probably music 2.0

気になる音楽、懐かしい音楽、たぶん音楽、ときどきべつのこと・・・。

人名ポップス事典(s<3>)

2020-03-30 19:41:57 | タイトルに人名が入っている曲
タイトルに人名が入っている曲、
sの3曲目は、"Sara"です。

"Sara"って、以前、
同名異曲のコーナーで、
やったことがあるのですが、
そのときは、Fleetwood Macと、
Bill Champlinの曲をとりあげて、
おそらく、一番有名であろう、
この曲をスルーしちゃいましたので、
ここでは、とりあげましょうかね。
Starshipの"Sara"です。



MTVのイベントで、ビーチでライブを
行ったときの映像みたいですね。

このときは、まだメンバーだったはずの、
Grace Slickねいさんがいないなぁ?
と思ったら、あまり出番がない曲だからか、
途中で、息抜き気味に、腰掛けて、
マイクを持って歌っている姿が映りますね。
(笑)

説明不要の、大ヒット曲でありますが、
いちおう、紹介しておくと、
グループ名から、Jeffersonを取っちゃって、
度肝を抜かれた、1985年リリースの
アルバム"Knee Deep in the Hoopla"から、
1stカット"We Built This City"に続く
2ndカットで、2曲連続、USチャートでは、
No.1ヒットになりましたね。

さて、Starshipは、現在は、
Starship featuring Mickey Thomas
として、活動しておりまして、ことしも、
ツアーの予定があるみたいですね。

メンバーは、Mickey Thomas以外、
流動的なようでありますが、
2012年からは、リードギターに、
WingerやGiantといったバンドで活躍した、
John Rothが迎えられているようであります。

www.starshipcontrol.com

Let's Go Dancin'!(24)

2020-03-29 11:03:49 | 懐かし洋楽
踊りたくなる、踊り出したくなるような曲を、
ジャンルに関係なく、ピックアップしていく、
このコーナー、今回は、80'sダンクラから、
こちらのナンバーです。



79年のTop40ヒット、
"You Gonna Make Me Love
Somebody Else" や、
Xscapeによるカバーなどでもおなじみの、
"Who Can I Run To?"でも知られる、
フィリーソウルの3人姉妹、
The Jones Girlsの"2 Win U Back"ですね。

83年に、レーベルを移籍して
リリースした、4thアルバム"On Target"から、
タイトル曲に続くカットで、
R&Bチャートでの最高位は、
47位だったようです。
うーん、カッコいいのになぁ、
そんなもんかいなという感じですね。

しかしまあ、カッコいいのも当然で、
Nile & BernerdのChicのメンバーや、
Luther Vandrossなどとの親交も厚く、
数多のアーティストたちの、
バックボーカルをつとめ、
自らも、80年代に、
2枚のアルバムをリリースしていた
Fonzi Thorntonが、単独ではありませんが、
プロデュースしていたんですね。
Fonziさんは、Aretha Franklinの、
生前最後のステージまで、
バックボーカルを務めていたことでも、
近年、知られておる人であります。

さて、The Jones Girlsのほうは、
90年代に、活動を休止し、
現在、存命なのは、リードボーカルで、
ソロとしても、86年に、
"Do You Get Enough Love"の、
R&BチャートNo.1ヒットを放っている
Shirley Jonesさんのみという、
寂しいことになっているようですが、
そのShirleyさんは、今もお元気で、
ステージに立っておられるようで、
最新映像を見つけましたので、
興味ある方は、
ぜひチェックしてみてくださいませ。

曲は、やはり、80年代のR&Bヒットで、
Incognitoによるカバーでも知られる、
"Nights Over Egypt" です。




Time Machine ~1987~

2020-03-28 10:40:20 | 懐かし洋楽
今回は、1987年の今ごろ
チャートインしていた曲、
Gregory Abbottの
"I Got The Feelin' (It's Over)"です。
(Pop #56 R&B #5)



ニューヨークのハーレム出身で。
シンガーになる前は、大学で、
英語の先生をしていたということで、
当時、日本でも話題になりました、
Gregory Abbottの、前年の、
デビューヒットにして、No.1ヒット
"Shake You Down"に続く
シングルでしたね。

歌は文句なく上手いし、
たいへんなハンサムさんでしたし、
登場してきたときは、
新時代のSam Cookeか?
Marvin Gayeか??
なんていう言われ方も
していたような記憶がありますが、
しかし、このあと、チャート的には、
いっさい、無縁になってしまって、
1曲も、Hot100にもR&Bチャートにも
入っていないんですよね。

まあ、88年リリースの2ndアルバム
"I'll Prove It To You"が不発で、あっさり、
活動をやめてしまったというのが、
大きな要因であるとは思うのですが、
それにしても、鮮烈なデビューから、
その後の失速への動きが早すぎて、
どうしちゃったんだろ?
という感じの人でありましたね。
ちょっと、甘口過ぎたのかな...?

