身体の半分が痛い。
この国の半分がぜんぜんまだ回復のメスが入ってないから、私も痛む。
幻視痛?
いや、現実の痛みだ。
自分の国の半分の痛みは失ったものに対するものでもない。幻でもない。
実際にもがきながら生命力にあふれた大地の悲鳴なのだ。
2年前、私は再建のオペの入院中だった。その中で起きた3.11東日本大震災。
私の身体は、もうこんなに回復して傷もいつのまにか目立たなくなってきてるのに、体力も回復してるのに、どんどん前に歩きだしてるのに、
でも、それは私の努力でもある。
東日本も、ほっといて勝手によくなる事は無い。自然治癒力に期待できるほど容易い出来事ではなかったのだから。
人の手で、多くの知恵と力と自分の中の半分の思いをこめて真剣に取り組まなければね。
微力だけど、ずっと忘れないで私の半分の痛みを感じていなければ。
本当の春が来るように・・・・・なにができるのか、答えはでなくとも今日はその時間、考えたい。