長崎原爆の日
米国は原子爆弾三発を完成させ、1945年 7月16日に最初の一発をニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で実験に使い、残る二発を広島と長崎に投下した。
8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空に6日の広島に続いて原子爆弾が爆発させた。死者73884人、重軽傷者74909人、計148793人といわれている。
長崎市は今回79回目の平和記念式典にイスラエルを招待しないことにした。これに反発しG7の6カ国や欧州連合(EU)の駐日大使は欠席するという。
思わぬ拒絶に長崎が困惑しているが、イスラエルを拒んだ理由がどうであるにせよ原爆を投下した米国や一部の欧州大使が欠席するということは理解できない。
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アートホール東洲館のパネル展より