すごくショックなことがありました。
今日は、大学病院に行ったので、帰りに古本市をのぞきました。
100年前の横浜の絵葉書集を2100円で買ってきましたが、なんとネットで見たら64円で出ていました。
2006年に3990円で出た大型本です。
写真集は、値が上がるので、これは高くなっているに違いないと思いましたが、あまりのショックに感謝をするのも忘れていました。
これから、感謝します。
現在、3冊の本を並行して読んでいます。
相変わらず「俚譜薔薇来歌(りふばららいか)」は、寝る前に少し読むだけなので、まだ3分の2の残っています。
電車の中で読んでいた高橋是清の自伝は、後半に差し掛かっています。
そして、新しく図書館で借りてきた徳冨蘆花(ろか)の「富士」ですが、これが面白いのです。
兄の徳富蘇峰(そほう)との確執が、詳しく出てきます。
兄は、秀才で新聞社社長のジャーナリスト、弟は、バカでのろまと言われ兄に殴られながら育ちましたが、小説「不如帰(ほととぎす)」で、一躍有名になりました。
お母さんの姉妹に有名なクリスチャンがたくさんいます。3女は熊本女学校校長、4女は徳富蘇峰と徳冨蘆花の母、5女は横井小楠の後妻で、同志社社長になった横井時雄の母で、6女は矯風会を作った矢島揖子(かやこ)で、「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれました。
蘇峰は熊本洋学校で信仰を持ち、迫害されて同志社に入りますが、結局後に信仰から離れてしまます。
お母さんが、熱心なクリスチャンなので弟の蘆花も洗礼を受けました。
兄の奥さんは、無学なので、夫からは見下げられています。
家族は、明治27年から勝海舟の敷地にある貸家に住んでおり、兄の奥さんは、クララから勉強を教わっています。
徳富蘇峰と徳冨蘆花は、物凄く仲が悪く、蘆花が59歳で亡くなる時に蘇峰が死の床に駆けつけたのです。
ちなみに、蘆花はあえて徳富の富を遣わないで、冨にしていますが、兄への反発があったのではないかと言われています。
この「富士」を欲しいと思いましたが、なんと古本で45、000円の値がついていました。
がーんです