友人のAさんが、高知県産の、冷凍のカツオのたたきを送ってくれた。
昨年初めて送ってもらって、今年は二度目。
半解凍の状態で切り、玉ねぎ・醤油漬けニンニク・ネギを刻んで、
ニンニク醤油とジャバラ酢を混ぜたタレをかけて食べた。
↓
これがとても美味しくて、やみつきになってしまいそう。
実は、北陸で生まれ育った私は、高校卒業まで、
鰹節以外のカツオを食べたことがなかった。
私の実家の家族も「あんなもんは食えん!」と言っていたし、
鰹節にする以外に、調理して食べる魚だとは思っていなかった。
ところが、看護学校の寮に入ると「生利節」や「トンボ節」という
カツオやびん長マグロを、蒸して干したようなのが、
玉ねぎと一緒に甘辛く煮つけられて、出された。
私は生まれて初めて目にした、そのような魚料理は
到底受け入れ難かったが、他に食べるものもなく、
若かったためお腹もすくし、しぶしぶ食べていた。
しかし、食堂で周囲を見渡すと、
「美味しいね~、美味しいね~」と言いあって食べている
たくさんの学友がいた。
主に四国や九州出身の人たちであった。
彼女たちは、寮の米飯も「美味しい」と言いながら、
丼鉢に山盛りのご飯をパクパク食べていた。
「このベタベタのご飯や、血なまぐさい魚の煮つけを、
美味しいと感じる人がいるなんて!?」と、
私は信じられなかった。
初夏から夏になると、京都の暑さに参ってしまい、
いっそう食欲は落ち、体重も徐々に減って行った。
夏休みに実家に帰って食べた米飯は、寮の米飯とは全く違って
甘くてふっくらとしていて、魚も野菜もスイカも水も、
全てが美味しかった。
これが普通の食べものとして、食べて育ったのだから、
寮の食事が口に合わないのは、当然だった。
しかし、しだいに寮生活に慣れると、寮の厨房で料理を作ったり、
寮のオカズを調理し直して食べたりしていたが、
慣れとは恐ろしいものである。
あれだけ嫌いだった「生利節」や「トンボ節」と玉ねぎの煮つけも、
脂身の多い豚肉の薄切りとワンタンと白菜の豚骨スープも
3年目にもなると「美味しい」と思うようになってきた。
やがて卒業し、就職し、結婚した頃には、
カツオのたたきも食べられるようになった。
でも、美味しいものだとは、思わなかった。
「安くて手頃だから買って食べていた」というレベルであった。
人生で初めて、カツオを「美味しい~(@@!」と感動したのは、
2001年2月11日(えひめ丸沈没の翌日だったので良く覚えている)
紀伊半島の先端に近い、橋杭岩の所にある
小さな食堂で食べたカツオの刺身であった。
これがカツオだということが信じられなかった。
新鮮であるのはもちろんだが、血なまぐさくなく、
すっきりとしていて、旨みと香りでふんわりしていた。
「きっと獲れてからのカツオの扱い方が違うのだろう」と思いつつ、
それ以来「あんな美味しいカツオを、もう一度食べたい」と、
思うようになった。
昨年、Aさんが送ってくれたカツオは、それに近い味だった。
そして、今年も味わえた。
「目に青葉、山ホトトギス、初ガツオ」と、
江戸の人々が、初ガツオを必死になって求めた気持ちが
少し理解できるようになった。
生駒は青葉が美しく、美味しいカツオも食べた。
卯の花も咲いたが、今年はまだ
ホトトギスの鳴き声は聞こえない。これだけが惜しい~。
・・・・・・
追記 5/30(金)午前2:40、ホトトギスの鳴き声が聞こえた\(^o^)/
昨年初めて送ってもらって、今年は二度目。
半解凍の状態で切り、玉ねぎ・醤油漬けニンニク・ネギを刻んで、
ニンニク醤油とジャバラ酢を混ぜたタレをかけて食べた。
↓
これがとても美味しくて、やみつきになってしまいそう。
実は、北陸で生まれ育った私は、高校卒業まで、
鰹節以外のカツオを食べたことがなかった。
私の実家の家族も「あんなもんは食えん!」と言っていたし、
鰹節にする以外に、調理して食べる魚だとは思っていなかった。
ところが、看護学校の寮に入ると「生利節」や「トンボ節」という
カツオやびん長マグロを、蒸して干したようなのが、
玉ねぎと一緒に甘辛く煮つけられて、出された。
私は生まれて初めて目にした、そのような魚料理は
到底受け入れ難かったが、他に食べるものもなく、
若かったためお腹もすくし、しぶしぶ食べていた。
しかし、食堂で周囲を見渡すと、
「美味しいね~、美味しいね~」と言いあって食べている
たくさんの学友がいた。
主に四国や九州出身の人たちであった。
彼女たちは、寮の米飯も「美味しい」と言いながら、
丼鉢に山盛りのご飯をパクパク食べていた。
「このベタベタのご飯や、血なまぐさい魚の煮つけを、
美味しいと感じる人がいるなんて!?」と、
私は信じられなかった。
初夏から夏になると、京都の暑さに参ってしまい、
いっそう食欲は落ち、体重も徐々に減って行った。
夏休みに実家に帰って食べた米飯は、寮の米飯とは全く違って
甘くてふっくらとしていて、魚も野菜もスイカも水も、
全てが美味しかった。
これが普通の食べものとして、食べて育ったのだから、
寮の食事が口に合わないのは、当然だった。
しかし、しだいに寮生活に慣れると、寮の厨房で料理を作ったり、
寮のオカズを調理し直して食べたりしていたが、
慣れとは恐ろしいものである。
あれだけ嫌いだった「生利節」や「トンボ節」と玉ねぎの煮つけも、
脂身の多い豚肉の薄切りとワンタンと白菜の豚骨スープも
3年目にもなると「美味しい」と思うようになってきた。
やがて卒業し、就職し、結婚した頃には、
カツオのたたきも食べられるようになった。
でも、美味しいものだとは、思わなかった。
「安くて手頃だから買って食べていた」というレベルであった。
人生で初めて、カツオを「美味しい~(@@!」と感動したのは、
2001年2月11日(えひめ丸沈没の翌日だったので良く覚えている)
紀伊半島の先端に近い、橋杭岩の所にある
小さな食堂で食べたカツオの刺身であった。
これがカツオだということが信じられなかった。
新鮮であるのはもちろんだが、血なまぐさくなく、
すっきりとしていて、旨みと香りでふんわりしていた。
「きっと獲れてからのカツオの扱い方が違うのだろう」と思いつつ、
それ以来「あんな美味しいカツオを、もう一度食べたい」と、
思うようになった。
昨年、Aさんが送ってくれたカツオは、それに近い味だった。
そして、今年も味わえた。
「目に青葉、山ホトトギス、初ガツオ」と、
江戸の人々が、初ガツオを必死になって求めた気持ちが
少し理解できるようになった。
生駒は青葉が美しく、美味しいカツオも食べた。
卯の花も咲いたが、今年はまだ
ホトトギスの鳴き声は聞こえない。これだけが惜しい~。
・・・・・・
追記 5/30(金)午前2:40、ホトトギスの鳴き声が聞こえた\(^o^)/
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