がんカフェが終わったら、内容をニュースにして今までの参加した方々に
郵送しています。
書きながら、心の整理がついたことがありました。
・Aさんは、緩和ケア病棟でボランティア活動を長い間しているけれども、
親が亡くなってから2年経過しているにもかかわらず、この1年悲しいことばかりで、
思い出すだけで動悸がして辛い。
ボランティア活動しているなかで、親しくなった患者さんが亡くなると、
悲しい思いをするが、ボランティアはやめられない。
患者さんの前向きに生きている姿から力をもらうからだとのこと。
・自分ががんなのに、大学生の息子がわがままで・・・・と思うけれどもと話すと、
参加者のみんながそれでいいと言ってくれた。
・息子を甘やかして(そういう表現しかないけれども、少し違うニュアンス)育てたけれども、
分別のある息子に育った。
まわりは、そんなに甘やかして育ててどうかしてるとか、言われたこともある。
でも、それは違うと思っている。子どもも40歳近くなったが、最高に優しい人間に育った。
「優しい子どもになって欲しければ、親の自分が優しく子どもに接することが大事」だと思える。
・仏教を学び、親鸞を学んでいる。その中で『自因自果』というのがあって、自分におこることは全て、
自分が引き起こしていることだといわれているので、どんなことがおこっても、
それは自分が原因なのだから全てのことを引き受けて、前をむいて生きていくしかないと
思うようになった。
・自分ががんになったら、積極的な治療は望まず、辛い症状はとって欲しいと思っているということを
みんなが言うが、医師はわかってくれるだろうか?うまく言えるだろうか?と悩む。
それに対して、医師に何でも話せばいいと言って来たけれども、
自分が患者の家族として入院生活をおくってみたら、なかなか言いづらいということを実感した。
でも、誠意を持って一生懸命話さなければいけないと思い、伝えるまでに4日もかかった。
医療従事者であるのに、言いづらいと思うということは、そうでない人はもっと言いづらいの
だろうということが理解できた。
話してもわかってくれないと諦めずに、患者側も「誠意をもって一生懸命伝える努力が必要」だと。
スタッフと「自因自果」について、話しました。
そして調べました。
「・・・これまでにも何度か書いていることだが、お釈迦様の最大の悟りは
「諸行無常」と「縁起」である。
「縁起」というのは、現在、世間一般で使われているような意味ではない。
元来の意味は、ものとものとの関係性のことである。勿論、人と人でも、人とものでもよい。
この世のすべてのものは他との関係性の中でしか存在していない。
どのようなものも、縁によって生じ、縁によって滅びる。
言われてみれば当たり前のことなのだが、人類史上、このことに最初に気がついたのが釈迦であった。
これはどんな発見よりも、偉大な発見である。」
「お釈迦様は、突然、このようなことを思いついたのではない。
ご自分も含めて、人は多くの悩みを抱え、苦悩の連続で生きている。
なぜ人にはこのような悩み、苦悩がつきまとうのかを考え続けているとき、「執着」にたどり着いた。」
「人は多くものに執着している。金、地位、名誉、家、仕事、家族、子供、妻、夫、知識……。
あるものが手に入れば自分は幸せになると思っている。
そして、一旦、手に入れたものは絶対手放したくないと思っている。
しかし、実際は、いつかすべてを手放さなければならないときがやってくる。
いくら膨大な金を持っていても、死ぬときは持っては行けない。
どんなに強欲な人間でも、何一つ持っては死ねない。
持って行けるのは、その人の「行い」、つまり、「業(ごう)」だけである。
生前、その人が行った「業」だけは、死んだ後も持って行けることになっている。
持って行けるというより、振り払うことはできない仕組みになっている。
死んだ後、「業」以外は、持っていても持っては行けないのに、過剰に執着することが
不幸の元凶であることに、お釈迦様は気がついた。」
そういう話しをしながら、手放そうと思いました。
子どもは確実に成長し、自分の道を進むのですから。
