わがマチ開拓秘話
開拓の努力が報われた肥沃な大地
北海道随一の良質米の産地となったわがマチは129年前の明治26年に奈良県十津川村から移住した「百戸団体」が開拓した土地です。
この団体は、奈良県十津川村出身の中井哲太郎が率いたもので、十津川村は明治22年8月、大水害の川の氾濫で集落は土砂に埋まり壊滅した。(十津川出国記~川村たかし)
哲太郎はその年の秋、生活の場を奪われた住民約2千5百人とともに北海道新十津川に集団移住したが、与えられた土地は湿地で開墾には不向きだった。
やむなく他の土地を探していたところ石狩川の上流に「メム」という土地があることを知って、いとこの晄吉と二人で下見に来た。
高台から見るとそこはヤチダモ、アカダモの樹木が生え、ハギ、クマザサ、ヨシ、スゲが一面密生する一帯が原野であったという。
哲太郎はこの「メム」に再入植すると決めて晄吉や妻とともに開墾を始め、やがて十津川村から来た約百戸の仲間を誘い集団で開拓した。
ヤチダモなどの大木を切り倒し原野を開墾。熊の襲来におびえ、冷害や夜盗虫の被害に苦しみながら、少しづつ農地を広げてきた。
哲太郎は開墾の傍ら仲間とともに神社も建て、小学校も開設するなど常に指導的役割を果たし村議会議員などの公職にもついている。
今年わがマチは開村百三十年と市制施行六十年の節目の年です。開拓に努力した先人に改めて思いを寄せて感謝しなければと思います。