ただ、その後、さすがに、
あきらめるのはまだ早いと思ったのか、
音楽活動を再開していまして、
自らのルーツでもある、
カリビアンサウンドなども取り入れながら、
楽曲を作っているようでありまして、
もっとも近いところでは、
2012年に、"Drop Your Mask"
というアルバムを出しているようです。

https://www.facebook.com/gregoryabbottmusic/

1987年3月28日付けのビルボードHot100
です。

1位は、70年のソウルクラシックを
カバーした、あの名曲です。

No.11 コレクション(1978~2008)(5)

2020-03-26 19:40:58 | 懐かし洋楽
ビルボードのHot100で、
あと一歩で、Top10入りを逃した、
最高位11位の曲をピックアップする、
このコーナー、78年の5曲目は、
7月に1週だけ、11位だった、
テキサス出身の、このロッカーの、
このヒット曲です。



Meat Loafの、77年リリースの、
個人名義では、1stアルバムとなる作品
”Bat Out of Hell”からの2曲目のカット
"Two Out of Three Ain't Bad"ですね。

"Bat Out of Hell”には、
『地獄のロックライダー』という
邦題が付いていますが、
このシングルにも、
『66%の誘惑』というタイトルが、
付けられていたんですね。
アルバムのプロデュースは、
Todd Rundgren、曲の作者は、
Meat Loafさんとは、
切っても切れない関係でした、
Jim Steinmanでありました。

78年の3月に、90位でNewエントリー、
7週目にして、Top40入りし、
チャートインから、4ヶ月後、
11位まで上昇したのですが、
翌週、13位にダウンして、
Top10入りは、ならなかったようです。

Meat Loafさんは、このあと、
チャート的には、
かなりのスランプに陥り、
80年代には、過去の人?っぽく
語られていたような記憶もありますが、
93年に、『地獄のロックライダー』の続編、
"Bat Out of Hell II:
Back into Hell"をリリース、
1stシングルだった
"I'd Do Anything for Love (But I...)"が、
No.1ヒットとなったことで、アルバムも、
世界中のチャートを席捲して、
みごと復活を果たしたのは、
記憶に新しいところ...
って書こうと思ったのですが、
すでにそれも、27年前なんですね。(^^;

1978年7月8日付けのビルボードHot100
です。

1位は、Gibb4兄弟の末っ子である、
あのシンガーの、あの名曲です。

Manu Dibango

2020-03-25 09:53:54 | R.I.P.
"ma-ma-se, ma-ma-sa, ma-ma-ko-sa"




Michaelの"Thriller"がリリースされた、
1982年ごろって、まだ、そんなにも、
サンプリングという言葉自体が、
ポピュラーではなかったし、
アルバムを買っても、クレジットを、
事細かにチェックするなんてことも、
まったくしていなかったので、Michaelの、
"Wanna Be Startin' Somethin'"が、
有名な楽曲をネタ使いしていることも、
全然知らずに、当時は聴いておりました。

その後も、誰も教えてくれなかったので(笑)、
あるとき、70年代ソウルヒットを集めた
コンピCDを買ったとき、
たまたま、"Soul Makossa"が入っていて、
それを聴いたときの”衝撃”は、
けっこうなものがありましたね。

で、もともと、
正式な許諾使用ではなかったので、
クレジットなどないのよ、と聞いて、
2度びっくりしたものでありました。(^^;

Manu Dibangoさんは、
カメルーン出身だったんですね。
80才をこえておられたとはいえ、
コロナ感染がもとで、
亡くなってしまったというのは、
たいへん残念ですね。

下に貼った映像は、別の曲ですが、
昨年アップされていますし、
まだまだお元気だったようなのに。



R.I.P.

http://amass.jp/132717/
アフロ・ミュージックの巨星
マヌ・ディバンゴ
新型コロナウィルス感染後に死去
(amass)