今回は、1967年の今ごろ、
チャートインしていた曲、
The Bee Geesの
"To Love Somebody"です。
(Pop #17)
こちらは、67年当時の、
西ドイツの番組『Beat-Club』での、
パフォーマンス映像のようですが、
73年に、『Midnight Special』に
出演した時の映像も、
公式で上がっていますので、
そちらも貼ってみたいと思います。
たった6年ですが、ずいぶんと、
雰囲気変わっていますね。
73年は、バンド編成をやめて、
兄弟3人のみになった直後なのかな。
イギリスから、オーストラリアに渡り、
63年にデビューして、人気が出始め、
そして、世界デビューした、
アルバム"Bee Gees' 1st"からの、
この曲は、2ndカットだったようですね。
1stシングルが、
"New York Mining Disaster 1941"
(「ニューヨーク炭鉱の悲劇」)、
このあとが"Holiday"で、すべて、
Top20には入っていたのですが、
意外にも、USチャートでは、
Top10入りはしてなかったみたいです。
(14位と16位)
このころは、当然、
リアルタイムでは聴いていませんで、
恥ずかしながら、
フィーバー後の80年代に、
洋楽オタクになったあとも、
ほとんど、この時代の曲は、
聴いたことがなかったもので、
じつは、92年から93年にかけて、
Michael Boltonがカバーして、
スマッシュヒットさせてから、
こちらのオリジナルを知った、
そんな感じだったですね。
やはり、名曲を歌い継いでくれること、
ありがたいですよね。
1967年8月26日付けのビルボードHot100です。
1位は、こちらも、
多くのカバーを生んだ、
あのシンガーの、あの名曲です。
<1967年8月26日、何があったか?>
広島東洋カープの名投手で、
監督も務められました、
佐々岡真司さんが誕生したのが、
この日だったようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐々岡真司
佐々岡真司(Wikipedia)
※次回は、天国へ行ってしまった
アーティスト、92人目です。
チャートインしていた曲、
The Bee Geesの
"To Love Somebody"です。
(Pop #17)
こちらは、67年当時の、
西ドイツの番組『Beat-Club』での、
パフォーマンス映像のようですが、
73年に、『Midnight Special』に
出演した時の映像も、
公式で上がっていますので、
そちらも貼ってみたいと思います。
たった6年ですが、ずいぶんと、
雰囲気変わっていますね。
73年は、バンド編成をやめて、
兄弟3人のみになった直後なのかな。
イギリスから、オーストラリアに渡り、
63年にデビューして、人気が出始め、
そして、世界デビューした、
アルバム"Bee Gees' 1st"からの、
この曲は、2ndカットだったようですね。
1stシングルが、
"New York Mining Disaster 1941"
(「ニューヨーク炭鉱の悲劇」)、
このあとが"Holiday"で、すべて、
Top20には入っていたのですが、
意外にも、USチャートでは、
Top10入りはしてなかったみたいです。
(14位と16位)
このころは、当然、
リアルタイムでは聴いていませんで、
恥ずかしながら、
フィーバー後の80年代に、
洋楽オタクになったあとも、
ほとんど、この時代の曲は、
聴いたことがなかったもので、
じつは、92年から93年にかけて、
Michael Boltonがカバーして、
スマッシュヒットさせてから、
こちらのオリジナルを知った、
そんな感じだったですね。
やはり、名曲を歌い継いでくれること、
ありがたいですよね。
1967年8月26日付けのビルボードHot100です。
1位は、こちらも、
多くのカバーを生んだ、
あのシンガーの、あの名曲です。
<1967年8月26日、何があったか?>
広島東洋カープの名投手で、
監督も務められました、
佐々岡真司さんが誕生したのが、
この日だったようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐々岡真司
佐々岡真司(Wikipedia)
※次回は、天国へ行ってしまった
アーティスト、92人目です。
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