自衛隊札幌病院でのメンテ“力”UPセミナーの
2日目終了後、札幌に住むいとこを訪問しようと
南平岸駅から北34条駅に直行。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/fc/65c98f275a3996451ad8d274f185cb7e.jpg)
駅のすぐ前の「北33西3」の信号 ↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/49/fe2edbe52344040c665ee4858fac3a2c.jpg)
↑
このオレンジ色の看板の弁当屋が、いとこの店。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c5/4f98b09e116b816f56c247787f12c79c.jpg)
↑ ↑ ↑
店の中にも外にも、お弁当のでき上がりを待つ人達がいる。
「夕食時の忙しい時に来てしまった」
と思いながらも
店の中に入ってカメラを構えると
手を止めて出迎えてくれた。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a5/a0c25aa59c8bf690d0daa68116577268.jpg)
この近くのマミーズポート助産院で
セミナーをする時は、
たいてい立ち寄っていたが、
久しぶり。2年ぶりくらい?
少し待つと、お客さんが減り、
奥さん一人に仕事を任せて、
しばらくおしゃべり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ca/6f2a087504b803a9b7acae8751ef9653.jpg)
聞けば、この9月で店を辞めて、
次の経営者に店を譲り、
奥さんの実家の近くに引っ越すのだと。
奥さんは疲れ気味で、
自分も60歳になったことだし、
家族のことも考えて、そう決めたそうな。
彼は、私の母の弟の第二子。
私のいとこの中では最年少で、
私より3歳年下。
育った家も、歩いて1分しか離れていない。
スポーツ万能で、
学業成績も私より優秀だったのに、
弁当屋の主になってしまったとは?
中学の軟式野球では、石川県で優勝。
もちろん4番打者。
他府県の甲子園常連校から、
特待生としてスカウトを受けながらも
それを断って、
私と同じ小松高校に進学し、柔道に転向。
インターハイ・国体
日米親善試合にも出場、二段も取得。
パイロットになりたいと言って、
防衛大学校に進学した。
しかし、夏休みに帰って来た後は、
親が嘆こうが怒ろうがテコでも動かず、
防衛大学校を中退。
「気風に馴染めず、勉強も難しく、全てがきつかった…」と。
家の経済状態を考えると、
大学進学できる状態ではなかったが、
翌春、金沢大学の
医学部を受験してみたものの、不合格。
潔く就職し、北海道に配転となった。
28歳の時に退職し
弁当屋を開業したが、イマイチ繁盛せず、
10年前に現在の地に引っ越してきた。
その理由は、弁当の大手のチェーン店が
すぐ近くにあったので、
「その店を1年で潰してやる! そうすれば後は楽」
と、考えたからだと。
1年間、死にもの狂いで働き、
その店を1年で閉店に追い込んだ。
その後、経営は安定したそうだが、
メニューは60種類もある!
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/11/ff6c90302a4cb41fa4dd9e529c6cb5f6.jpg)
こんなに多かったら、さぞかし大変だろう。
奥さんと二人で、ほとんど休みなし。
お昼前から店を開き、
夜は10時半まで営業、という長時間労働。
しかも、どの弁当も安い。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/10/5db306f709d0c84ada22663272ed78c3.jpg)
この稼ぎで、息子二人を育て、野球を教え、
ブラジルまで試合に連れて行き、大学に行かせ…。
私も忙しい人生を送っているとは思うが、
食べ物商売の忙しさには負ける。
私は嫌や~
高校生までに味わった忙しさで、十二分や。
なのに、食べ物商売の家に育たなかった彼がなぜ、
弁当屋をしようという気になったのか?
今回、話を聞いてやっと少し解った気がした。
それは、私の家が彼の家より
少しばかり余裕があったから?
