きょうはちょっとひんやりかな。
なんかひさしぶりに、
朝までちゃんと寝られた。
ずっと悩んでることも解決はしてないけど、
悩んでもしかたのないことと割り切ろうと思う。
疲れが残ってないわけでもないけど、
朝からがんばって動いた。
ひょっとしてまたばたばたと走らないといけないかなあって、
ちょっと覚悟してたことは片づいてひと安心。
そう、なんか寝るのおそかったなあと思ったら、
ゆうべ、ふとんの中で本の注文をしてたりしてたからか。
最近は前に買い逃したりして気になってた本を、
ちょっとずつつぶしてる感じ。
なんていうか、買い逃したから意地になってただけで、
手に入ったからって、やったあ、って、
すぐに読むわけではなかったりする。
まあでも、ずーっとほしいものリストにあるのもなーんか気になるし、
せっかく出てきたんなら手元にあるのは悪いことではない。
ただ、積まれた山はどんどん高くなっていくだけ。
片づけしないといけないのに、
山を高くするのも意味わからないけど。
「100分de名著」
伝奇ものというか『京極堂』シリーズなんかも好きなので、
こういう系のものはきらいじゃないはずなんだけど、
今月はよくわからないまま終わってしまった感じ。
『折口信夫 魂の古代学』っていうのを読めばもっとわかるのかな。
定住民と流浪民との関係については、
歴史否定のバイアスというか、
イデオロギー的なものに利用されているような気もするし。
定住することが悪ではないし、
体制に保護を願うことがいけないわけでもない。
自由というのは好き勝手でいられるわけではなく、
自己責任がつきまとうものでもあるわけで。
で、来月はうんざり。
こういうのはもういいわ。
煽っても煽ってもムダなことに早く気づいてほしい。
テロから始まった宗教弾圧のようなヒステリーと、
例の活動家の人たちのような、
先鋭化してノイジーマイノリティと化した人たちに対しての批判なら、
まだいいんだろうけど、
エコーチャンバーにはまり込んだ自分たちを支持しない人たちを、
ただ流されて操られているバカと見下しているようなものを、
何度も放送する必要ってあるんだろうか?
「わかりやすさの罪」でいうと、
悪の政治家を悪の宗教が陰で操っていたという、
わかりやすい陰謀論に飛びつくことこそが罪だし、
基地がなくなれば、武器がなくなりさえすれば、
平和になるっていうわかりやすさも罪。
「常に敵を作りだすこと」は罪だけれども、
「敵はいない、いるはずがない」という意見を、
一方向だけに推し進めるようなあり方も罪なはず。
「権力を鋭くチェックし検証していくこと」だけが、
「メディアの使命」ではないはず。
そういう一方向に凝り固まった「メディア」こそが、
「思考し問い続けている」人たちから、
より支持をえられていないということをもっと真剣に考えるべきなのでは。
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