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三陸海岸大津波

2011年06月13日 | 身辺雑記
三陸海岸大津波 (文春文庫)
吉村 昭
文藝春秋

明治39年6月15日、死者26,360名、流失家屋9,879戸。
昭和8年3月3日、死者2,995名、流失家屋4,885戸。
昭和35年5月24日(チリ地震津波)死者105名、流失家屋1,474戸。
のそれぞれの津波を経験された方々の証言をまとめています。

明治39年の大津波の証言者は2人のご老人でした。今はもう過去の人となっています。
本を読み進むうちに、昭和8年大津波の作文を書かれた、尋常小学校生の方々は今どうしているのだろうかと気になりだしました。
特に、尋常小学校6年生、牧野アイさんの作文に心打たれました。
海岸から120m離れた町の中の呉服店と鮑の加工業をしていた8人家族の娘さんでした。
アイさん以外の7人が亡くなられ、家は破産しました。
その後、アイさんは、荒谷功二氏と結婚されお子さんをもうけ、今も宮古市田老にお住まいだと本(2004年初版)に書かれていました。
荒谷功二氏もその時の津波で、両親と姉・兄を亡くされているそうです。
地震があると、現在でも荒谷夫妻は子供を背負い、豪雨であろうと雪であろうと深夜であろうと、必死で山道を駆け上るそうです。
筆者が尋ねています。
「子供さんはいやがるでしょう?」
「いえ、それが普通のことになっていますから一緒に逃げます。」

これを、読んでアイさんは生きているんじゃないかなって思いました。
そして、ネットで調べたんです。

ありました。
この方だと思います。
いえ、この方です。

高台移転に住民思い二分、岩手・宮古市田老地区
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110531-OYT1T00109.htm

<「みんなのお墓もある。また津波が来たら山さ逃げればいい」と住み慣れた土地にこだわる。>

私は、勝手な思い込みで、高台に新しい家を作りそこで安心して暮らせばいいと思っていましたが、・・・。
当事者の想いは、そんなもんじゃ無いんですね。

そうですね、津波が来たら一本道で避難者の渋滞が出来るような町ではなく。
みんなが山に逃げられるような町作りを考えてもいいんですね。

当事者に寄り添った復興が出来ることを願わずにはいられない今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。