彼が大学に行くためには
私の父の援助を受けるか、
わずかばかりの田を
売り払わなければならないことが、
耐えられなかったのだそうだ。
お金がないって、ほんまにツライ。
人の一生を大きく変えてしまう。
お金さえあれば、
たくましい働き者の
医者になっていたかも知れないのに。
でも、屈託なく
「これが自分には合っている。
高校も柔道も防衛大学校も
親や先生に勧められるままに進んだ。
自分では何も考えられんかった。
そやけど、これは自分で決めて進んだ道なんや」
と、笑いながら語る。
10月以後は北海道の田舎に移って、
少しばかり農業をしたりして暮らすとのこと。
「メロンとか、送ってやるわ!」と。
もう二度と会うこともできないかも知れない
このいとこが送ってくれるメロンや野菜を
楽しみに待っつことにしよう。
2日目終了後、札幌に住むいとこを訪問しようと
南平岸駅から北34条駅に直行。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/fc/65c98f275a3996451ad8d274f185cb7e.jpg)
駅のすぐ前の「北33西3」の信号 ↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/49/fe2edbe52344040c665ee4858fac3a2c.jpg)
↑
このオレンジ色の看板の弁当屋が、いとこの店。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c5/4f98b09e116b816f56c247787f12c79c.jpg)
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店の中にも外にも、お弁当のでき上がりを待つ人達がいる。
「夕食時の忙しい時に来てしまった」
と思いながらも
店の中に入ってカメラを構えると
手を止めて出迎えてくれた。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a5/a0c25aa59c8bf690d0daa68116577268.jpg)
この近くのマミーズポート助産院で
セミナーをする時は、
たいてい立ち寄っていたが、
久しぶり。2年ぶりくらい?
少し待つと、お客さんが減り、
奥さん一人に仕事を任せて、
しばらくおしゃべり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ca/6f2a087504b803a9b7acae8751ef9653.jpg)
聞けば、この9月で店を辞めて、
次の経営者に店を譲り、
奥さんの実家の近くに引っ越すのだと。
奥さんは疲れ気味で、
自分も60歳になったことだし、
家族のことも考えて、そう決めたそうな。
彼は、私の母の弟の第二子。
私のいとこの中では最年少で、
私より3歳年下。
育った家も、歩いて1分しか離れていない。
スポーツ万能で、
学業成績も私より優秀だったのに、
弁当屋の主になってしまったとは?
中学の軟式野球では、石川県で優勝。
もちろん4番打者。
他府県の甲子園常連校から、
特待生としてスカウトを受けながらも
それを断って、
私と同じ小松高校に進学し、柔道に転向。
インターハイ・国体
日米親善試合にも出場、二段も取得。
パイロットになりたいと言って、
防衛大学校に進学した。
しかし、夏休みに帰って来た後は、
親が嘆こうが怒ろうがテコでも動かず、
防衛大学校を中退。
「気風に馴染めず、勉強も難しく、全てがきつかった…」と。
家の経済状態を考えると、
大学進学できる状態ではなかったが、
翌春、金沢大学の
医学部を受験してみたものの、不合格。
潔く就職し、北海道に配転となった。
28歳の時に退職し
弁当屋を開業したが、イマイチ繁盛せず、
10年前に現在の地に引っ越してきた。
その理由は、弁当の大手のチェーン店が
すぐ近くにあったので、
「その店を1年で潰してやる! そうすれば後は楽」
と、考えたからだと。
1年間、死にもの狂いで働き、
その店を1年で閉店に追い込んだ。
その後、経営は安定したそうだが、
メニューは60種類もある!
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/11/ff6c90302a4cb41fa4dd9e529c6cb5f6.jpg)
こんなに多かったら、さぞかし大変だろう。
奥さんと二人で、ほとんど休みなし。
お昼前から店を開き、
夜は10時半まで営業、という長時間労働。
しかも、どの弁当も安い。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/10/5db306f709d0c84ada22663272ed78c3.jpg)
この稼ぎで、息子二人を育て、野球を教え、
ブラジルまで試合に連れて行き、大学に行かせ…。
私も忙しい人生を送っているとは思うが、
食べ物商売の忙しさには負ける。
私は嫌や~
高校生までに味わった忙しさで、十二分や。
なのに、食べ物商売の家に育たなかった彼がなぜ、
弁当屋をしようという気になったのか?
今回、話を聞いてやっと少し解った気がした。
それは、私の家が彼の家より
少しばかり余裕があったから?
彼が大学に行くためには
私の父の援助を受けるか、
わずかばかりの田を
売り払わなければならないことが、
耐えられなかったのだそうだ。
お金がないって、ほんまにツライ。
人の一生を大きく変えてしまう。
お金さえあれば、
たくましい働き者の
医者になっていたかも知れないのに。
でも、屈託なく
「これが自分には合っている。
高校も柔道も防衛大学校も
親や先生に勧められるままに進んだ。
自分では何も考えられんかった。
そやけど、これは自分で決めて進んだ道なんや」
と、笑いながら語る。
10月以後は北海道の田舎に移って、
少しばかり農業をしたりして暮らすとのこと。
「メロンとか、送ってやるわ!」と。
もう二度と会うこともできないかも知れない
このいとこが送ってくれるメロンや野菜を
楽しみに待っつことにしよう。
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