記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

日本人が初めて第九第四楽章『喜びの歌』を演奏したのは福岡市?

2020年12月24日 22時24分07秒 | 福博まちの記憶
師走の風物詩のひとつ、ベートーヴェンの交響曲第9番(第九)の日本初演をめぐる逸話の中で、意外に地元でも見逃されているのが「日本人が初めて第四楽章の『喜びの歌』を演奏したのは九大フィル(九州帝国大学フィルハーモニー会)で、福岡市記念館(現在の天神1丁目、大丸エルガーラの場所にあった)で演奏した」という事実かもしれません。
 
ドイツ人による国内初の演奏は徳島や久留米が当然先ですが、日本人の演奏初演となると福岡市ということになるようです。
 
当時の新聞などで調べてみると、日本語でオリジナル制作された歌詞こそ違えど、日本人の指揮・演奏に合わせて合唱も行われています。時は1924(大正13)年、皇太子(のちの昭和天皇)御成婚を記念した祝賀演奏で、第四楽章のみの演奏だったようです。ちなみに、時を同じくして竣工開園したのが西中洲の「水上公園」、御成婚記念公園と表記された絵葉書もあります。
 
 
当時の福岡市には山田耕作に見出され、のちに北原白秋作詞の「からたちの花」を送られる音楽家・歌手の荻野綾子嬢を輩出した影響から福岡歌唱研究会も活発に活動していました。大正末期のこの頃はラジオ局(福岡放送局)の招致合戦も始まるなど、洋楽の演奏活動を巡る環境は急速に整っていった時期とも重なります。
 
 
福岡放送局の初代演出でのちに福博の郷土・芸能史をたくさん書き残した井上精三さんの著作にも出てきます。ちなみに井上さんは地元に伝わる「筑前今様」を「黒田節」と改称して売り出したことでもしられます。これら福岡の洋楽にまつわる逸話は、以前レギュラーで企画出演させていただいたNHK福岡「はっけんTV(2016年)」やLOVE FM「JAL九州歴史ロマン街道」第1回放送(2018年12月)の中でも少し紹介させていただきました。
 
 
日本人が初めて第四楽章の『喜びの歌』を演奏した九大フィルの逸話などを記した本は少なく、詳細は横田庄一郎著『第九「初めて」物語』などをご一読ください。現在執筆中の拙著新刊でも紹介できればと考えています。
 
 

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