『1/10 18:16 - 20:15まで一部のユーザーにおいてログインができない障害が
発生しておりました。現在は復旧しております。』
ということだったのだそう。
なんか誰かのお気に召さないことを書いてしまったかなにかで、
凍結されたのかと思った。
きのうも書きたいことあったんだけどなあ。
あれもこれもやらないとって、
勝手に背負いこんでストレスを抱え、
それがうまくできなくてまたストレスになり、
誰かに八つ当たりして、
自己嫌悪になってまたストレスになる。
なんだろうなあ、この負の循環。
自分で掘った穴に落ちてもがいてるような。
目標が高すぎるんだろうな。
身の程を知らないと。
本を読む、っていう目標はちょっとだけ。
『森心地の日々』と『森メトリィの日々』
もりめとりぃってなんだろうかと思った。
小説は読めなくなったけど、新書やエッセイならまだ読める。
計算通りに行かなかったのはこの2冊のせいもある。
横書きがすごく読みにくいのと、たぶん文字数自体も多いのでは。
なんだかんだ思いながら、このシリーズ、結局、全部読んだ気がする。
自分もある程度は成長してるのか、
意見があわなくても、へえーって思えるようになったし、
そういう意見もあるんだなあって思えるようにもなった。
質問への回答があるんだけど、
こういうふうに打ち返す方に質問しようとする人もすごいと思う。
あと、読んだのは、養老先生のまるの本。
『猫も老人も、役立たずでけっこう』
養老さんの本って、同じような時期に出た本だと、
同じようなことが書いてあって、「おおっ…」って思う。
この本でも、ゴリラの山極さんとの対談でも読んだなあっていう話もけっこうあった。
なんでもかんでも読んでる人ばっかりではないから、
いちいちかぶってるかどうか気にする必要もないんだろうな。
やっと先週の「100分de名著」見た。
ブルデューの第3回と第4回、まだ見てないけど。
格差も異常気象も資源の過剰採掘も、ぜんぶ資本主義に翻弄されてるからで、
『資本論』を読めば新しい解決方法が見つかるかも!
って、そうはならないよね。
グローバル化と資本主義はイコールではないし、
まあなあマシなだけであって、
一番いいシステムだから行われてるわけではないよね。
SDGsとか物々交換とか同調圧力とかいう人たちが存在する意味がわかった感じ。
なんにでも「商品価値」をつけることが必ずしも悪ではないはず。
極端なことを言うと、メルカリみたいなもので、
それまで誰も価値を見出さなかったものであっても、
売りたい人がいて買いたい人がいればお金に換えることもできる。
「公共の土地」っていう概念もよくわからない。
それは領主の土地を使わせてもらってただけなのでは?
入会地、ともちがう感じだし、
空地を自由に使えてたわけではないはず。
小作人として食料だけは与えられて選択肢もないまま生きていくよりも、
都会で自分の才覚で食い扶持を稼ぐことが悪とも言い切れない。
伊集院さんはとにかく「理解」しようとして、
フットサルとかいろんな助け舟を出してる感じだけど、
空地を誰かが囲い込んでフットサルコートにしたとして、
それまで、いつでもだれでもがフットサルができてたかどうかはわからない。
力の強いひとや権力のある人が野球をするって言えば、
そこは草野球しかできないだったたかもしれない。
フットサルコートになったことで、
だれでもがお金を払えばフットサルができるようになった。
とも言えるのではないのかな。
「使用価値」と「価値」のくだりもなんだか…
プレミアのついたスニーカーも、握手券付きのCDも、
別にほしくなければ買わなければいいだけの話。
それを誰かがヤメロと強制するほうが異常。
テーブルに振り回されたくなければ売らなければいい。
せっかく伊集院さんが「適正価格」の話をしたのに、
そこをはぐらかすのはダメだと思う。
お金さえあれば、だれでも好きなものを買うことができる。
物の価値を恣意的に吊り上げないようにできるのは国であって、
お金の信用を裏付けるのも国。
お金がいつも人を振り回してるのではなくて、
お金に振り回されてる人がときどきいるだけ。
お金が悪なわけではない。
自分たちの主張したい理論にあうところだけつまみ食いして批判して、
不信感だけを植え付けて社会不安を煽ろうとしているように見える。
そして夢や理想でなくて、どうするべきなのか、
実際問題としてどうすれば解決できるのか、
ということには決して触れようとしない。
左の人たちが信頼されなくなってるのは、
そういうところなんだと思う。
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