扉をあけてみましょう。
郵送しています。
書きながら、心の整理がついたことがありました。
・Aさんは、緩和ケア病棟でボランティア活動を長い間しているけれども、
親が亡くなってから2年経過しているにもかかわらず、この1年悲しいことばかりで、
思い出すだけで動悸がして辛い。
ボランティア活動しているなかで、親しくなった患者さんが亡くなると、
悲しい思いをするが、ボランティアはやめられない。
患者さんの前向きに生きている姿から力をもらうからだとのこと。
・自分ががんなのに、大学生の息子がわがままで・・・・と思うけれどもと話すと、
参加者のみんながそれでいいと言ってくれた。
・息子を甘やかして(そういう表現しかないけれども、少し違うニュアンス)育てたけれども、
分別のある息子に育った。
まわりは、そんなに甘やかして育ててどうかしてるとか、言われたこともある。
でも、それは違うと思っている。子どもも40歳近くなったが、最高に優しい人間に育った。
「優しい子どもになって欲しければ、親の自分が優しく子どもに接することが大事」だと思える。
・仏教を学び、親鸞を学んでいる。その中で『自因自果』というのがあって、自分におこることは全て、
自分が引き起こしていることだといわれているので、どんなことがおこっても、
それは自分が原因なのだから全てのことを引き受けて、前をむいて生きていくしかないと
思うようになった。
・自分ががんになったら、積極的な治療は望まず、辛い症状はとって欲しいと思っているということを
みんなが言うが、医師はわかってくれるだろうか?うまく言えるだろうか?と悩む。
それに対して、医師に何でも話せばいいと言って来たけれども、
自分が患者の家族として入院生活をおくってみたら、なかなか言いづらいということを実感した。
でも、誠意を持って一生懸命話さなければいけないと思い、伝えるまでに4日もかかった。
医療従事者であるのに、言いづらいと思うということは、そうでない人はもっと言いづらいの
だろうということが理解できた。
話してもわかってくれないと諦めずに、患者側も「誠意をもって一生懸命伝える努力が必要」だと。
スタッフと「自因自果」について、話しました。
そして調べました。
「・・・これまでにも何度か書いていることだが、お釈迦様の最大の悟りは
「諸行無常」と「縁起」である。
「縁起」というのは、現在、世間一般で使われているような意味ではない。
元来の意味は、ものとものとの関係性のことである。勿論、人と人でも、人とものでもよい。
この世のすべてのものは他との関係性の中でしか存在していない。
どのようなものも、縁によって生じ、縁によって滅びる。
言われてみれば当たり前のことなのだが、人類史上、このことに最初に気がついたのが釈迦であった。
これはどんな発見よりも、偉大な発見である。」
「お釈迦様は、突然、このようなことを思いついたのではない。
ご自分も含めて、人は多くの悩みを抱え、苦悩の連続で生きている。
なぜ人にはこのような悩み、苦悩がつきまとうのかを考え続けているとき、「執着」にたどり着いた。」
「人は多くものに執着している。金、地位、名誉、家、仕事、家族、子供、妻、夫、知識……。
あるものが手に入れば自分は幸せになると思っている。
そして、一旦、手に入れたものは絶対手放したくないと思っている。
しかし、実際は、いつかすべてを手放さなければならないときがやってくる。
いくら膨大な金を持っていても、死ぬときは持っては行けない。
どんなに強欲な人間でも、何一つ持っては死ねない。
持って行けるのは、その人の「行い」、つまり、「業(ごう)」だけである。
生前、その人が行った「業」だけは、死んだ後も持って行けることになっている。
持って行けるというより、振り払うことはできない仕組みになっている。
死んだ後、「業」以外は、持っていても持っては行けないのに、過剰に執着することが
不幸の元凶であることに、お釈迦様は気がついた。」
そういう話しをしながら、手放そうと思いました。
子どもは確実に成長し、自分の道を進むのですから。
扉をあけてみましょう。