今は昔の美唄炭鉱の歴史
きのうは「安田侃さんの作品」を載せましたが、その前に「炭鉱メモリアル森林公園」まで出かけ「美唄炭鉱の歴史」に触れてきましたので紹介します。
巨大な竪坑巻揚櫓
そこには、深さ170mという坑内換気と人員・石炭の搬出入などに使われた赤く塗られた竪坑巻揚櫓があり当時の面影を残していました。
炭鉱の記憶 ~ 空知地域は国内最大の産炭地として日本の近代化を支え、美唄では三井・三菱の2代財閥の炭鉱がしのぎを削っていました。
昭和31年には10を超える炭鉱が操業していたという。しかし、38年に三井、47年には三菱炭鉱が閉山し、その翌年にはすべてのヤマがその歴史を閉じました。
三菱美唄記念館
当時の写真や文献、炭鉱が使用した用具、歴史や坑内作業を知ることができる貴重な資料が展示してありました。
かって「黒いダイヤ」と呼ばれ戦後日本の復興を支えてきた石炭を全国に送り出してきた炭都・美唄。昭和31年は92、150人住んでいたという。
日曜日で閉まっていたが、美唄鉄道の東明駅。石炭の輸送を行っていた大正8年製造の4110形式機関車2号が展示してありました。
今回美唄を訪れましたが、炭鉱の歴史と安田侃さんの彫刻を見て、昔と今の調和がとれている美唄市にほんの少し触れることができました。