昨夜、久しぶりに中国列車大紀行のDVDを見た。
関口知宏が片道36,000㎞の列車の旅をするというものだ。
NHKで放送され、DVDになったものを、
東京にいる娘が、父の日のプレゼントということでくれたもので、
春編と秋編それぞれ4枚セットになっている。
今年の夏は、ずいぶん前から行ってみたかった、雲南省の麗江という町に行こうと思っている。
数年前、高倉健主演の映画、「単騎千里を走る」の舞台となったところでもある。
麗江の郊外に、束河村というところがあり、ここは映画の中の「長街宴」の舞台になったという。
先日テレビで、雲南省の元陽県の村で行われる長街宴の模様を放送していたが、
映画の長街宴もこれと同じだったのだろうか。
麗江は、雲南省の省都昆明からバスで8時間ほどのところで、
まず日本から上海に入り、そこから列車で43時間かけて昆明に着く。
その日のうちに飛行機で飛ぶか、再び寝台列車で麗江まで行くか、
それとも昆明に1泊して翌早朝バスで行くか、思案のしどころである。
北京に入って、そこから38時間ほど掛けて昆明まで列車で行くという方法もある。
何故こんなに列車にこだわるかというと、中国列車大紀行の影響が大である。
世界のいろんな国で列車に乗ったので、中国でも是非にという思いもある。
韓国の釜山からソウルまでのセマウル号。
タイのバンコクからシンガポールまでの乗り継ぎながらの国際列車。
タイでは、バンコクからチェンマイやウボンラチャタニーなど数回の寝台列車の旅。
ベトナムのサイゴン駅からハノイまでの統一列車。
今までの最長のシベリア鉄道。
インドのムンバイから乗った窓から熱風の入る列車。
タンザニアで不安に駆られながら乗ったサバンナを走る列車。
モロッコのカサブランカらフェズまでの2階建て列車。
スペインは、マドリッドとバルセロナ間のAVEという新幹線や、
バルセロナからグラナダまでの豪華寝台列車。
ペルーでは、最近洪水で甚大な被害の出たマチュピチュへの観光列車。
それぞれの国で、それぞれの土地で、
車窓からの風景はそれぞれの景色や息づかいを見せる。
しかし、様々な車窓からの景色を見ながら、私はいつも同じ感慨を持つ。
「ああ、ここにも人が暮らしている。」と。
ビルが林立する都会の中にも、
人影まばらな草原や田園の風景の中にも、
人は変わらず毎日の営みをしている。
その姿は、どこの国でも同じで、
その風景を見る度に私は故郷の阿蘇を思い出すのだ。
私は、もしかしたら、そのことを確認したくて旅に駆り立てられるのかも知れない。
地球という空間の中でも、
時代という時空の中でも、
人は変わらず毎日の営みをしていくものだということを確認するために。
関口知宏が片道36,000㎞の列車の旅をするというものだ。
NHKで放送され、DVDになったものを、
東京にいる娘が、父の日のプレゼントということでくれたもので、
春編と秋編それぞれ4枚セットになっている。
今年の夏は、ずいぶん前から行ってみたかった、雲南省の麗江という町に行こうと思っている。
数年前、高倉健主演の映画、「単騎千里を走る」の舞台となったところでもある。
麗江の郊外に、束河村というところがあり、ここは映画の中の「長街宴」の舞台になったという。
先日テレビで、雲南省の元陽県の村で行われる長街宴の模様を放送していたが、
映画の長街宴もこれと同じだったのだろうか。
麗江は、雲南省の省都昆明からバスで8時間ほどのところで、
まず日本から上海に入り、そこから列車で43時間かけて昆明に着く。
その日のうちに飛行機で飛ぶか、再び寝台列車で麗江まで行くか、
それとも昆明に1泊して翌早朝バスで行くか、思案のしどころである。
北京に入って、そこから38時間ほど掛けて昆明まで列車で行くという方法もある。
何故こんなに列車にこだわるかというと、中国列車大紀行の影響が大である。
世界のいろんな国で列車に乗ったので、中国でも是非にという思いもある。
韓国の釜山からソウルまでのセマウル号。
タイのバンコクからシンガポールまでの乗り継ぎながらの国際列車。
タイでは、バンコクからチェンマイやウボンラチャタニーなど数回の寝台列車の旅。
ベトナムのサイゴン駅からハノイまでの統一列車。
今までの最長のシベリア鉄道。
インドのムンバイから乗った窓から熱風の入る列車。
タンザニアで不安に駆られながら乗ったサバンナを走る列車。
モロッコのカサブランカらフェズまでの2階建て列車。
スペインは、マドリッドとバルセロナ間のAVEという新幹線や、
バルセロナからグラナダまでの豪華寝台列車。
ペルーでは、最近洪水で甚大な被害の出たマチュピチュへの観光列車。
それぞれの国で、それぞれの土地で、
車窓からの風景はそれぞれの景色や息づかいを見せる。
しかし、様々な車窓からの景色を見ながら、私はいつも同じ感慨を持つ。
「ああ、ここにも人が暮らしている。」と。
ビルが林立する都会の中にも、
人影まばらな草原や田園の風景の中にも、
人は変わらず毎日の営みをしている。
その姿は、どこの国でも同じで、
その風景を見る度に私は故郷の阿蘇を思い出すのだ。
私は、もしかしたら、そのことを確認したくて旅に駆り立てられるのかも知れない。
地球という空間の中でも、
時代という時空の中でも、
人は変わらず毎日の営みをしていくものだということを確認するために。
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