5/3(木)、城崎マリンワールドを出て、
夫が「どこに行こうか?」と言うので
私は「余部(あまるべ)鉄橋!」と即答。
30歳頃に民宿で泊ったことのある柴山や
降り立ったことのない香住を通り過ぎ、余部に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/07/4a24c5e0c060e09389bdc5ba607ffaab.jpg)
何で?!と思うほどの人人人、車車車で
駐車場は満杯。
15分ほど待ってようやく止められた。
鉄筋コンクリートの新しい橋ができていて
西の方を見ると古い鉄橋の一部が残されている。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/69/66b4d63d6cb5d53948f66f015e55529a.jpg)
↑
これは昭和61年の脱線転覆事故犠牲者6名の慰霊碑
道の駅「あまるべ」内のテレビモニターでは、
余部鉄橋100年の歴史が見られ、
たくさんの写真も掲示されている。
建設計画・準備は
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c8/f9d6981b1190bef3ad4c7b9a62cc84fa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/3e/dfff571eda0ab59cc0de5fd3224e1450.jpg)
明治44年5月からわずか5ヶ月で組み立てられたと!
「何でこんな辺鄙なところに
これだけの巨大事業を?!」と言いたいところだが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b4/dba24c43d6701c86f3201e92a5e336bb.jpg)
これがなければ、島根・鳥取⇔京阪神を結ぶのに
大きく迂回しないといけない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/93/5e667a823043fe68630fdd145515891c.jpg)
これほどの経済効果をもたらしながら、
地元余部の集落の人々は恩恵を被らなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/15/c9ebc1bd80e684b1e3213d8c2ecf0e08.jpg)
三方を山で囲まれた陸の孤島余部の人々は、
赤ちゃんをおんぶした母親も、
東隣の鎧駅まで、四つものトンネルを通り抜けて
歩かなければ、汽車に乗れなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/84/db7099624107795f5756d9befdf3cd80.jpg)
度重なる陳情・手紙で
駅は作られることになったが、これまた大変。
小学生までもが浜辺の石を高い山に運んで
駅のホームなどが作られた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ec/e292b223a12dd1462979992b0ae895d9.jpg)
こうして鉄橋完成後、実に47年目の昭和34年、
余部駅ができ、汽車が止まるようになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/20/2a7b7e973c64ee71bc0b5b81fe435946.jpg)
私は23歳の時、城崎から鳥取の友人宅に向かうとき、
余部鉄橋を通ったことがある。
「日本一高い鉄橋」との知識しかなかったが
列車の窓から下を見ると、
まるで海の上を走っているかのようで
その傍らに小さな民家が見え、高さを実感した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/b9/3f6900f9ba2be8b1f5a9871472cfb787.jpg)
30代前半、夫が運転する小ささな車で
鉄橋の下の道を通ったこともあり、
思い出深い鉄橋である。
日本海の潮がもろに吹き付けるため
サビとの戦いで、多くの塗装工が
軽業師のように働き続け、鉄橋を守った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/3c/3a1cc59f4c077d0b82ba4310dd5bf731.jpg)
昭和61年12月28日、想定外の突風にあおられ、
回送中の特急「みやび」の車両7両が転落。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/63/f3054ba9e3c29563ddd2708546545a2a.jpg)
カニ加工場を直撃し、
女性従業員5人と車掌、6人が亡くなった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/b6/3e5c49da39c6ea1b3baaa49fe3ead92e.jpg)
このニュースをでレビで見たときのショックは
今も忘れられない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/5a/5bcdeb3be53800dcc7cafbb697bd64ef.jpg)
その後も老朽化は進行、
強風による運休や列車遅延から
定時運行確保を目指し
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b3/6fb9a2e751f0bee78c2b776bb0597d2e.jpg)
平成25年、新橋梁・空の駅・
クリスタルタワー(エレベータ塔)が完成
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/56/ac222eb2f4bbc25fd2ef7c36f5de1538.jpg)
エレベータを降りると、足元から下が見え
足が震えるほど怖いので見ないことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/91/0f474e92395c053a5d58f216001cd919.jpg)
旧路線を西に歩いて行くと
駅舎が昔の面影を残しながら建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d1/5cbf8aa4f90ba97e2b447c253330b207.jpg)
カメラを構える人々の影が映っていて面白い。
たぶん向かって左端が私の手。
↓
↑
降りるときは坂道を歩いて高さを体感
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/2d/e17be3f9ce98b534eb7a35276498807c.jpg)
夫は道の駅で鉄橋の一部をカットして作った文鎮を買っていた。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/31/0871df6f82011b563680d13f31bddb38.jpg)
重さにビックリ! 100年の歴史を
ドッシリと思い起こさせてくれる。
これだけの多くの人ということは、
鉄道ファンだけでなく
「高い所から海を眺められてきれいよ~」
といった感覚で訪れている人も多そう。
皆さんにぜひ訪れてほしい思う所である。
ここを訪れて、
「あ~、なんて私は怠け者なんやろ」と思った。
余部をあとにし、車は東に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/66/be2c095150b537d9c2dabbaed000ad0e.jpg)
ジオパークとして認定された
雄大な海岸線を眺めながら
竹野の民宿に向かった。
夫が「どこに行こうか?」と言うので
私は「余部(あまるべ)鉄橋!」と即答。
30歳頃に民宿で泊ったことのある柴山や
降り立ったことのない香住を通り過ぎ、余部に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/07/4a24c5e0c060e09389bdc5ba607ffaab.jpg)
何で?!と思うほどの人人人、車車車で
駐車場は満杯。
15分ほど待ってようやく止められた。
鉄筋コンクリートの新しい橋ができていて
西の方を見ると古い鉄橋の一部が残されている。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/24/89903a77c9ee137a03f51456a1100c47.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/69/66b4d63d6cb5d53948f66f015e55529a.jpg)
↑
これは昭和61年の脱線転覆事故犠牲者6名の慰霊碑
道の駅「あまるべ」内のテレビモニターでは、
余部鉄橋100年の歴史が見られ、
たくさんの写真も掲示されている。
建設計画・準備は
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c8/f9d6981b1190bef3ad4c7b9a62cc84fa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/3e/dfff571eda0ab59cc0de5fd3224e1450.jpg)
明治44年5月からわずか5ヶ月で組み立てられたと!
