12月22日
プノンペン観光の日。
5年前に車をチャーターしたサラスに事前に連絡していたので、彼の車で回ることに。
宿の前のレストランで朝食を摂っているときに宿の前に彼のらしい車が止まる。
ロビーに戻ると、既にサラスが来ていたので、しばらく待ってもらい8時に出発する。
まずは近くの王宮の観光。
煌びやかな王宮には、ポルポトの出現で亡命することになった、かのシアヌーク殿下も住んだことがあるのだろうか。
などと想像しながらシルバーパゴダや何やらを見て回る。
5年振りですよ
民族楽器の演奏
王宮を出て、再びサラスの車でチュンエクのキリングフィールドに行く。
5年前にも行ったのだが、今回は日本語のボイスガイドを借りたのでフィールド内の各場所で説明を聞き、
そこで起こったことや、どういう場所かがよく分かって実のあるものとなった。
最後にキリングフィールドで発見された犠牲者の頭蓋骨が納められている慰霊塔に線香を上げて死者の無念を慰める。
慰霊塔
赤ん坊をぶら下げて木に打ち付けて殺したというキリングツリー
チュンエクのキリングフィールドを出て、市内のセントラルマーケットに行く、。
ここの様子を見て、マーケット内にある麺屋で昼食を摂る。
しかし私の食欲は戻らず、K氏のみ食事をし、私は何とファンタを飲む。
クイッテオを食べ終えたK氏
セントラルマーケットを後にして、トゥールスレインに行く。
ここはやはりポルポト時代に小学校を監獄に変えて、罪もない人を拷問したり牢獄に繋いだ場所である。
拷問部屋や拷問用具の展示、犠牲者となった人々の写真などを見ていると、
人間の限りない残酷さと愚かさを見せつけられ、未だに争いをやめることができない人間に希望はあるのか、
自分を大事にするように他人を慈しむことができない今という時代にただ無力さを感じるしかないのか、
そんな思いを抱えてトゥールスレインを後にした。
犠牲者の写真
独立記念塔を車中から見て、国立博物館前でサラスに料金を払って別れる。
私は体調もあり、2度程博物館は見ているのでホテルに帰ることにし、
K氏は博物館を見ていくというので、ホテルまでの帰り道を説明して別れる。
久しぶりの独立記念塔
私はホテルで熱冷ましの薬を飲んで夕方まで休み、少し回復して夕食に出る。
生ビールが少しだけ安い近くのレストランで夕食を摂る。
ここの店で、カンボジアを出国したら紙屑になるリエルの札を全部処分することにした。
会計は上手い具合に、ドルと手持ちのリエルを全部使って支払うことができた。
ドルとリエルの混在は非常に計算が面倒で、K氏が飲む生ビールをあと一杯までは大丈夫などと、
計算しいしいのビールでは彼もおちおち飲んだ気がしなかったかもしれない。
今回のカンボジア旅行で一番印象に残ったのは、この国の通貨であるリエルの普及である。
5年前までは支払いはUSドルで、釣りもドルというのが普通で、リエルを見ることはほとんどなかった。
しかし今回は、シェムリアップ市内のコンビニでドルで払ったら釣りがリエルできたので吃驚した。
この国の通貨本当はリエルなのだということを思い知らされた気がする。
最もわかりやすい計算は、1ドル=4,000リエル=160円で概算の計算方法である。
これだと1,000リエル=40円、100リエル=4円で日本円に換算した場合の認識が簡単である。
リエルが普及する要因の一つは間違いなく5年近いコロナ禍だろう。
コロナ禍で観光客が激減し、ドルを使用する人々が激減し、ドル収入が激減し、ドルの普及も激減した。
ために、やむを得ずリエルを増刷しリエルによる取引が激増したというのが本当のところだろう。
それでもシェムリアップ市内のレストランのメニューはドル表示が普通で、これは観光客が多いせいもあるだろう。
さて、これからはリエル文化になるのか、それともドルに帰依するのか、果たして?
