今は私は英語が話せる。
でも
実は高校までずっと赤点で、英語が嫌いだった。
高校の先生に「入試で英語の無いところは無いよ」
と言われ続けた。
親にも「将来必要になるよ」
と言われた。
私は「一生涯、日本から出ないから必要ない」
と言い続けていた。
はっきり言って、英語の授業中は
何のことだかよくわからなくて
テストではいつも当てずっぽうだった。
もちろん人並みに頑張る努力はしたけれど、
全然ダメだった。
才能が無いと思っていた。
そんな私が、
アメリカに行くことになる3年前
重たい気持ちで英会話学校の話を聞きに行った。
ちょっと話を聞くつもりが
その日にレベルチェックを受けることになってしまい、
オーストラリア人の先生の前で
パニックになっていた。
その時の私、
be動詞って何?
質問文は動詞を前に出すのだったかしら?
というレベル。
I am not like English.
などという
英語になってない英語を話した。

それがどう間違っているのかさえ分からない程だった。
もちろんレベルは「何とか自己紹介が出来るレベル」だった。
こんな状態でアメリカに行ったら
何も出来ない所か、大変な事になってしまう。
なんとか少しでも英語が分かるようにならなくちゃ。
半泣き状態の私だった。



そんな私が英語が出来るようになった。
今、友達と国際電話でおしゃべりしている。
今の私しか知らない人は
私が英語好きで、昔から英語が得意だと思っている。
今の私を一番驚いているのは
昔の私をよく知っている私の母。
「あなたが、英語をしゃべるなんて」
母よ、心配かけました。
そんな私の英語の変遷を、またお話ししますね。
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実は高校までずっと赤点で、英語が嫌いだった。
高校の先生に「入試で英語の無いところは無いよ」
と言われ続けた。
親にも「将来必要になるよ」
と言われた。
私は「一生涯、日本から出ないから必要ない」
と言い続けていた。
はっきり言って、英語の授業中は
何のことだかよくわからなくて
テストではいつも当てずっぽうだった。
もちろん人並みに頑張る努力はしたけれど、
全然ダメだった。
才能が無いと思っていた。
そんな私が、
アメリカに行くことになる3年前
重たい気持ちで英会話学校の話を聞きに行った。
ちょっと話を聞くつもりが
その日にレベルチェックを受けることになってしまい、
オーストラリア人の先生の前で
パニックになっていた。
その時の私、
be動詞って何?
質問文は動詞を前に出すのだったかしら?
というレベル。
I am not like English.
などという
英語になってない英語を話した。

それがどう間違っているのかさえ分からない程だった。
もちろんレベルは「何とか自己紹介が出来るレベル」だった。
こんな状態でアメリカに行ったら
何も出来ない所か、大変な事になってしまう。
なんとか少しでも英語が分かるようにならなくちゃ。
半泣き状態の私だった。



そんな私が英語が出来るようになった。
今、友達と国際電話でおしゃべりしている。
今の私しか知らない人は
私が英語好きで、昔から英語が得意だと思っている。
今の私を一番驚いているのは
昔の私をよく知っている私の母。
「あなたが、英語をしゃべるなんて」
母よ、心配かけました。
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