「何でこんな辺鄙なところに
これだけの巨大事業を?!」と言いたいところだが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b4/dba24c43d6701c86f3201e92a5e336bb.jpg)
これがなければ、島根・鳥取⇔京阪神を結ぶのに
大きく迂回しないといけない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/93/5e667a823043fe68630fdd145515891c.jpg)
これほどの経済効果をもたらしながら、
地元余部の集落の人々は恩恵を被らなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/15/c9ebc1bd80e684b1e3213d8c2ecf0e08.jpg)
三方を山で囲まれた陸の孤島余部の人々は、
赤ちゃんをおんぶした母親も、
東隣の鎧駅まで、四つものトンネルを通り抜けて
歩かなければ、汽車に乗れなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/84/db7099624107795f5756d9befdf3cd80.jpg)
度重なる陳情・手紙で
駅は作られることになったが、これまた大変。
小学生までもが浜辺の石を高い山に運んで
駅のホームなどが作られた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ec/e292b223a12dd1462979992b0ae895d9.jpg)
こうして鉄橋完成後、実に47年目の昭和34年、
余部駅ができ、汽車が止まるようになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/20/2a7b7e973c64ee71bc0b5b81fe435946.jpg)
私は23歳の時、城崎から鳥取の友人宅に向かうとき、
余部鉄橋を通ったことがある。
「日本一高い鉄橋」との知識しかなかったが
列車の窓から下を見ると、
まるで海の上を走っているかのようで
その傍らに小さな民家が見え、高さを実感した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/b9/3f6900f9ba2be8b1f5a9871472cfb787.jpg)
30代前半、夫が運転する小ささな車で
鉄橋の下の道を通ったこともあり、
思い出深い鉄橋である。
日本海の潮がもろに吹き付けるため
サビとの戦いで、多くの塗装工が
軽業師のように働き続け、鉄橋を守った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/3c/3a1cc59f4c077d0b82ba4310dd5bf731.jpg)
昭和61年12月28日、想定外の突風にあおられ、
回送中の特急「みやび」の車両7両が転落。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/63/f3054ba9e3c29563ddd2708546545a2a.jpg)
カニ加工場を直撃し、
女性従業員5人と車掌、6人が亡くなった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/b6/3e5c49da39c6ea1b3baaa49fe3ead92e.jpg)
このニュースをでレビで見たときのショックは
今も忘れられない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/ed/8b49810b06938bf063bc6d0ed39a30a1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/5a/5bcdeb3be53800dcc7cafbb697bd64ef.jpg)
その後も老朽化は進行、
強風による運休や列車遅延から
定時運行確保を目指し
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/fb/e62d32824345859ea8443f07a19ba3ca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/b3/6fb9a2e751f0bee78c2b776bb0597d2e.jpg)
平成25年、新橋梁・空の駅・
クリスタルタワー(エレベータ塔)が完成
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/56/ac222eb2f4bbc25fd2ef7c36f5de1538.jpg)
エレベータを降りると、足元から下が見え
足が震えるほど怖いので見ないことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/91/0f474e92395c053a5d58f216001cd919.jpg)
旧路線を西に歩いて行くと
駅舎が昔の面影を残しながら建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d1/5cbf8aa4f90ba97e2b447c253330b207.jpg)
カメラを構える人々の影が映っていて面白い。
たぶん向かって左端が私の手。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/cc/e105ee45d3950487d0a8ddb03d07a79a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/c9/8a100e29c8db0c34b15b34c3db1f7a68.jpg)
↑
降りるときは坂道を歩いて高さを体感
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/2d/e17be3f9ce98b534eb7a35276498807c.jpg)
夫は道の駅で鉄橋の一部をカットして作った文鎮を買っていた。
↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/31/0871df6f82011b563680d13f31bddb38.jpg)
重さにビックリ! 100年の歴史を
ドッシリと思い起こさせてくれる。
これだけの多くの人ということは、
鉄道ファンだけでなく
「高い所から海を眺められてきれいよ~」
といった感覚で訪れている人も多そう。
皆さんにぜひ訪れてほしい思う所である。
ここを訪れて、
「あ~、なんて私は怠け者なんやろ」と思った。
余部をあとにし、車は東に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/66/be2c095150b537d9c2dabbaed000ad0e.jpg)
ジオパークとして認定された
雄大な海岸線を眺めながら
竹野の民宿に向かった。
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