今日10月29日は「渡辺通り」渡辺與八郎氏の命日です。1911(明治44)年、悲願の博多電気軌道開業からわずか4週間、與八郎氏は当時流行していたワイルス氏病という疫病にかかり、自らが招致開校を支援した九州帝国大学病院に入院。激務による心労疲労もあってか、発病からわずか2週間後の10月29日には46歳の若さで亡くなりました。彼が作った道路や橋、軌道はその後の福岡市発展の礎となり、彼を慕った人々の尽力 . . . 本文を読む
先月の博多21の会(福博振興部会)での会員向けリモート卓話「近現代史の中の博多商人」で紹介させていただいた明治末の「福岡市案内記(1910年)」。2020年の現代からちょうど110年前、天神地区で開催され天神発展のきっかけとなった「第13回九州沖縄八県連合共進会」の際に刊行された博多の観光案内&老舗商店・企業の広告集。当時としてはとても貴重、商店の店頭や販売商品が写真入りで紹介されています。
今 . . . 本文を読む
先日、以前から気になっていた大分県中津市「耶馬渓」の入口、渋見トンネル(仏坂付近)で古い絵葉書の撮影場所の定点探しをしました^_^。以下、2枚目写真が定点には一番近そうですが、鉄道と並行している国道212号線は拡幅舗装されているものの、おおよそココであることが判ります。
3枚目は旧鉄道トンネル(現・メイプル耶馬サイクリングロード)の出口付近。
以下4枚目は、反対側からみた絵葉書。
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先日入手した西公園からの展望絵葉書2枚、いずれも「映った絵葉書がきっとあるはず」と睨んでずっと探していました。一枚は1925(大正14)年に開設され1929(昭和4)年まで使用された日本航空輸送の福岡入船町格納庫(水上飛行機用)が映ったモノ。九州初となる郵便物輸送用の路線、開設までに格納庫が完成せず開通便はココから西へ1.5kmほどの百道浜へ着水。
ちなみに、百道浜への初着水時の写真は195 . . . 本文を読む
先日、8ヶ月ぶりに参加した絵葉書研究会で入手した資料から。意外と貴重だなと思うのが、1945(昭和20)年7月25日から8月24日までの西鉄大牟田線(現・西鉄天神大牟田線)の定期券。終戦を挟んで使用されたもので、この期間には筑紫駅付近で電車が米軍機の機銃掃射を受けて64人もの犠牲者が出ています。定期券は平尾〜春日原間のものですが、終戦を乗り越えた希少な定期券です。
また、1934(昭和9年11月 . . . 本文を読む
1950(昭和25)年の「観光高松大博覧会」PRのために制作された寺本左近「観光の高松」パンフを改めて観察し、今が旬の朝ドラ「エール」モデルの作詞作曲者たちの名前に気づきました。
タンゴ調の「高松夜曲」は作詞・野村俊夫、作曲・古関裕而の福島「エール」コンビで、歌は藤山一郎&奈良光枝。戦後復興期、コロムビアレコードは復興博覧会などのイベントに絡めたご当地ソングを量産したようですね。
小唄 . . . 本文を読む
2020年10月7日、何気なく撮影した天神交差点の夕景。ただの夕景ですが、実はこれだけで色々と物語があります。左の福岡パルコの建物は、多くの方がご存知の通り1936(昭和11)年10月7日に開店した旧岩田屋ビル、この日が誕生日でした。右の天神ビルは、今年6月で60歳還暦なので、それだけで意外と意味がある写真になりました^_^。
2枚目の写真は1965(昭和40)年ごろの天神交差点、この頃はま . . . 本文を読む