ブログから1週間の御無沙汰、その理由は…
大阪駅近くのクリニックで
7/17(日) 右目、18(月) 左目の
水晶体屈折矯正
(多焦点眼内レンズ入れ替え)手術を受けたから。
私は軽度の白内障はあるものの、
まだ手術対象となるほどは悪くない。
しかし、遠視・近視・乱視で
40代半ばから眼鏡をかけているのだが
すぐにずれる。
その理由は、助産学生時代に
右鼻骨骨折をしてしまい
左右の鼻骨の高さが違うから。
軽い眼鏡はすぐにずれ下がり
ずれない様にしっかり固定される
眼鏡をかけているため
鼻骨と両耳の上の骨に圧痕ができている。
骨折していない左の方が圧痕がひどい。↑
そのせいとしか思えないほど
目と頭の疲れがひどく、集中力が続かない。
しかも、眼鏡はとても不便。
整体セミナーでは、私はうつ伏せで
受講生の整体受け手となる機会が多い。
特に実技試験では
うつ伏せになっている時は眼鏡を外し
1人終わると
点数を記録するのに眼鏡をかける。
その繰り返し…。
最悪、眼鏡を実習中に踏まれたり、
自分で踏んだりして、
破損なんてことも、何度かあった。
二十歳過ぎまでは、視力は両眼とも1.5で
とても良く見えてただけに、落差が大きい。
「眼鏡なしで良く見えるようになったら
いいのに」と思っていたところに
このような手術があることを知り、
受ける決心をした。
4/1に検査を受け
「手術はお盆に」予定していたが
「医師のシフト上できなくなった」
と、電話連絡を受けたのが6月中旬。
「年内の手術は無理かも…」と…_| ̄|○
だが、日程表をよくよく眺めると
富山セミナーを想定して空けていた日程が
そのまま空いていた。
富山が1週間早い日程で決まったため、
7/17(日)~19(火)と24(日)を確保できた!
手術の2日前から、1日4回、抗生剤の点眼
前日から禁酒。
前日にはいつもの理髪店で
超ショートにカット
こんな時に夫は(土)~(月)の夜まで
私と入れ替わりに、富山に出張でいない。
ご飯を作ってもらえないので
2日間の昼食の準備もし、準備万端。
7/17(日)の手術当日も朝・昼と点眼し
生駒の家を出発し
東梅田駅へと向かった。
4月は地上を歩いたが、今度は地下街を通って
外気に触れることなく
OSビルの地下でエレベータに乗り、17階へ。
14時少し前にクリニックに到着。
内服薬の抗生剤1種類をもらい
瞳孔を散大させる点眼を、10分間間で4回。
執刀医北澤医師の診察後
視能訓練士の男性に誘導されて
手術者のようなガウンと帽子を着用して
椅子に座って待っていた。
4/1(金)に検査を担当してくれた、
視能訓練士・カウンセラーのM氏の姿が見えない。
「今日は休みなのかなぁ?」と
ちょっとガッカリ。不安・緊張。。。
すると、そさきほどの訓練士さんが
手術直後の高齢男性の両手を引いて
私の前を通った。
そのとても優しい丁寧な誘導ぶりに
しばし見とれていると、
私の緊張感も和らいでいくのが分かった。
麻酔薬の点眼も終え
いよいよ手術室に入室。
歯医者さんの椅子のような手術椅子に座ると
間もなく北澤先生と看護師さんが入室。
「緊張していますか?」と、尋ねられ
「いいえ、全然」と返答したものの…
手術が始まり、開眼器で開かれた目は瞬き不能で
お腹の上に組んだ私の
両人指し指は、ピンと伸びたまま。
眼球に冷水をかけ流し状態で
オーロラ(?) のように美しく渦巻く
白・赤紫・黒の光を見つめながら
5分ほど(?)で手術は終わった。
術中、北澤先生が経過説明しながら
「順調に進んでいますよ~」
と声をかけて下さり
不安はないはずだが
最後まで人差し指の緊張は
緩むことはなかった。
右目を眼帯で覆ってもらい、手術室から出て
「すぐに帰ってもいいですよ」と言われても、
とても外を歩く元気はない。
20分間ほど、受付前の椅子で休んでから
地下鉄東梅田駅に向かった。
生駒の自宅に帰宅後
途中で買って来たお弁当を食べるとそのまま
18時過ぎから
翌朝の8時過ぎまで、昏々と眠り続けた。
起きてからは使いなれた眼鏡をかけて
パソコンの画面を
左目だけで見られるくらいに、元気になった。
セルフタイマーで記念撮影 ↓
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