![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/7a/684c341518d49f7570a9fdb59fa1553c.jpg)
明治14年の失火で焼け残ったのは
石川門と三十間長屋だけだったそうで、
これら2つは重要文化財に指定されている。
今回は上手く三十間長屋を撮れず
これは ↑ 2007年10月21日に訪れたときに撮った写真。
ここの石垣は他にはない「金場取り残し積み」
ここは武器庫として使われていたそうで
往時のまま残っている。
長屋の前の広場から見えるのは
菱櫓 ↓ と 五十間長屋 ↓
こちらは有料で320円
五十間長屋の北の端には菱櫓で
菱形に作られている。
その理由は、正門である河北門と
搦手門である石川門の
両方からの攻撃に対して
守りやすいようにしているらしい。
それにしても、こんな難しい技法で作ったなんて…😵
全てが80度と100度の角度で作られている。
これらは2007年にも見学したのだが
何度見ても感嘆の声を上げそうになるくらい。
菱形の効果で、石川門が真正面に見える。
私は小学生の時に初めて訪れたときは
城内には金沢大学の校舎があり
長兄が通っていた。
とても美しく立派な門なので
その時から「石川門が正門だ」と思っていた。
今でも金沢城と聞くと
まずは大学の校舎が脳裏に浮かぶ。
2007年に訪れたときは菱櫓の解説を
きちんと読んでいなかったのか?
忘れたのか? 情けない😩
これは全焼する前の五十間長屋の写真。
同じく石川門。↑
五十間長屋の北は二の丸。
二の丸を守るための五十間長屋であり
主に武器庫として使われていたのだと。
二の丸御殿を再建するための史跡調査が続いているようだ。
三十間長屋のように重要文化財ではないので
ビデオモニターや、脚の弱い見学者用にエレベータも! ↓
五十間長屋の南の端にある橋爪門。
桝形土塀には唐破風の屋根。
立派な橋爪門。↓
こちらは菱櫓 ↓ どれも全て美しく立派。
橋爪門・五十間長屋・菱櫓と、緑の広場は三の丸跡
真後ろに石川門。 ↓
菱櫓 ↓ と 河北門 ↓
大手門から河北門へとつながるので
河北門が実質的な正門となるのだと。
河北門にも入ってみたいが
12:30が垣野助産師との待ち合わせの時間なので
時間がないし、暑くてしんどくて
もう無理😥
石川門から出ることにした。
城の外郭を守っている塀の内側 ↓
石川門の桝形の内側の塀は
粗加工石積み ↑ と 切り石積み ↑
このように同じ場所で違う積み方は珍しいそうな。
何でこうしたの? その心は?
ずいぶんたくさんお城巡りをしてきたが
橋の上から見る石川門も鼠多門も
広々として、洗練された美しさ。
日本中のどんなお城よりも
美しいと思う。
姫路城・江戸城・名古屋城・彦根城
などを差し置いて、金沢城が?
と、思われるかもしれないが
姫路城は微妙に傾いているので
見ていると気持ち悪くなるし
それ以外のお城も、私好みではない。
としか言いようがない。
今回見られなかった所もいっぱいなので
また来ないといけなくなってしまった。
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