ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか ー14-

2010年02月19日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
久しぶりに来店したWさんは憔悴した様子で呟いた。
「マスター、Nさんが死んじまったよ。」
WさんとNさんは以前よく一緒に飲みに来た仲で、
Nさんが2才年上の、大学の先輩だった。

Wさんは、ジンリッキーを飲みながら、
遠くを見る目でウィスキーの並んだ棚を見ていた。
リッキーは、スピリッツにライムの果肉とソーダを加えて作るカクテルで、
マドラーで好みの味加減にライムをつぶして楽しむ。
昔、アメリカのワシントンで夏向きのカクテルとして考案され、
最初に飲んだ客のジム・リッキー氏にちなんで命名されたと言われている。

Wさんの先輩でもあり、友人でもあるNさんは、
何故かカクテルは飲まず、いつも焼酎のお湯割りだった。
カウンターの端に、「名も知らぬ駅」の名の入った甕の焼酎が置いてあるが、
年1回、それを開栓するときの、Nさんの嬉しそうな顔が鮮やかに蘇える。

「この人、ひどい先輩でね。」
最初にNさんを連れて店に来たとき、Nさんを指さして、Wさんが言った。
「学生時代、俺の同級生で同じサークルの女の子がいたんだけど、」
「その子のことを俺が好きだと知っていて、付き合い始めてさ、」
「とうとう結婚までしてしまったんです。」

その時、Nさんは、また始まったといった風に苦笑いを浮かべていた。
これはまんざら嘘ではないようで、
Wさんは、当時サークルのマドンナだったNさんの奥さんが、
どんなに美人だったかを、来るたびに話してはマキちゃんの顰蹙を買っていた。

WさんとNさんは、2月に1回か2回のペースで一緒に来ていたが、
1年過ぎたあたりから、Nさんの飲むペースが速くなり、
少し控えた方がいいんじゃないかと思えるほどになった。
それからまた1年ほど過ぎて、その間Nさんはすっかり姿を見せなくなったが、
Wさんの様子を見る限り、理由を聞くのは躊躇われた。

0時を過ぎて、一人になったWさんは、問わず語りに話し始めた。
Nさんが4年ほど前に始めた事業は順調だったのだが、
友人の連帯保証で大きな負債を負い、会社を手放すことになった上に、
酒に気分を紛らわせていた最中に、車を運転した挙げ句に自損事故を起こし、
同乗していた一人娘に、一生治らない怪我を負わせてしまった。

それからますます酒におぼれたNさんを、
奥さんと娘さん共々、見限って家を出て行ったということだった。
酒におぼれる悪循環の中で、Nさんは急速に身体を壊したようだ。

なくなる2週間ほど前に、Nさんを家に訪ねたとき、
「W、上さんと娘はどうしてるかな。」
「何かあったら、おまえが力になってやってくれ。」
と、Nさんに言われたそうである。

Wさんは、在学中にずいぶんNさんに世話になったようで、
昨日の葬儀も全てWさんが世話したということだった。
それも一段落して、今日は精進落としだと言いながら杯を重ねるWさんは痛々しかった。

私とWさんしかいなくなった店で、
カウンターの端にある焼酎の甕に手を触れながら、
静かに涙を流しているWさんを、黙って見ていることしかできない自分が、
私はただもどかしくてならなかった。

「名も知らぬ駅」という店は実在しますが、話はフィクションです。

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