プノンペン観光の日。
5年前に車をチャーターしたサラスに事前に連絡していたので、彼の車で回ることに。
宿の前のレストランで朝食を摂っているときに宿の前に彼のらしい車が止まる。
ロビーに戻ると、既にサラスが来ていたので、しばらく待ってもらい8時に出発する。
まずは近くの王宮の観光。
煌びやかな王宮には、ポルポトの出現で亡命することになった、かのシアヌーク殿下も住んだことがあるのだろうか。
などと想像しながらシルバーパゴダや何やらを見て回る。
5年振りですよ
民族楽器の演奏
王宮を出て、再びサラスの車でチュンエクのキリングフィールドに行く。
5年前にも行ったのだが、今回は日本語のボイスガイドを借りたのでフィールド内の各場所で説明を聞き、
そこで起こったことや、どういう場所かがよく分かって実のあるものとなった。
最後にキリングフィールドで発見された犠牲者の頭蓋骨が納められている慰霊塔に線香を上げて死者の無念を慰める。
慰霊塔
赤ん坊をぶら下げて木に打ち付けて殺したというキリングツリー
チュンエクのキリングフィールドを出て、市内のセントラルマーケットに行く、。
ここの様子を見て、マーケット内にある麺屋で昼食を摂る。
しかし私の食欲は戻らず、K氏のみ食事をし、私は何とファンタを飲む。
クイッテオを食べ終えたK氏
セントラルマーケットを後にして、トゥールスレインに行く。
ここはやはりポルポト時代に小学校を監獄に変えて、罪もない人を拷問したり牢獄に繋いだ場所である。
拷問部屋や拷問用具の展示、犠牲者となった人々の写真などを見ていると、
人間の限りない残酷さと愚かさを見せつけられ、未だに争いをやめることができない人間に希望はあるのか、
自分を大事にするように他人を慈しむことができない今という時代にただ無力さを感じるしかないのか、
そんな思いを抱えてトゥールスレインを後にした。
犠牲者の写真
独立記念塔を車中から見て、国立博物館前でサラスに料金を払って別れる。
私は体調もあり、2度程博物館は見ているのでホテルに帰ることにし、
K氏は博物館を見ていくというので、ホテルまでの帰り道を説明して別れる。
久しぶりの独立記念塔
私はホテルで熱冷ましの薬を飲んで夕方まで休み、少し回復して夕食に出る。
生ビールが少しだけ安い近くのレストランで夕食を摂る。
ここの店で、カンボジアを出国したら紙屑になるリエルの札を全部処分することにした。
会計は上手い具合に、ドルと手持ちのリエルを全部使って支払うことができた。
ドルとリエルの混在は非常に計算が面倒で、K氏が飲む生ビールをあと一杯までは大丈夫などと、
計算しいしいのビールでは彼もおちおち飲んだ気がしなかったかもしれない。
今回のカンボジア旅行で一番印象に残ったのは、この国の通貨であるリエルの普及である。
5年前までは支払いはUSドルで、釣りもドルというのが普通で、リエルを見ることはほとんどなかった。
しかし今回は、シェムリアップ市内のコンビニでドルで払ったら釣りがリエルできたので吃驚した。
この国の通貨本当はリエルなのだということを思い知らされた気がする。
最もわかりやすい計算は、1ドル=4,000リエル=160円で概算の計算方法である。
これだと1,000リエル=40円、100リエル=4円で日本円に換算した場合の認識が簡単である。
リエルが普及する要因の一つは間違いなく5年近いコロナ禍だろう。
コロナ禍で観光客が激減し、ドルを使用する人々が激減し、ドル収入が激減し、ドルの普及も激減した。
ために、やむを得ずリエルを増刷しリエルによる取引が激増したというのが本当のところだろう。
それでもシェムリアップ市内のレストランのメニューはドル表示が普通で、これは観光客が多いせいもあるだろう。
さて、これからはリエル文化になるのか、それともドルに帰依するのか、果たして?