちの方があきるのが早いし、
じゃがいもは足が早い。
おでんにもじゃがいも入れたいけど、
だしがにごるし、やっぱり痛むのが早くなる気がする。
前に売ってた、9個で298円のたまねぎ、
また売ってたので買ってきたから、
なんか作りたいけどなにがいいかな。
最近、夜なかなか寝られないんだけど、
起きているとおなかもすく。
だからといって寝るまえに食べるわけにいかないし。
ゆうべ「わざわざ言うテレビ」で、
肉食主義の人と菜食主義の人が出てたけど、
肉食の人は、一日中ずっと食べてるらしい。
おなかがすいてないときを作らないのはいいことなのかも。
おもしろいかなあと思って見てたら、
結局、どっちもどっちな感じ。
菜食の人はアスパラのベーコン巻のベーコン抜きを注文して、
肉食の人は肉ばっかり食べてつけあわせのポテトを残す。
外食なんてしなきゃいいのに。
自分で勝手にやってるぶんには好きにすればいいと思うけど、
人に迷惑をかけるのはダメだと思う。
お金を払ってるんだからなにをしてもいい、
とか思ってたらもっとダメだし。
人間、極端はよくないかなあ。
バランスよく生きるのが大事って気がした。
寝られないぶん、深夜にテレビも見られる。
次の日しんどいけど。
「夏目友人帳」は名取さんの高校時代の話。
最初から見ているわけではないので、
全体像がわからないんだけど、
こういう「世界」が広がるような話は好き。
むかしの名取さんが夏目のようで、
いまの名取さんがタクマさんみたいな感じ。
それと廃業まぎわの祓い屋。
人と出会うことで人は変わっていくし、
出会っても交わらない関係もある。
それぞれに経験を積んで成長していくんだなあ、って。
力のあるものが力をどう使えばいいのか。
ノブレス・オブリージュみたいなもんか。
「強くならないとなにも守れない」
「正しいものはまわりを傷つけない」
「強くなれないなら上手に生きればいい」
それぞれまちがってはいないけれど。
的場も好き勝手をしてるわけではないし、
背負ってるものは名取よりも夏目よりも重いのかも。
なくなった祓い屋のことを、
式が「楽しそうだった」っていうのも哀しい。
特別なものを持ってしまった人たちのしんどさってあるのかも。
で、その人たち同士でさえ信じられるとは限らなくて、
いがみあったり裏切りあったりしているわけで。
『わたしの「ふつう」とあなたの「ふつう」は違う』
っていう広告が話題になってるけど、
それがまちがってるとも思わないけど、
正しいってわけでもないような気はする。
ひとりひとりが違うのはあたりまえのことだけど、
だからといって一般常識を無視していいわけじゃないし、
ひとりひとりが好き勝手なことをしていいってことにはならないと思う。
なんか「お客様は神様」みたいに曲解されて、
おかしなことにならないかちょっと心配。
そもそも「ふつう」ってなに?
「ふつう」をふりかざすのもおしつけるのもダメだけど、
「ふつう」をなくしてしまっていいわけでもないような。
いろんな「ふつう」をそれぞれ認め合うことが大切な気がする。
それはきれいごとですまない、すごくむずかしいことだけど。
正しい「ふつう」をだれかが勝手に決めてしまってもこわいし。